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Prémonition de l’émergence

 熱心なのが好き。
 盛ってる時って超たのしぃ~し、夢中になっちゃう。熱心ってそういうことでしょ?

 しつこいのが好き。
 初めて挑戦するメイクとか~慣れるまで何度も練習するしぃ~それが楽しいんだよねぇ~。

「ちょっとくらいいいじゃん~!」

 でも、しつこすぎるのは嫌い。
 うざいし、めんどくさい。

「むりむり~。あやか、そういうのキョーミないし~」
 もう何回この言葉言ったっけ?
 結構大きい通りだし、あやかたち以外にもいっぱい人歩いてるのに、ナンパ男は引く気配がない。
 脱色した金髪に、センスの悪いシャツ。安そうなデニムのボトムスに、爪先の尖った革靴は見るからに合皮。
 一から十までダサくて、全然タイプじゃない。
 それにしても折れないなぁこのナンパ男。もう向こう行ってよ……。
 あやか的にはもっとデキる感じの……。
 その時、偶然反対側の歩道にいた人と、あやかは目が合ったの。
 スラリと背が高くて、広い肩幅。濃紺のスーツは、彼に着られるために作られたみたいに、ピッタリでシャープなシルエットを浮かび上がらせていた。バッチリ決まった立ち姿から外しを入れるように、目が悪いのかジッと目を細めてあやか達を見る姿が可愛くて、ちょっとムズッとした。
 そうだ!
「……あ、待ったぁ~?」
 他の人に誤解させないように、出来るだけ手を高く上げてふりながら、あやかはその人に向かって歩き出す。
 その人は、ドラマみたいに後ろを振り返って自分に言われてるのか確かめてる。その仕草が、またしてもかわいい。
 だから、思いっきりそれっぽくして、その人の反応が見たくなっちゃった。
 意外と逞しい腕に思いっきり抱きついて、あやかはナンパ男に向かって舌を出す。
「あやか、この人と待ち合わせしてたんでぇ~。だから、お呼びじゃないっていうかぁ~」
「……そういうことなんだ。悪いね」
 あれ?急に抱きつかれたのに、その人は全然動じない。それどころか、アドリブでポンって助け舟を出してくれた。
 でも、お陰で説得力は出たみたい。
「チッ……」
 ナンパ男は、あやかとその人の顔を交互に睨んで、舌打ちして離れていった。
「ばいばぁ~い」
 手を振って見送るのはさすがに可哀想だからやらないけど、正直、心の底からホッとした。
 向こうにもプライドがあるだろうけど、あのままじゃ何されるか分からなかったもんね。
 でも、さすがに後姿を確認する勇気はない。だから、あやかの代わりに見送ってくれているその人の顔を仰ぎ見る。
「……行ったみたい?」
 ヒゲもスッキリ剃られた綺麗なアゴに問いかけると、その人は視線を逸らさず小さく頷いた。何だか堂に入っててカッコイイ。
 でも、そろそろ事情を話さないと、また誤解しちゃうかもしれないよね。
「突然呼び止めちゃってごめんなさい~。でも、ありがとうございましたぁ」
「モテるんだね」
 口の端だけクイッと上げて、その人は微笑む。
 気障っぽく見えないのは、童顔だからかな?
「ん~。ナンパは苦手だよぉ~。軽そうに見えるかもしれないけどぉ……簡単について行ったりしないしぃ~」
「そっか」
 その人はまた笑った。
 何でか分かんないけど、あやかは芝桜の花畑見た時のことを思い出したの。爽やかっていうのかな?ナンパで荒んだ心が少し軽くなった。
 でも――
「アイツ、もう見えなくなったよ。……ところでさ、今、時間ある?」
 さっきも同じような言葉聞いた気がする……。

