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パレスチナ難民キャンプのバッサームさんへのインタビュー
この記事は、2014年当時、ヨルダンの首都アンマンにあるバカア難民キャンプというところでUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の音楽教師をしていたマリカさんが、日本の中学生に向けて書いた記事です。
マリカさんがインタビューしたのは、1967年に戦禍を逃れるために家族と一緒にヨルダンに避難してきたバッサームさん。避難してきた時はなんと2歳。当時、お母様は妊娠をされていたそうです。
ヨルダンに向かう道も、イスラエル軍に見つかったら攻撃されるという危険がある中、バッサームさんのご家族は無事にヨルダンのバカアという場所に到着しました。
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バカアに到着したら一安心と言ったらそうではなく、最初はテント生活でした。泥や水溜りが多く、ヨルダンでは想像できないかもしれませんが冬になると雪も降ります。家の中にいても寒いのに、バッサームさんに限らず、パレスチナから逃げてきた人々は皆、テントで生活をしていました。
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難民キャンプは年月が経つにつれ、テントがプレハブになり、コンクリートになりました。キャンプ内には病院ができ、学校ができ、次第に水道や電気の設備も整っていき…2014年時点で10万人以上が暮らす大きな街になっていました。
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バッサームさんは立派なおじさんになり、今もバカアで働いています。
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彼は「自分が経験したことを子供に伝えて、それをまたその子供に伝えていく。パレスチナのことを忘れろって言われても、それは絶対にできないんだ」と言いました。きっとそれは、パレスチナに戻りたい人たち全ての想いだと思います。
記事にはバッサームさんご家族が避難してきた時の写真や、バッサームさんの今の写真があるので、ぜひ見てみてください!
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