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かわいい子には、お金をかけよ

楽しみ1/100  負担感99/100

そろそろプールの季節🙃

6月も半ばに入り、いよいよ勤務校でもプールに注水。
子ども時代、この季節程楽しみなものはなかった。
元々水泳を習っていたということもあるかもしれない。
「唯一、体育の時間に輝けるのが水泳だった」から。

今はプールの注水を見ていると、何だか憂鬱になってしまう。
「子どもの命を本当に守れるのか??」と考えてしまうからだ。
毎年救急救命講習を受けて、万が一に備える。
実際にそんな場面に出くわしたことがないのが幸いだ。

この時期、憂鬱になる教員の方も多いのではないか。
右も左も分からなかった初任時代は、まだ受け入れる余裕があった。
しかし、年を経るにつれて、その考えはなくなっていった。

余裕のなさの二次被害

とにかく日々時間に追われながら、何とか授業を拵えていく。
さらに放課後のくそ忙しい中で行われる講習会。
プールの授業が近づくにつれて、浮かれ始める学級の雰囲気。
多くの負担感が両肩にのしかかる。

そんな中、昨年度5月にはプールの出しっぱなしで教員個人に高額の賠償責任を求められることになった(校長と担当教員の折半で)。
水泳の授業が始まる前の去年、教員であった頃の私はかなり懐疑的だった。
「無理やりやらされている高負担な業務に、さらに何らかの責任が生じたときにはどこも助けてくれない仕組みがある」
ただでさえ現在、公務員というだけで他方から叩かれるのに守られない。

余裕のなさが生み出した問題に、根本から考えを改めない行政に対しては不信感しか残らないだろう。
もし、私が同じミスをしたら、行政や市教委は助けてくれるのか??
絶対に助けてはくれないだろう。

まさに二重に責任を押し付けられ、守ってもくれない。常に背水の陣😩
一つは子どもの命を預かることの責任。
二つに押し付けられた業務を嫌々ながら行わなければならない責任。

このどちらからも逃れることができない。

負担を減らすってそういうこと?!

異なる二つの取り組み

最近Xで見かける、教員の負担を減らすための取り組み。

少しずつ進みつつある、水泳の授業の民間への委託。
各学校のプールが老朽化してきたこともあるが、実際にプロのインストラクターに指導してもらえるのは、子どもたちにとっても有意義な時間になる。
(それでも勤務校は塗り替えをして、今年度も自校で授業するが……)
教員はプールサイドから見て、評価もしっかりできる。
正直、水泳の授業は教員も入水して指導するため評価しにくい。

しっかりと行政側が予算立てて行うことで、教員の負担減にもつながる。
取り組みとしては、全国で広まって欲しいものだ。

一方で次はどうなのだろうか。

一緒に授業の方針を考えるのは、当たり前の仕事なのでは??

たまたまXで見かけたものだが、どうだろうか??
むしろ、一緒に授業の方針を考えるのは業務内でやることで当たり前??
ここにはお金がかかっておらず、削るものもない。
これが負担を減らすことにつながるとは到底思えない。

予算を立てて、お金を使ってこその負担減

ここまで「教員の働き方改革」にお金がかけられないと、教員は一個人として大切に扱われてないのではないかと懐疑的になってしまう。
それは行政や教育委員会の信頼、信用を大きく失うことにつながる。
やはり、かけたお金に見合ったものでなければ、納得できないだろう。

意識的な改革は常に試行錯誤の中で行われていると思っている。
削れるものは削り、やるべきことを最小限にしてきている。
それでも本気で負担を減らそうと考えるのであれば、どこかへ委託することは、選択肢の中に入ってくる当たり前のことではないのか。
それがないから、教員はまたあきらめざるを得なくなる。

教員を辞めた背景には今回の負担感も少なからずある。
正直言えば、行政も市教委も組合も信用していなかった。

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