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大学時代

大学時代は高校時代の退屈な日々と比べるとかなり自由で色々な事が体験できた4年間でした。

大学1年の新歓コンパみたいのも楽しかったですし、
たくさんのバイトを経験したり、クラスメートにも恵まれ、一緒にテニス、スノボーサークルに入ったり、大学三年の頃はサークルを作ってたくさんのメンバーを集めたりもしてました。
その中でも熱が高かったのがバンド活動で
ようやく友達とバンド組めてステージに立てたというのも良い経験でした。
当時洋楽志向だったメンバーと
bon joviのlivin on a player、you give a bad name、runaway
deep purpleのburn、highway star、smoke on the waterなんかをやってましたね。
それまで邦楽ロックばかり聴いてきたので良い勉強にもなりました。

しかしまだみんな10代なのに古臭いバンドが好きでどちらかというとおじんくさいメンバーでしたね(笑)
まあギタリストやキーボディストは流動的で、フリーターのメンバーなんかをwith9というメンボを使って募集したりもしてました。

自分はその中でもaerosmithが好きで歌いたかったんですが、あれだけ太い声を出すには発声の基本から学ぶ必要があったので、ボイトレの本を読み漁ったり、実際ボイトレに通ってHR/HMというジャンルをしっかり歌えるように基礎練習、発声練習を繰り返していたのが大学1年生の頃でした。

それで大学2年の終わり頃には週3ー5程度4ー8時間くらいの猛特訓のおかげで喉も鍛えられx japanの紅やオルガスム、x、i'll kill youなどが歌えるようになっており、バンドメンバーからも成長を褒められたりした時期でした。
まさにハイトーンボーカリストという感じで自信をつけたのですが、結局そのバンドはドラムやベースとのメンバーの温度差もあり、解散になり、残ったギタリストやキーボディストと一緒に曲を作ったりした時期もありました。

ですが、大学3年の時に早稲田のバンドサークルに入ることになりました。インカレサークルで他の大学のメンバーも入れたからです。
ただHR/HM以外に、メロコアをやりたい人、ミクスチャーロックをやりたい人、邦楽ロックをやりたい人色々だったので、結構幅広くジャンルを歌っていた記憶があります。
寧ろHR/HMのメンバーはださいとディスられていてバカにされた風潮すらありましたね。
linkin parkみたいな音楽が主流だったので致し方ない部分はありましたが、自分は割りかし合わせてました。ただメロコアみたいな明るめの音楽はやや苦手でしたね。
まあそんなこんなで一緒に組んでいたギタリストとも性格の不一致などで解散し、大学4年からはオリジナルバンドを外部で組むようになります。

新宿で活動してたベテランバンドに加入したり
町田で活動してたバンドに加入したりしました。

まあ柄の悪いメンバーだったり、普通の大学生だった自分にはどうみても剃りが合わないメンバーばかりでしたが、レコーディングをしてCDを出せたりもしたので経験としては良かった気がします。
ろくに就活もせず、自分の歌の可能性を信じて
また新たなバンドで活動し、1年ちょっとでCDを出したりライブをしたりしましたが、どうも自分の声に合わないのと、バンドの実力不足もあり解散します。
その後はボーカルオーディションを受けたり、小野正利さんのボイトレを少し習った時期もありましたが、1年ほどバンドも組まず、自分の次の道を模索するためにlove psychedelicoのような音楽を聞いてみたり、ハードロックからそろそろ卒業しようと思った時にU2の音楽に心打たれ、こういう綺麗で繊細でパワーもあるロックをやりたいなと思ったのがフリーター2年目になる時期でした。


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