【映画】『やがて海へと届く』
映画『やがて海へと届く』を観に行った。観に行ってから1か月ぐらい経ってしまった。
すぐにでも自分が感じたことや考えたことを言葉にしたかったのに,どうしてもまとめられなかった。やっと書いた文章は長いし相変わらずふわっとしてよくわからないけど良いや。自己満足だ。
原作は彩瀬まるさんの「やがて海へと届く」という同名小説。
映画は小説とは異なる要素が多く含まれていたけれど,私が小説を読んだ時に受け取った不思議な世界観は共通して感じられた。それぞれにそれぞれの良さがあってとても良かった。観に行けて良かった。もう一回小説読み直したいな。
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手を伸ばせば届く場所にいたはずの人が,どんなに手を伸ばしても届かない場所に行ってしまったら。
近くにいたときは分かっていたつもりだった人のことを,もしかしたら全然知らなかったのかもしれないと愕然として,でもどれだけ願ってももう本人を通して知ることはできないのだという事実にまた愕然とする。
真奈の目の前に置かれたすみれの持ち物は言葉を発さない。
持ち主を知る人が語るすみれは,真奈が知っているすみれとは程遠い。違う,と抵抗したい気持ちと,私が知らないだけなのかもしれないという自信の喪失との間でぐらぐら揺れて,真奈はすみれの持ち物を捨てられない。真奈の時間はあの日から止まったまま。
真奈はあまり多くを語らない。でも,真奈の表情と,振る舞いと,存在そのものから,真奈が抱いている空虚感やもどかしさを,痛いほどに感じた。
唯一すみれが見ていた世界を切り取ったビデオカメラだけは,すみれの本当の一部を映しているかもしれない。知りたいと思うけど,何だか怖くて脚がすくむ。
真奈は自分でも,自分が一体どうしたいのかわからない。知りたいのか,知りたくないのか。
ただ,あの時に戻って,ずっとそこにとどまっていたい。
でも無情にも時は流れて,真奈は上手く置かれた環境に適応して,そつなく生きている。すみれがいない今日をしたたかに生きている。消えない喪失感を抱えたまま,それでも生きている。生きられてしまう自分にちょっと嫌気が差す。
すみれのいない現在と,すみれと過ごした過去を行き来しながら物語は進んでいく。なかなか事態が進展しないままならなさを抱えながら,それでもラストは明るい未来を予感させた。
最後に真奈が見せた柔らかい表情から,真奈の時間がゆっくりと流れ始めたことがわかった。
真奈はすみれのことを過去の人として割り切って消化したわけでも,全て忘れて決別したわけでもない。ただ,すみれはすみれの人生を生き,真奈は真奈の人生を生きるのだと覚悟を決めたように見えた。
すみれは,帰りたい,帰らなくちゃと思っていたよ。生きて帰って,真奈に会いたかったはずだ。すみれは終始,生に執着せず,儚く今にも消えてしまいそうな雰囲気をまとっていた。でも,あっさり命を手放すようなことはしなかった。走ってもがいて,帰ろうとした。すみれは,すみれが思っているほど弱い人間じゃない。生きて,帰ろうとした。
そのことが真奈に確かに伝わっていると良い。
真奈の生命力の強さに触れて,明日を生きるエネルギーを少し分けてもらえるような,そんな映画でした。もう公開終了してる所が多いかもしれないけど…興味持った方がいらっしゃればぜひ。
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