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《木曜会:5月30日》

「ここにおる、みんな、僕は、大好き」

夜12時を回った頃、冷泉は自分の発したこの言葉を英語に訳して、みんなに伝えて欲しいと、その場にいた信子(仮名)にお願いした。「その場」というのは木曜会が終わったばかりのコロマンサで、「いた」というのは次の人たちである。

【その場にいたメンバー】6名
ニュージーランド:グレンおじさん
オランダ:3バカトリオ
オーストラリア:ダニエルさん
信子:ダニエルと非常にステディな関係

酔っぱらって顔が真っ赤になった信子は言われるまま、冷泉の言葉を英語に訳して全員へ共有するが、大して誰にも響かない。熱い男の熱い気持ちが言葉で伝わらない以上、次の手はもちろん殴り合いだ。これほどわかりやすく誰からも敬遠されるコミュニケーション手段は、ほぼない。

「んなもん、わかってるやん、僕の、腹を、殴って欲しい」と狭い店のなかを殴り合いの相手を探すため彷徨うのは冷泉。何を考えたのか万作は店に置いてある日本刀(もちろん模造刀)を持ち出してオランダ人の1人に手渡す。

オランダ人の3人組は必死で「日本という国はおかしい」とヒゲの男に訴えかけてくるが、ヒゲの男は「円安が生み出した、この国の狂気をしっかりと浴びて帰って欲しい」と目の前で起ころうとしていることを止めない。どうやら彼らは日本刀が真剣なのだと思い、本気で戸惑っていたようだ。

ワケのわからない夜は、決まって、突然訪れる。

5月30日——。

朝、起きてLINEをチェックすると会社のフジイさんから写真が届いていた。

画面の真ん中に映っている特徴的な立ち姿はデザイナーの浦部君である。フジイさんと浦部君、そして撮影班の面々は某機械メーカーの仕事で九州へ出張に行っている。朝の4時、マジックアワーを狙っていることがこの写真からヒゲの男には理解できた。

次に、浦部君も出張先からヒゲの男宛てに写真を送ってきた。思わずハッと息を飲んだ。

仕事をしている彼ら彼女らの息遣いまで聞こえてくるようだ。長雨の後の蒸し暑い中、殉教者のように粛々と仕事をする姿に心を打たれた。これらの写真が送られてきたとき、浦部君が同行してくれて心底良かったと感じた。画像の向こう側に心臓の鼓動、つまり「存在」が確かにあるからだ。

同じ仕事の内容なのに、存在があるとないでは雲泥の差がある。

存在をまったく感じられない写真とは、どういうものなのかここで例を挙げよう。良い例があったではないか、これだ。

このどうしようもない写真を撮影したディレクターは、この人だ。

浦部君がフジイさんを撮影したものは何のポスターにも使用できそうだ、「こんな私が京大に、行こう!進学塾」のような文字が並んでいても不自然ではない。かたやフジイさんが撮影した浦部君たち3人の写真は何に使用できるだろうか、昨夜した花火の片付けをしにきた自治会の人みたいだ。

有形・無形に限らず、起こる事象をデザイン化できる人間と一緒にいると、自分でも気づかなかった自分自身の豊かな表情に出会うことができる。海の波のように表情は日毎に変わることを知る。そう考えると冷泉のやりようも明らかにデザイン的であるし、また、いつだって挑戦的でもあるのだ。


さて、木曜会——。

「僕ね、自分がコンサルしてるヴィーガンのレストランあるんですけど、いつの間にか自分も影響を受けてね、ヴィーガンになってるんですよ」と、酔いどれ詩人のような口調でイリオモテ伯爵が語る。

「肉は、食べへんのですか?」(冷泉)
「いや、たまには肉も食べるんですよ」(イリオモテ伯爵)
「それはヴィーガンじゃなくて、ただのおっさんじゃないですか」(阿守)
「そうかも知れませんね」(イリオモテ伯爵)

このやりとりを聞いてファラオは腹を抱えて笑う。

「でもね、不思議なことにあんまり肉を欲しくなくなってきてますよ」と、伯爵は特に言い繕うでもなしに本意そのままを語る。
「イリオモテさんが、年取っただけ違います?」(阿守)
「ああ、そうかも知れませんね」(イリオモテ伯爵)

今日はどうしても木曜会に来なくてはいけない気がした、と冷泉たちに教えてくれるイリオモテ伯爵は、全てを達観した高僧のような雰囲気を持つ。どのような難問を出題したとても、リズムを一定させた穏やかな声で情報粒度の高い回答を導きだす。

ヒゲの男は考える。このイリオモテ伯爵は自身の中で情報が完璧に整理整頓できていて、どのような質問が伯爵に投げかけられたとしても、焦ることなく脳内にある『イリオモテファイル』を取り出して、すでに考え抜かれていた回答を朗読しているのだろう、だから、この安定感が生まれるのだと。

「そうや、う~ん、こないなことワシの愚痴でしかないんで、話すようなことでもなんでもないんかもやけれど・・・(前段省略)。店の外壁を這っとったノウゼンカズラが切られてしもうたんです。下のラーメン屋に。そろそろ花が咲く頃やと思って、楽しみにしとったんですよ」と、万作は愚痴る。