 ナンパ男が消えた途端に、今度はその人がナンパしてきた。
「えぇ~。あなたもナンパ~?」
 何ていうか、サイアク……。
 でも、その人はそんな反応に慣れっこなのか、相変わらず爽やかに笑いながら内ポケットから名刺を差し出してきた。
「いや、ちょっと違ってさ」
 モデルの仕事やってるから、名刺を受け取るのには慣れてるけどぉ……え?アイドル部門?
「アイドルのスカウトなんだ」
 その人の言う通り、受け取った名刺には有名な芸能プロダクションのアイドル部門のプロデューサーって肩書が書いてあった。
 プロデューサーって……結構エライ人だよね?……悪くないかも。
「アイドルですかぁ~?スカウト~?いいですけどぉ~、アイドルって何するんですかぁ~?」
「そうだなぁ、例えば……ステージに立つとか」
 ふと、プロデューサーさんは街灯モニタを指す。
 ちょうど、新発売のスポーツドリンクのCMが流れていた。黒い長髪の女の子が主役のドラマ形式のCMだ。あの子は確か……渋谷凛ちゃん。
 なるほどぉアイドルかぁ……。
「へ~?それってぇ~……盛れる?」
「モレル?」
 あやかの言葉を、プロデューサーさんはキュウカンチョウみたいに繰り返して頭を傾げる。なにその面白かわいいリアクション。
「メイクしてもらったり~カワイイドレス着たりして、キラキラしたり~。できる~?」
「そういうことか……大丈夫、盛れるよ」
 まかしとけ!ってガッツポーズするのが、コドモみたいでカワイイ……ズルいなぁ、大人の人なのに子供みたいな仕草が様になるなんて……。
 って、アレ?……コドモっていえば……あ、マズイ!!時間ない!
 色々あって忘れてたけど、あやか現場向かってる途中だった!今日はキッズモデルの子と合同撮影だし、入り遅れたらマズイ……そろそろ行かなきゃ。
「そうなんだ~。あ~、でもいま、時間ないんだよね~。もう行ってもいい~?」
 急に態度替えちゃって感じ悪かったかな?なんてちょっと心配になったけど、プロデューサーさんは気にしなかった。
「そうなんだ。急いでるとこゴメンね。名刺あげるから考えてみてよ」
「もらっとくね~。じゃあ、ばいば~い~」
 やっぱり大人の男のヒトって、こうじゃないと。こっちの都合をちゃんと考えてくれる人って、それだけでポイント高いよねぇ~。
 いただいた名刺をスマホケースのポケットに入れて、プロデューサーさんと別れる。踏み出す足が軽い。
 ちょっとテンションがアガってる自分がいた。



