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終戦の日に

今日は、79年目の終戦の日。
私の2人の曽祖父は、兵士として戦ったそうだ。

父方の曾祖父(祖母の父)は、隣県から船に乗り、満州で騎兵として戦った。
無事生還し、大正生まれの曽祖父は、昭和、平成と3つの時代を生き抜いた。 
私の父が曽祖父に戦争のことを尋ねても、ほぼ話してくれなかったそうだ。
父方の実家には、おそらくそのときに使用されていたであろう銃弾が残っている。
掌に乗せると、小さいながらもずっしりとした重みを感じた。
多くを語らなかった曾祖父は何を思って、それを残したのだろうか。

母方の曾祖父は、サイパン島で陸軍の兵士として戦った。
1945年8月15日、玉音放送が流れ、日本人は敗戦を知った。
曾祖父は、そのしばらく後(8月末?)に亡くなったそうだ。
食事をするために火を使っていたところ、煙が立ち、それに気付かれて敵に殺害されたらしい。
終戦の情報は、そのとき曾祖父の耳に入っていたのだろうか。
もしあのときその場で火を使っていなかったら、少しタイミングがずれていたら、曾祖父は生きて帰ってこれたのではないか。母方の曾祖父のことを考えるたびに、やるせなくなる。

祖父(曽祖父の息子)は遺族会に所属し、慰霊のためにサイパン島を度々訪れていたそうだ。祖父は、私が大学生の頃に亡くなってしまった。もっと祖父と話をしたら良かったな、と思う。



社会科にしかできないこととは?
社会科教員である私に課せられた使命とは?
社会科学習指導要領の目標を達成するには?
戦争を、平和を、どう教えよう?


今日はそんなことを考えながら、合掌した。
誓いを、祈りを込めて。

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