猫の額のように小さい店「コロマンサ」は2Fにあり、階下には確かにラーメン屋がテナントとして入っている。そうした些細な住民同士のトラブルは、いつの時代のどこの国でも起こることだ。人と人とは、植物1つを巡ってすら紛争の種を生み出す。

階下のラーメン屋は「レンゲが立つラーメン」と謳っているが、これは狂人の兆候である。その上の階を占拠している万作も言わずもがな狂人であるので、こうした狂人同士の紛争解決には、イリオモテ伯爵のような智者の介入が必要不可欠だろうと勝手に考えていた。

『狂人』の定義付けが何なのかは、まったくわからないが。

アラタメ堂のご主人がウイスキーを持ってやってくる。木曜会に来るたびにアラタメ堂はウイスキーを持参してくるため、今やコロマンサの酒棚は軽くウイスキー専門店のような様相になっている。ウイスキーに詳しいアラタメ堂のこの行為は一種のプロボノ活動であろう。

しばらくすると、CEOシゲオとゴミちゃん、監査役の男が狭い階段を上がってくる。この3名は同じ会社に所属しており、明日は年に一度の株主総会のために深酒はできないのだと事前に冷泉へ断りを入れる。冷泉はCEOシゲオと伯爵をどうしても会わせたかったのだと打ち明ける。

「実はね、新規事業のアイデアを思いついたんですよ」と、CEOシゲオは嬉しそうに、でも、どこか周囲を気にしながら言う。オポチュニティを発見した経営者ならではの感覚だろう。アイデアという芽を潰さぬように、そろりそろりと言葉の歩を進めていくCEOシゲオ。

【Q】それでは問題です、CEOシゲオが考える新しいビジネスとは一体何でしょうか?


【ヒント】
①:本業で手掛ける「データDXサービス」とは無縁である
②:サラッとではあるが調べてみると、競合他社がいないサービス(※)
※CEOシゲオ調べ

「はい!」と大きな声を上げて先陣を切ったのは、ヒゲの男だ。みんながヒゲの男から出てくる回答に耳を澄ます。

「大正区の方に行くと無料の渡し舟があり、地元住民の交通に欠かせないものとなってるが、その権利を行政からCEOシゲオが買い取って1人あたり50円ずつ取っていく事業ですか」と、ヒゲの男は答える。

甚兵衛渡船場の様子

「全然違うんですけど、発想はそういう感じですね」と完全な的外れではないことをCEOシゲオは教えてくれる。

「オレオレ、詐欺ですか」(冷泉)
「いやいや、競合他社だらけじゃないですか!」(アラタメ堂)
「データを駆使してオレオレ詐欺してる奴らを捕まえる方と違いますか」(イリオモテ伯爵)
「そもそも、データ事業じゃないって言うてましたやん」(ファラオ)

この場で予想されたCEOシゲオの新規事業について以下にまとめる。

【A案】先進国におけるジェンダーの流れを踏まえて、女性ばかりが赤ちゃんに授乳するのはおかしいので、男性も授乳できるようにする特殊な『乳マッサージ』のサービス

【B案】レンタル家族という事業があるが、もう少し突っ込んで三親等までカバーする『レンタル親戚サービス』

【C案】老人の血管の脈動を利用し、なんとかエネルギー変換して自家発電できる持続可能系サービス

【D案】所ジョージの世田谷ガレージみたいな基地を持ちたいけれど、センスがない人向けに内装そのまま箱貸しシェアする事業

正解が出ないので、ここでCEOより追加でヒントが提供される。「衣食住」でいうところの「住」に関わるとのことだ。

「わかった!」

会心の笑みを浮かべると同時に神妙な顔になったのはヒゲの男。相手(CEOシゲオ)を傷つけないように慎重に言葉を選びながら、回答する。

「あまり言いたくないのですが、このビジネスを思いついたのはCEOシゲオが最初ではないのです。実はこのビジネスモデルを最初に考えたのは僕と冷泉なのです。ただ、まだ発表していないだけです」と打ち明ける。

その言葉を聞いてヒゲの男が次に言うことを理解したファラオは丸椅子の上で思わず噴き出す。ヒゲの男と冷泉がCEOシゲオに先駆けて生み出したであろう、衝撃のビジネスの概要は以下のとおりだ。

『HOTEL PHARAOH:ホテル・ファラオ』

【概要】
自宅にいながらオンラインでホテルにチェックインできます。宿泊者はチェックイン及びクレジットカードでの決済を終えると、そのまま自分の家で寝てもらいます。

1週間以上前に事前予約していただくと、予約確定日より2~3日後に『ホテル・ファラオ』専用のアメニティがご自宅に届きます。当日予約の方には宿泊後にアメニティと支配人ファラオが心を込めてお客様のために作った、折り紙の鶴が届きます。

自分の家にいるのに、気分はクレオパトラ。
新感覚のトリップ体験。

『ホテル・ファラオ』は一泊1,500円~ 
※繁忙期には値段が異なる場合があります

実は、すでにデザインもできていたのだ。まさか、CEOシゲオがこのアイデアまで辿り着いたのかと、ヒゲの男と冷泉は視線を合わせた。

木曜会の狂ちゃん作成


「あのね、全然違います」

CEOシゲオはキッパリと言い切った。

冷泉とヒゲの男はホッと胸を撫でおろした。が、この事業の進捗状況は完全に停止したままとなっている。

次回の木曜会は6月6日に開催されます。奮ってご参加ください。

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