 撮影現場は、表参道にある地下のスタジオだった。最近よく使わせてもらってて、身体のおっきいなオーナーさんが丁寧に対応をしてくれる、モデル仲間にも評判のいい現場だ。
 入り時間が迫る中、なんとか差し入れのドリンクとお菓子が用意出来た。
キッズモデルの子の緊張を解してあげたいし、もっとモデルのお仕事を好きになってほしいからね。どんなお菓子が好きなのか知らないから色んな種類を買ったけど、日持ちするものを多く選んだから、余っても持ち帰れる。
 あと他には……なんて考えながら、B1階のスタジオに着くと、そこには件のオーナーさんが居心地悪そうに立ち尽していた。
「お疲れ様でぇ~す♪」
「ああ、岸部さん、お疲れ様です」
 どこか口籠るような、いつもの快活さのない挨拶に違和感を感じていると、スタジオの中から叫び声が聞こえて来た。
「いい!スズメちゃんはまだ笑顔を作っちゃってるの!それじゃダメなのよ!この間のオーディションの時もそうだった!だからアナタは落ちたのよ!」
 子供の声には聞こえない。
「保護者の方ですかぁ?」
 ボソッとオーナーさんに訊くと、彼は苦笑しながら頷いた。
 キッズモデルと仕事をすると、たまにこうして保護者さんが同伴して来る。純粋に心配でいらっしゃる方が大半だけど、時には違うこともある。今回みたいのは正にそれで、こういう時の現場は大体ぎくしゃくしがちなの。
 まあ、だからってやることは何も変わらないし、さっさと始めてさっさと終わらせればいいよね。
 ん~でも、折角だけどこの差し入れ隠しとこう。
 オーナーさんに合図して差し入れを隠してもらい、スタジオに入る。
「おはようございま~す。岸部彩華で~す♪本日はよろしくお願いします」
 どんな人にでも、挨拶はしっかりする。
 ママとパパに教わった大事なこと。
 だから、あやかはお仕事を始める時、いつだってまずしっかり挨拶するんだ。
「おはようございます」
「お、おはようございます!」
「おはようございます♪スズメちゃんだよね?岸部彩華です。あやかって呼んでね♪今日はよろしくお願いしま~す」
「はい!あの、よろしくお願いします!白田スズメです」
「スズメの母のミドリですぅ岸部さん、今日はよろしくお願いします」
「お母様だったんですか⁉てっきりお姉様だと思いましたよ~今日はよろしくお願いします~」
「ありがとうございます。嬉しいわ~そういっていただけて。こちらこそよろしくお願いしますね」
 娘を押し退けてお母様が挨拶してきて面喰った。
 咄嗟に笑顔で返事出来たけど、あやかは見たよ。
 スズメちゃんの笑顔が強張った。
 あんなことがあった後だし、お母さんは出しゃばって来るし、しょうがないよね。
「おはよう彩華ちゃん」
「よろしくね」
「本日もよろしくお願いします」
 メイクのケイコさんやカメラマンのマキさん、編集者のリョウコさんもいるけど、やっぱり少し居心地が悪そうだ。
 なんとか雰囲気変えなきゃね。
「ケイコさん、マキさん、リョウコさんも、よろしくお願いしま~す。今日も楽しく行きましょうね♪」
 今起こったことなんて、あやかたちの仕事には関係ない。そんな思いを込めてニッコリ笑ってみせると、スタッフさんたちに笑顔が戻った。
 よし、このままあやかのペースに持って行っちゃおう。
「スズメちゃん、こっちで一緒にメイクしてもらお~よ♪」
 スズメちゃんに手招きして、ケイコさんに「お願いしまぁ~す」と笑いかける。
 と、ここで、うっかりした顔。
「あ、すみませんミドリさん。あやか前の現場が押しちゃって飲み物買えなかったんですよぉ~ちょっとお願いしてもいいですかぁ~?」
「え?」
 ミドリさんが驚いた時、すかさずリョウコさんが言葉を足した。
「そうだったんですか?すみません急がせてしまって。あの、申しわけないんですがミドリさんお願い出来ますか?私はお2人との打ち合わせがありますし、カメラマンも機材の調整がありますので……」
「ええ、まあ、それでしたら……」
 リョウコさんがそっとウインクしてくれた。
 あやかのやりたいこと、分かってくれたみたい。
「よろしくお願いします。スズメさん、こちらでメイクを。並行して今日のコンセプトの打ち合わせもするので」
「は、はい」
 お母さんが出て行くのを見送ったスズメちゃんが隣に座るのを待って、リョウコさんは企画資料の束を捲った。
「じゃあ打ち合わせ始めます。今日はこんな感じでお願いします」
 そこには、あやかとスズメちゃんのポートレートと、その上に大きな文字で『休日の仲良し姉妹』とコンセプトだけが書かれていた。
「それだけぇ~?」
「はい、これだけです。さっそくモデルのお2人で仲良くお喋りして下さい」
「は~い♪」
「え?え?」
 リョウコさんがものの数秒で打ち合わせを終えて驚いたのか、スズメちゃんは目を白黒させる。
「スズメちゃんお菓子何が好き?チョコ系?」
「え?あの、打ち合わせ」
「ん~?今したよぉ~?姉妹みたいに撮りたいんだって。だからぁ、ね?何が好き?」
「えっと……チョコは、好きです」
「よかったぁ~♪今日買っといたんだぁ~♪リョウコさん、オーナーさんに差し入れ預けてあるんでぇ、持って来てもらえますかぁ~?」
「了解です」
「え?でもさっき忘れてたって……」
「……お母さんには内緒だよ」
 口に人差し指を当ててウインクすると、スズメちゃんはようやく気付いたみたい。
 人と仲良くなるコツ。
 それは、こっそり秘密を共有することだよね。
「彩華さん、お菓子ココに全部置いておきますから、ご自由にどうぞ。私はミドリさんが戻られたら次のスズメさんの撮影日程の件で打ち合わせをしておりますので、ごゆっくり」
 あやかがたっくさん買って来たお菓子を置いてリョウコさんはスタジオから出て行った。
 スズメちゃんが硬い笑顔になっちゃう原因のミドリさんは、これで撮影が終わるまでスタジオには入って来ないだろう。
 ここからは、あやかがどれだけスズメちゃんと距離を詰められるか、だね。
「スズメちゃん、好きなの食べていいよぉ~♪あ、でも、グロス塗ったらそこからはダメだよぉ~」
「はい、ありがとうございます」
 あやかがお菓子を広げると、ようやくスズメちゃんは笑った。どこかホッとしたようなスズメちゃんの柔らかな笑顔を見て、あやか閃いちゃった。
「スズメちゃん、あやか思いついちゃった」
「え、何がですか?」



