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黄昏鰤 第62話

109日目 「刺突!深々とお辞儀、ではなく」

 歩いても歩いても町は続く。猪に言われたことは完全に無視して、おれは黒猫を探し続けていた。あの四ツ足のやわらかい彼に会うことだけが、この町でのおれの道標なのだ。今更それを放り出せるか。いつまでも夕暮れに留まる景色は、思い出したかのようにおれの心を暗くした。
 背丈の高い草がみっしりと生えた空き地の中に何かの気配があった。右目の火玉の視界にそれが見える。隠れた生き物も見えるこれはつくづく便利だ、と思うけれど、これで黒猫が見つかったことは一度もないので腹立たしい。見つかるのはおれを襲おうとするこいつらばかりだ。
 草むらに隠れているつもりのそいつは、おれに飛びかかる機を伺っていたようだが、おれが凝視していることに気がついたようだ。すらり、と身を起こしたのは青い毛皮の化物だった。人間の形をしているが、四つん這いになって、顔の真ん中の一ツ目でおれをじろじろと見ている。

「……ごめんなさい…………」

 ぼそぼそとつぶやきながら、そいつはおれに近寄ってきた。女の声だ。一ツ目はおれをじっと見ている。おれも無言で見つめ返す。
 草をさらさらと掻き分けて化物は近づいてくる。「ごめんなさい」すごく、嫌な声だと思った。

「――え?」

 おれが呼吸をするタイミングだったのか、瞬きをするタイミングだったのか、さっぱり見当もつかないのだが、はっと気が付くと化物に両肩を掴まれていた。

「えっ?」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 化物はおれの胸元に顔をうずめている。ちらり、と一瞬おれを見上げた。
 顔の真ん中にあるその一ツ目の少し上の、青い毛皮の密集した部分から、深い藍色の突起物が飛び出してきた。それが『角』だ、と認識する前に先端がおれの胸に突き当たる。咄嗟に突き飛ばそうとしたが、化物の両手は異様に大きく、力強い。おれの肩を万力のように掴んで離さない。藍色の角は尖ってはいなかったが、じわじわとおれの胸に刺さろうとしている。
 逃げられない状況にパニックになりかけたが、おれの左目が意思に関係なく瞳孔を広げると、奇妙に意識が凪いだ。

 視界がゆっくりになる。目の前の怪物はただの動く塊だと再認識する。冷静な心を取り戻したわけではない。おれの意識をもうひとりのおれが預かって、操作してくれる感覚だった。

 化物を押しのけようとしていた右腕を離して、角に隠れて見えない彼女の顔の真ん中に、あてずっぽうに親指を突き刺した。鋭い指先はきちんと目を破ったようだ。化物は悲痛な叫び声を上げて、手で顔を覆った。拘束を脱したので、自由になった竜の尾で打つと、化物の頭はちぎれた。
 それが土に転がってゆく湿っぽい音と、草の擦れる乾いた音が止んだころ、左目はまた細く戻った。おれの意識も帰ってくる。とりあえず怪我した胸の点検だ。ずきずき痛んで鬱血していたが、刺さってはいなかった。それにしても怖かった。化物なんか近寄るもんじゃないな。早く黒猫に会おう。
 空き地を突っ切って別の道に出た。頭と首の分かれた化物は草むらに隠れて見えない。おれの右目でも、何も見えない。おれは両手で目を覆って、長めの溜息をひとつついてから、また町をうろつきはじめた。


110日目「視線!体の長いいぬ」

 夕暮れの町に黒猫を探して、歩く。おれの足音だけが住宅街に響く。どこかで料理を作っている匂いが鼻を掠めた気がしたが、錯覚だった。料理か。この町で食事をしたら、全て夕飯になるのだろうか。ふと、白い朝焼けと、好物だったトーストを思い出して、胸と腹が切なくなった。
 トーストに塗るジャムの種類について考えていると、目の前のブロック塀が突然爆ぜた。破片を踏みしめて、暗い緑色の毛に覆われた犬のようなものがずるずると這い出てくる。
 犬、と思ったが、異様に体が長い。3頭ぶんほどの長さが塀から出てきたが、まだ奥に続いているらしい。長い全身のあちこちにぎょろりと目がついている。それがすべておれを見ている。そして素早く飛びかかってきた。迎撃に右手で手刀をかましたら、勢いが強すぎたのか頭にめりこみ、奇妙に柔らかいそいつの体の、犬1頭ぶんの胴体が爆ぜてしまった。
 ぐちゃぐちゃした断面も毛皮と同じ深い緑色の肉で、そこにも目が無数についている。またおれを見ている。すべて。思わず怪物をブロック塀に叩きつけた。塀と、道路と、犬のようなものの全身が、先程の数倍の規模で爆砕した。……毛皮の怪物は動かなくなった。体についていた目も、すべて閉じた。
 瓦礫の隙間から、怪物の死骸、の中身が見える。覗き込んで確認する。肉の中に目などなかった。白い骨を見間違えたらしい。

 ……見間違い、見間違いか。なんてものに見間違えるんだ。あの学校で見た謎の目の件以来、おれを見つめる目というものが恐ろしくてしょうがない。

 死骸を後にして、また歩き出す。ああどうしよう。黒猫の金の目を街角で見つけたいはずなのに、頭に思い描くそれはおれの背筋を凍らせるのだ。ああどうしよう。あんな目のことは、早く忘れなければ。忘れなければ。


【魂17/力13/探索2】
『猫目、角、火玉、竜尾、鬼腕』『名前前半喪失』『感情:楽喪失』

(つづく)

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