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タンザニアで考えたこと (その6)

はじめに

ウン十年前にタンザニアでボランティア活動をした時に、経験したこと、考えたこと、感じたことを書き記したエッセイ「タンザニアで考えたこと (その1)(その2)(その3)(その4)(その5)」からの続きです。若気の至りで語気がかなりきつい箇所が多々あって、ご不快になるやもしれませんが、原文のまま掲載いたします。お許しあれ❗️

#Moshi (モシ)への汽車の旅

Moshi(モシ)は、あの有名なキリマンジャロ山の麓にある都市で、タンザニア鉄道(TRC)でDar es Salaam(ダルエスサラーム ※ 長い間、首都であったが現在はDodomaドドマに首都移転)とつながっている。昔はタンザニアとケニアを結ぶ東アフリカ鉄道として創業していたが目下、両国間の国境が閉鎖されており終点はArushaアルーシャである。

午後3時にダルエスサラームを出発して運がよければ、明朝8時にモシに到着する(一度など運が悪く、5時間も遅れたことがあった🤷‍♀️)この汽車の座席は一等車から三等車まであり、料金は倍々である。私のいつも利用するに二等車は、57シリング位ではなかったかと思う。

一等車は2人用のコンパートメント、二等車は6人用のコンパートメント、三等車は自由席である。三等車を利用するには、乗客が土産として買った生きた鶏や、諸々の動物とも同乗できる優しさと、座席確保のために、窓からだって乗り込める勇気が必要である。いくら厚顔な私でも、そこまではできない。だから、いつも二等車。

二等車だってかなり運に左右される。大人6人だけなら何の問題もない。これにコブが5つも6つもついたらBahati Mbaya❗️土足で座席には上がる、食物は食い散らかす、泣く、叫ぶ、しまいにはオシッコを垂れ流す。芭蕉の句に「蚤虱馬の尿する枕元」というのがあったが、その心境すごく分かる。もうコンパートメントは、めちゃめちゃ。

大人たちは皆、親切で食べ物を分けてくれたり、何かと気を遣ってくれるのだが、車窓からバナナの皮、オレンジの皮、新聞紙、卵の殻を大胆に投げ捨てる行為には身が刻まれるような思いがした。それで恐る恐る「ゴミを捨てない方が良いのではないか。日本では今、ゴミ公害が騒がれ、ゴミを野山に捨てる事は最大の不道徳である」と言ったら、にべもなく一笑にふされてしまった。

さて、夕食時になると鐘を鳴らして知らせに来る。食堂車は、英国の統治時代と同じように、白いテーブルクロスにシルバーウェアで、白いユニフォームのウェイターが給仕をする。一度、席まで運んでもらったことがある。子供たちが食い入るように見つめるので、悪いことをしたと悔やまれた。ナイフとフォークで食事をしている私を見て、どんなにうまいものを食べているのかと思ったに違いない。

タンザニア人たちは、こんなところに金など使わない。ヤギの乳やらウガリ(とうもろこしの粉を練ったもの)やら、焼き魚なんかを持参してくる。鍋ごとご飯を持ってきて、床に広げ、そこから手ですくって食べている人もいる。それ以来、旅には握り飯を作っていくことにした。

夜になると、寝具を10シリングで貸してくれる。これも借りるのは私だけである。Kitenge(キテンゲ)と言って、いつもは体に巻いているバスタオルのような1枚の布をシーツがわりにしたり、くるまったりして寝るのである。昼間になると子供を背負うおぶい紐の役目もするし、雑巾みたいに汚れを拭いたりもする万能腰巻である。用意のいい人は枕まで抱えてくる。

6人がけの座席は3段ベッドに早変わり。子供のいない私は、最上段に追いやられる。天井の明かりが目と鼻の先。虫が灯りにどっさり集まってきて、口や鼻に侵入してくる。ああ、旅には防虫ネットと殺虫剤も必要かもしれない。それでも、何とかウトウトとまどろんだ頃、やおらパチっと電気をつける。「失礼」でも何でもない。ごく当たり前のようにこれをやる。日本だったら顰蹙を買うところだ。

ところで、この3段ベッド、非常に高い。忍者が梁の上に止まっているような感じである。寝ている最中に落ちやしないかと心配である。それは私の寝相が悪いためばかりではない。ベッドを支えているベルトが切れて、水平なベッドが、咄嗟に垂直にならないとも限らないからである。そればかりを案じてしまう。ここでは考えられないことがちゃんと起こるからである。

それでも無事に朝が来てキリマンジャロが遠くに見え出すと、すべての怒りを忘れてうれしくなる。「モシ」なんて不安な都市名だけに、気苦労も多いことである。

この街は全くの別天地である。湿気がなく初秋のような爽やかさ。コスモスや鳳仙花、朝顔、マーガレットなどが咲いていて、何故かとても懐かしい光景である。目の前には雪を頂いたキリマンジャロがそびえ、大地は緑に追われ、生水だって飲める。ここに来ると暑いダルエスサラームでいつも感じている緊張感がほぐれるような気がする。

そのためか、ついうっかり1000シリング(約30,000円。その頃10,000円もあれば1ヵ月間充分に生活できた。私にしたら大金である)を枕の下に入れたまま外出してしまった。そんなことなどすっかり忘れて戻ってくると、室内掃除のおじさんに「お金を枕の下なんかに置いてはいけないよ」と注意された。全身に電光が走るとはこのことか。部屋に飛び込んでお札を数えた。な、な、なんとちゃんとあるではないか。そのかわり机の上のビスケットが少しなくなっていた。

この町に限ったことではないが、ジャガランダと言う紫の花が咲く頃はとても美しい。藤の花のようにも桜のようにも見える。火炎樹の燃えるような赤もいいが、この淡い紫も良い。

ある時、軍の基地の辺りを散歩しながら、ここから見えるキリマンジャロやそのジャカランダをパチパチ写真に撮っていたら、軍人がすっ飛んできてフィルムを出せとまくし立てた。軍事施設は撮影禁止なのをうっかり忘れてしまっていた。

そこで流暢な(⁉️)スワヒリ語を操り、「ここが基地だなんて知らなかったワン。あんまり山が美しいし、こんなに素晴らしいところ、初めて見たもんだかラン」などと褒めあげたものだから、相手も満面、笑だらけ。「そうか、そうか」てなもんで、許してくれたのであった。そこで、教訓。「タンザニアを旅したら色気で迫るべし❣️」あなたが男性であっても、である(なぜかは、お分かりだと思う😉」

ーTo be continued 続くー

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