 撮影は順調に進んで、ミドリさんは不在のまま、あやかたちは休憩することになった。どうやってかは分からないけど、リョウコさんが足止めしてくれているらしい。
 お陰で、スズメちゃんはリラックスして撮影を楽しんでいる。最初の強張った笑顔が嘘みたいによく笑っていた。
 あやかの提案も楽しんでもらえてるみたい。
 リョウコさんから出された撮影コンセプト、『休日の仲良し姉妹』
 コーディネートでそれっぽく魅せる仕事は、もうスタイリストさんがしてくれてる。けど、空気感ってゆーか、より姉妹っぽさを出すためにはどうしたらいいか、あやかなりに考えたの。
 そして辿り着いたのが、それぞれが演じる姉妹にお話をつけたらどうかな?ってこと。
 あやかはオシャレに積極的で妹大好きな姉。
 スズメちゃんは段々オシャレに興味の出て来たお姉ちゃん思いの妹。
 姉は休日の度に妹を連れ回して色々な服を着せ、自分も色んな服に挑戦する。
 そんな設定をつけて2人で楽しくごっこ遊びをしよう♪って提案してみたの。おままごとは女の子の遊びの基本だし、やり易いかなって。
 結果、スズメちゃんはノリノリで撮影出来てたし、カメラマンのマキさんも手応えを感じたのか、シャッターの数と誉め言葉がいつも以上に多いし、何より、あやかが楽しいし、大成功だね♪
 衣装を守るケープを纏ったまま、この調子で終われればいいなぁ、なんて考えてると、スズメちゃんが少し真面目な表情で隣に座った。
「ありがとうございます。撮影、やりやすくしてくれて」
「あやかは何もしてないよぉ。でも、スズメちゃんが楽しめてるなら、いいと思う♪」
 スズメちゃんはこそばゆそうに「ありがとうございます」と呟く。かわいいなぁ。なんか、段々本当の妹みたいに見えて来た。
「スズメちゃんみたいな妹がいたらよかったのになぁ……あやか一人っ子だから兄弟とか姉妹って憧れるんだぁ」
「分かります。私も一人っ子だから、彩華さんみたいなお姉さんがいたらなあって……あっ、すみません」
 言いかけて、スズメちゃんは真っ赤な顔で俯く。
 ヤバい!カワイイ!
 色々全部カワイイ!ヤバい!
 仮の妹の余りの可愛さに悶えていると、彼女は見上げるようにあやかの顔を覗き込んでくる。
「あの、今だけ撮影の時みたいにため口でいいですか?」
「もうズ~ッとため口でいいよぉ~♪」
 むしろこっちからお願いしたいくらい♪
 でも、浮かれるあやかとは対照的に、スズメちゃんの表情は真剣に締っていった。
 急に雰囲気を変えたスズメちゃんにちょっと驚いたけど、何か大事なことを言いたいんだっていうのが伝わって来る。
 だから、背中を押してあげることにした。
「どうかしたぁ?」
「うん、あのね……」
 言いかけて、スズメちゃんの口は止まった。
 何か凄く勇気のいることを言おうとしてるんだ。
 こういう時は、黙って待ってあげるのが姉の務めだよね。
 背中を擦ってあげながら待っていると、意を決したように頷いて、スズメちゃんは顔を上げる。
 その目には、光るものがあった。
「スズメね、この前アイドルのオーディションに落ちちゃったの……」
「……そうなんだ」
「ママはすっごく応援してくれてたの……スズちゃんなら大丈夫って、きっとアイドルになれるって、たくさんたくさん応援してくれてたの……」
「うん……」
「でもスズメがオーディションに落ちちゃって……それからママ、変わっちゃった……」
「……」
「お姉ちゃん、本当は聞いたんでしょ?ママがスズメのこと叱ってたの」
「……ごめんね、盗み聞きする気はなかったんだけど」
「……いいの。あんなにおっきな声だったし、イヤでも聞こえたでしょう?」
「……そうだね」
「この間まであんな風じゃなかったの……スズメがオーディションに落ちちゃったから……」
 スズメちゃんのせいじゃない。
 震える小さな手にそっと手を重ねて、あやかは心の中で呟いた。
 泣きそうな表情で強張ったスズメちゃんの顔は、皮肉なことにミドリさんの顔によく似ている。
 きっとミドリさんは、スズメちゃんがオーディションに落ちたことを、自分の責任のように感じているんだ。娘に向けた厳しい態度は、本当は全部母親である自分に向いてるんだ。
