【連載】批評家見習い、批評しない①自己紹介とロラン・バルトの実在論、あるいは始めることから始めること
今日から勝手に連載を始めたいと思います。連載の名前は「批評家見習い、批評しない」とかにしようかな。僕はアマチュアの批評家で、商業誌にも四本文章が載ったことがあるぐらい。しかも、大手じゃ全然ない。当然連載の依頼なんてこない。だから、勝手に連載しようと思い立ちました。本当はもっと仰々しく、今考えている批評のテーマについての作品批評を連載しようと思っていたのだけれど(考えていたのは「なぜ絶滅論は希望論になるのか」)、僕は批評を書こうとすると「まだその時じゃない、まだその時じゃない」となってしまい、アイデアだけ残して辞めてしまうことが多いので、今回はもっと肩の荷を下ろしてエッセイ風で行ってみたいと思っています。だからある意味、これは「批評の練習帳」みたいなものですね。そのため、僕はこれを書くにあたって何も参照せずに頭の中にあることだけを書きます。なので、不正確な引用などが有りましたらご指摘ください。
おっと、自己紹介を忘れていました。この文章は僕を知らない人に向けても書かれているのだから、当然自己紹介は必要ですよね。失礼しました。えーっとでは自己紹介します。僕は幸村燕。ゆきむらつばくろって言います。本名じゃありません。ペンネームです。自己紹介するとよく「ヤクルトスワローズ好きなの?」と聞かれるのですが、野球はやったことも見たこともありません。でも、スポーツルール学を勉強していた時期もあって『野球規則』、つまり野球のルールブックの最新版は家に揃えて読んでいます。先ほど、野球をやったことはないというのもそれが理由でして、勿論小学生の頃に公園で「野球」をやったりはしましたよ、でも『野球規則』第一条「試合の目的」には第01項「野球は、囲いのある競技場で、監督が指揮する9人のプレーヤーから成る二つのチームの間で、1人ないし数人の審判員の権限のもとに、本規則に従って行われる競技である」とあり、第05項には「各チームは、相手チームより多くの得点を記録して、勝つことを目的とする」と書いてあるので、そんな野球はしたことないなと思って、野球はやったことがないと言いました。『野球規則』は義務や権利の話がたくさん出てきて、法律みたいで面白いです。
ところで何の話でしたっけ、そう、つばくろの由来ですね。これはヤクルトスワローズのつば九郎から来ているわけではなくて、日本北アルプスの女王「燕岳(つばくろだけ)」から来ています。なんで山なのかは後々話すとして、とりあえず、僕は幸村燕です。現在はとある私立大学のフランス文学専攻の博士課程前期に所属しています。専門は今のところロラン・バルトですが、ざっくりフランス現代思想とポストモダン思想の研究をしています。学部時代のゼミはロシア・フォルマリズムからバフチンを専門のゼミで、卒業論文は「彼自身に抗するロラン・バルト―モアレ、中性、身体のエクリチュール」39568字で提出、ロラン・バルトの全体の仕事の有機的連結をあたりながら主題としては「批評の倫理」というものを取り上げました。このことに関しては『地下演劇7号希望の原理』にて寄稿した共同文「二人の死についての共著」の片割れである「ロラン・バルト『作者の死』再考」に簡単にまとめてあります。
作者は死ぬ、しかし消え去らないし、いなかったことにもならない。晩年のバルトが写真の実在性や伝記素にこだわるのはこのためでもあります。死んで灰となった作者の身体を拾い集めることこそが批評の責務であり、そこに読むことの享楽が重なり合うことこそが批評の倫理なのだ。ザックリ言えばこんな感じです。批評が持つ重苦しさと軽薄さ、批評はこの両方を縫い合わせていかねばなりません。僕は前者を重く捉えすぎるきらいがあるので、文章を書くのが遅くなってしまいがちです。だから、そのための練習帳。
あと、『ぬかるみ派』という批評雑誌の主宰をしておりまして、主に「加速主義」や「思弁的実在論」と言われる思想の翻訳や紹介をやっております。過去に訳したもので言いますとアレックス・ウィリアムズ「エスケープ・ヴェロシティ」、ジェルマン・シエラ「ハイパー可塑性」、あと共同でマット・コフーン「無条件加速主義入門」を訳しました。『ぬかるみ派』の理念は第一号の序文にあるように以下のようなものでした。
