オンラインとオフラインのはざまで。

友人がオンライン結婚式をした。
その友人とはすったもんだ、近づきすぎてお互いぐっちゃぐちゃに傷つけあった数年があって(お互い深いところで繋がりすぎて、求めすぎて、傷つけるからタチが悪い)、だから距離を置いて外から見ているのがちょうどよい、的にいまは付き合っている。(数年会ってないけど、たまーに連絡はとる。)

その友人と結婚してくれる嫁ちゃんがいる、と聞いたのは去年の秋ごろだったか。
まぁなんとめでたい。盛大に祝ってあげようじゃぁないの。

と、思っていたら、このパンデミックである。

しばらく会うもままならんなぁ、と思っていたら、本人からメッセージ。

オンライン結婚披露会やったら、参加したい?やめとく?

やめとく?と聞いてくる辺りがよくわかってんな、と思ったのはここだけの話だけど、即答で断った。
家でまで他人の顔見て飲みたくないし、祝うなら、本人の顔を見てじっくりけちょんけちょんに貶しながら祝いたかったのである。

数日前、本人がそのオンライン結婚式のレポートを書いていた。
【オンライン結婚式】気楽でとても温かい時間になり、さらなる可能性も感じたので、長所短所を整理します。|tanimark @tanimark2014 #note #ゆたかさって何だろう https://note.com/tanimark/n/nd04677486d0d

楽しそうで良かったなぁと思う一方で、あぁやっぱり参加せんくて良かった、とも思った。

…のはなぜだろう?とふと立ち止まる。

オンラインのコミュニケーションを否定する気はなくて、可能性はたくさんあると思っている。
なんならもうずっと在宅勤務で!と思っている私としては、オンライン推奨派でもある。

一方で、オンライン飲み会は基本断ってきた。
英会話もオンラインで受けているけど早く先生のところに通いたいなとも思う。

たぶん、オンラインだと守れる自分と守れない自分があるのだと思う。あと、距離感。相手との距離感がオンラインだとつかめない。つかみにくい。
距離感とりたい人なら良いのだけど、自分が必死だったり距離を縮めたかったりすると、だめなのだ。画面が、遠い。デジタルデータになる自分が相手が怖くなる。

前述の友人が言うに、オンラインは空間と空間をつなぐ、と。なるほど。それはこの違和感を説明してくれる1つの仮説かも。
実は私はどんな関係であれ友人知人を自宅に入れるのを極度に嫌がる。自宅はハイテリトリーで見せたくないのだ。
だから、飲みたくないし、英会話とかスクールも嫌なのだ。
仕事はむしろ安心してやれるからいいけど、会議はなるべく画面を消したい。
ずっと「自分の居場所を土足で侵食されている」感じがあってしんどいのだ。

未来のコミュニケーションのカタチ!とか色々言うけど、空間を、距離を、誰でも彼でもいつでも自由に侵食できてしまうのは、こわい。
コミュニケーション、は、色々なものを共有することであって、その濃度や面積は選択的でありたい。

新型コロナウイルスによるパンデミックは、私たちに新しい未来の選択肢を増やしてくれている。
こんなときこそ、自分で選べるといいなと思う。コミュニケーションのカタチも。
色々な選択肢が許容されてコミュニケーションのカタチにも多様性が生まれていくといいのになと思います。新しいことも取り入れながら、自分の好みで選んでいけるといいなあ。

友人よ、結婚おめでとう。寂しがりやの自由人の君に、一緒に生きていく家族ができたことが喜ばしいです。ひと安心です。よかったよかった。

この記事を、彼への記事へのアンサー記事的にしたいと思います。

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