わたがしになりたかった私。

私は、わたがしになりたかった。

でも、なれへんかった。

ふわふわしていて優しそうで、外界からの刺激を感度良くキャッチして、反発したり、拒絶したりすることなく柔軟に受け入れる。

でも一本刺さった割りばしのように、軸がしっかりあってブレへん。

そんな、わたがしみたいな、四字熟語で言うと、外柔内剛、みたいな。そういう人間になりたいと夢想してた。

そして、良くも悪くも他人の影響を受けやすくて、流されやすくて、自分の意志がない私は、割りばしのないわたがしみたいやと、ずっと割りばしを探し続けてた。

私の中の、揺らぎない一本の割りばしを追い求めてた。


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最近、割りばしは一本である必要があるんかなと感じている。

人間は、多面的な存在なんちゃうかなということを言いたい。

平面じゃなくて立体で。

単色じゃなくて虹色で。

単音じゃなくて和音で。

ブレない軸が一本あるっていうのもかっこよくて憧れるけど、人間それだけじゃないんちゃうと思うようになった。

わたがしに代わる、新たに私が目指すものを探してるんやけど、まだしっくりくるものに出会えてない。

ポストわたがしを探してる。

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