ちなみに、ロラン・バルトと加速主義、思弁的実在論を勉強しているというとかなり分裂しているように思われるのですが、僕の中では分裂していません。構造主義とは近代的人間の合理性における恣意性を暴き出し、非-人間的体系を導き出したものとも言えるし、そこでいえば思弁的実在論に共通している事実の偶然性や人間なき哲学も共通しているのです。実際、アクターネットワーク理論には、構造主義以降の記号論が意味論的システムを減算された形で導入されていると考えられるし、構造主義記号学から現在の哲学が受け取っているものは多いと思います。
僕がバルトに注目するのも、彼がラカン派精神分析と現象学の合間を縫いながら「愛する人を残すこと」あるいは「それは-かつて-あった」と宣言することという実在へと向かう学、ニュアンス学へと向かっていったからなのです。彼は80年の事故の後遺症で亡くなりましたが、もし生きていたらより実在論的方向へと向かっていったことでしょう。よく、フェイク画像などが出回る中で「それは-かつて-あった」ということはもはや不可能などと言われますが、そもそも写真は昔から心霊写真など偽造写真はあったわけですから、ここでバルトが言っている「それは-かつて-あった」は単に写真は事実を写すとか、人間の目を介さずに光を記録するとかそんな話ではないのです。だってバルトは写真は「それは-かつて-あった」を示すとは言っておらず、写真のノエマ(意識内の対象的側面)は「それは-かつて-あった」なのだ、と言っていることに気をつけねばなりません。写真が指し示しているのは「それは-かつて-あった」なのであって、それではないのです。しかし、それとはなんでしょうか。
このそれは一般的な<Ce>ではなく<Ça>が使われています。この<Ça>とはラカンの用法ですね。僕はラカンに詳しくないのですが、大体対象aに近いもの(かつ現実界に属するもの)だと思っているのですが、間違えていたらすみません。対象aは「欲望の原因」であり、射線の主体$が幻想を介して追い求めるものです。$◇a(根源的幻想のマテーム)アキレスと亀のように絶対に到達できない関係。その対象たるÇaがかつてあったと写真が示しているのです。しかし、やはりわかりませんね。
ここで解釈を飛躍させましょう。バルトは『明るい部屋』の中で父と母が愛し合っていたことを「知っている」が、愛が実在していたことは「私」の実在によって示されると言っています。ここでの「知っている」とはストゥディウムの領域に含まれるでしょう。しかし、「私」の実在が愛の実在を示されるとはどういうことなのでしょうか。単なる因果関係の可能性もあります。しかし、そうではないでしょう。第二部のはじめに星の光の話があるように、何光年もかけて星は実在を示す。この星は光が届くことで初めて見ることができます。つまり、光の動きを遡行することで星に達することができるのです。それと同じようにバルトが今生きているという事実が素行的に両親の愛の瞬間へと遡行します。それがまさしくバルトを『明るい部屋』(この部屋というのはchambreという単語で寝室という意味もあります)へと導くのです。同じように、幼い頃のバルトの母の温室の写真(photo)はそのカメラの眼差しが受けたphotonを返して、ウェルギリウスのようにバルトを母の実在へと向かわせるのです。しかし、その部屋は明るすぎます。神曲の最後の至高天のように、光りに包まれて、語る言葉を失ってしまうような場所なのです。『明るい部屋』がオルフェウスの冥界下り的であるというのはよく言われますが、冥界のような暗い部屋を辿っていたのは第一部のことだけでしょう。第一部の最後でバルトは「前言取り消し(パリノーディア)」を行います。パリノーディアとは改詠詩とか取り消しの詩とか言われるもので、昔ステシコロスという詩人がトロイア戦争の責任がヘレネーにあるという詩を読んだ際に視力を失ったため、パリノーディアを詠って視力を返してもらったという伝説に基づいた詩のジャンルです。プラトンの『パイドロス』にも出てきます。これによってバルトは構造主義的盲目から、あるいは視力を突き刺すプンクトゥム(まさにオイディプスの悲劇)から視力を取り戻すのです。