 多分だけど、前は優しいお母さんだったんだろうな……それにしても、アイドルかぁ……。
「スズメちゃんは、どうしてそんなにアイドルになりたいの?」
 さっき出会ったプロデューサーさんを思い出す。
 あの人は、あやかをアイドルにスカウトした。
 でも、アイドルがどんなことをするのか知らないし、興味を抱いたこともなかったから、あやかどう答えていいか分からなかった。
 けど、スズメちゃんはそんなアイドルになりたいって言う。
「アイドルって何するの?どうしてそんなに……あ、ゴメンね」
 いけない。スズメちゃんの話を聞いていたはずなのに、あやかが質問してばっかり。
 口を噤んでスズメちゃんを見ると、彼女はキョトンとした表情で首を傾げていた。
「それ、面接してくれた人からも訊かれました。アイドルになって何がしたい?って……」
「え?」
「そっか……今気づいた……面接した人は、スズメがどんなアイドルになりたいか知りたかったんだ……お姉ちゃん見て気づいたよ」
「……どういうこと?」
 スズメちゃんの言ってることが分からない。
 モデルのお仕事はハッキリしてる。
 スタイリストさんのコーディネートを着こなして、編集者さんのイメージに合わせて、そのヴィジョンを膨らませて形にする。
 それがモデルのお仕事。
 やることはそれだけ。
「アイドルって、多分何をやるって決まってないんだ。何をしてもいい。だから、やりたいことをハッキリさせないといけないんだ」
「何をしてもいい……」
 あやかは、プロデューサーさんにアイドルは盛れるかどうか訊いた。
 それは、あやかにとって重要な仕事を楽しくするコツだから。
 今日だって、ちょっと意味が違うけど、スズメちゃんと姉妹の設定を盛った。
 それが許されないなら無視するつもりだったけど、あのプロデューサーさんは盛れるって言ってくれた。
 何となくだけど、あの人はその言葉通り、あやかのやりたいことをちゃんとさせてくれる人だと思えた。
「お姉ちゃんなら出来るよ」
「え?」
 スズメちゃんの言葉に、考えが見透かされたような気がして、ドキッとした。
 小さな手が今度はあやかの手を力強く握る。
「スズメ、今日お姉ちゃんと撮影して分かった。そっか、お姉ちゃんみたいな人にならないとアイドルになれないんだ」
「……そうなの?」
 さっきまでの泣き顔とはうって返って、スズメちゃんは妙にすっきりした顔であやかの目をじっと見つめて来る。
 そんなに見詰められると、ちょっと照れる。
「お姉ちゃんは設定を考えて撮影を楽しくしてくれたでしょ?きっとアイドルはそういう人がなるべきなんだ」
「スズメちゃん?」
 ふと、スズメちゃんの手があやかの手を放れる。
 何をするんだろう?と見守っていると、スズメちゃんの手はあやかのイスのすぐ下に伸びた。
「ごめんねお姉ちゃん。コレ、スマホケースから落ちたの、スズメ見ちゃった」
 息が止まるかと思った。
 小さな手に摘ままれたのは、さっきプロデューサーさんに貰った名刺。アイドル部門の名が堂々と刻まれたそれを、スズメちゃんは拾い上げた。
「ここのオーディションなの、スズメが落ちたの」
 息が詰まる。
 酷いよ。こんなのない。
 どうして……。
「お姉ちゃんスカウトされたんでしょ?この人、見る目あると思う」
「スズメちゃん……」
 言葉が詰まって声が出ない。
 出たとしても、どんなことを言えばいいのかも分からない。
 目線は彼女の指先が摘まむ名刺から離れず、なぜその名刺を財布に移しておかなかったのか、自分を責めずにはいられなかった。
「お姉ちゃん……ううん、あやかさん」
 スズメちゃんが、あやかの手に名刺を握らせる。
 驚いて顔を上げると、泣き笑いのスズメちゃんの顔があった。
 その目には、どう表現したらいいのか分からない、複雑な感情が渦巻いている。
「スズメ、またオーディション受けたい、ううん、絶対受ける。アイドルになる。だからあやかさんは先にアイドルになって、スズメのこと待ってて。スズメ、モデルのお仕事ちゃんと頑張ってアイドルになるから」
 ぎゅっと握って来る手は熱くて力強い。
 そこから伝わる情熱に、胸が熱くなった。