ここについては、色々あってなぜ母親の写真だと冥界の暗闇から脱出できるのか(『ロラン・バルトによるロラン・バルト』「幼少期の思い出」)などは<穴trou>というモチーフに通じているのですが、『明るい部屋』第一部ではカメラ自体が〈穴〉と言われていたことが重要になってきます。また、バルトの父がボルトが赤ちゃんの頃に海軍として沈没chute戦死していることも重要です。落下chuteと穴はバルトにとって父と死を同時に意味します。なぜ、『明るい部屋』はジェローム・ボナパルトの写真から始めなければならなかったのか。単に彼が海軍だったからなのか、それだけではない。ジェローム・ボナパルトの写真は母親の温室の写真同様に『明るい部屋』に収録されていない。我々には見えない。でも収録されていないのか。白すぎて、あるいは明るすぎて見えていないだけではないか。なぜ『明るい部屋』は皇帝ナポレオンを見つめたジェローム・ボナパルトの瞳から始めなければならかったのか。この瞳からバルトはどこまでいきたかったのか。皇帝を写した瞳を写した写真、それを写したバルトの瞳、光の運動がそこにはある。カメラという穴は光を全て落とし込む暗闇だけれども、その暗闇の穴ぞこから出て来たフィルムは再び光を通して現像される。バルトは自身を現象学者と言っていますが、『明るい部屋』は光の現象学に潜り込んで光の実在から存在の実在へと到達しようとしています。
光の実在論へ。ここまでくれば僕が実在論に興味があることが理解していただけるでしょうか。
もう一つのプロジェクトであるポストモダン論の再考も構造主義と思弁的実在論、加速主義の両側から挟み込むことで思考できると思っています。歴史の終わりに立たされた我々は以下にして歴史を始めることができるのか。バディウは別の文脈で、一つの締めくくりとは別の何かの開始でもあると言いました。ヘーゲル、コジェーヴ、フクヤマ的な歴史の締めくくり(ここにはマルクスも入れても良いと思います)を行ったのがポストモダンの思想だとすれば、我々はポストモダン思想に執着することで新たな開けを見出すことができるはずです。何が開始しているのか。何を開始できるのか。
始めることを始めよう。
はじまることが始まっている。
それを探るために僕はとにかくぬかるみますよ。速すぎる世界に対しては、不動こそがもっとも速いことを教えてやりましょう。留まることは遅れることではありません。ぬかるみ派は政治運動です。政治活動です。でもそれは、現在、過去、未来全てを貫くための政治活動なのです。これは単なる言説的政治ではありません。現場で活動している方々にはリスペクトが絶えませんが、僕らは〈今ここ〉で政治活動をします。言説は最も速く遅れてやってくる。待ち合わせ地点は明日も明後日も数年後も〈今ここ〉です。数百年後にも〈今ここ〉で待ち合わせしましょう。
たとえすべてが消滅しても〈今ここ〉で待ち合わせ。
僕らの未来は決まってないから、いずれかの未来において〈今ここ〉で出会いましょう。何度すれ違っても、出会えるはず。
そのためにも、僕は〈ここ〉に居たいのです。
次の連載は先週の青森旅行と翻訳の仕事について、あと魚豊『チ。』について書く予定です。初回なので、今回はこのぐらい。更新ペースは決めてませんが、とにかくラフに描き続けようと思います。まじめに不真面目、これが僕らのモットーですから。
小さく告知しておきます。
明日は神保町PARAにてインタビューイベント「絶滅下の文学は何を語るか」があます。
17:00 - 19:00|笠井潔さん、20:00 - 22:00|石橋直樹さんにゲストとして来てもらいます。
場所は神保町PARA
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-20-12 第二冨士ビル
今現在笠井潔『煉獄の時』を読みながら『テロルの現象学』の再読しております。笠井さんの運動経験から導かれるニヒリズムの問題と消滅、絶滅についてお聞きできたらと思っております。
石橋くんとは日頃から喋っている中ではありますが、消滅したものをめぐる思考としての民俗学と国学の思考について聞く予定です。
当日飛び込みも可能なので是非いらしてください。
インタビューシリーズも明日で終わりなので、終わったら何か書きたいですね。