 熱心なのが好き。
 目標があって、そこに向かって進む足に嘘はないから。

 しつこいのが好き。
 本当に大好きだったら、しつこさなんて感じないくらい熱中出来るから。

 スズメちゃんは真剣にアイドルになりたい子。
 だけど、残念ながら一度そのチャンスを逃した。

 あやかはアイドルに興味はなかった。
 だけど、アイドルにならないかって誘われて、向いているって言われて、アイドルになってって応援された。

 じゃあ、あやかはどうしたらいい?
 ううん、違う。
 あやかはどうしたい?

「アイドルって、多分何をやるって決まってないんだ。何をしてもいい。だから、やりたいことをハッキリさせないといけないんだ」
 スズメちゃんはそう言ってた。

「メイクしてもらったり~カワイイドレス着たりして、キラキラしたり~。できる~?」
「そういうことか……大丈夫、盛れるよ」
 あやかの質問に、プロデューサーさんは応えた。

 あやかは、盛るのが好き。
 盛ると気分がアガってどんなことも楽しくなるし、女の子同士だったら誰とでも楽しめるから。
 だから、あやかは盛っていきたい。
 色んなメイクを試したいし、色んなドレスも着てみたい。もっともっとキラキラしたい。
「例えば……ステージに立つとか」
 プロデューサーさんの言葉が頭に響いた。

 そっか。
 迷うことないんだ。

「うん、待ってるよ。スズメちゃん」
 自分でも驚くほど穏やかな声が出た。
 カワイイ妹分は、そんなあやかの言葉に嬉しそうに頷く。
「頑張ってね、お姉ちゃん♪」



 プロデューサーさんにスカウトされて、スズメちゃんと撮影をした日から数日後。
 お世話になってる雑誌が新しいアパレルブランドを立ち上げるそうで、パーティーが開かれた。
 モデル仲間が一堂に揃った会場は華やかで、バッチリ盛ったみんなは楽しそうだ。その中にスズメちゃんの姿も見つけたけど、なにやら話し込んでいるみたいだから挨拶は後、だね。
 まずはリョウコさんを探さなきゃ。
 超デキる編集者リョウコさんは、新しい会社の副社長に就任していた。さっすが♪あやかをモデルでスカウトしてくれた人♪
「リョウコさぁ~ん♪」
「彩華さん。今日は来てくれてありがとう」
「副社長さんに誘われたんだもん♪当然だよ~」
「ありがとう。これからカタログの撮影なんかでお世話になることもあると思いますけど、その時はよろしくお願いしますね」
「……あの、実はですね」
「どうかしました?」
 色々のことが頭を駆け巡った。
 地元で声を掛けられてスカウトしてくれたこと。
 初めての撮影で緊張したあやかを、丁寧な説明と細かい気遣いでリラックスさせてくれたこと。
 その撮影の後、美味しいディナーをご馳走してくれたこと。
 もしリョウコさんがいなかったら、あやかモデルのお仕事やってなかったのかもしれない。
「あやか、アイドルにスカウトされたんです。渋谷凛ちゃんの事務所(ところ)に」
 リョウコさんは目を見開いて、持っていたグラスをテーブルに置いた。
「本当に⁉凄い!おめでとうございます!」
 満面の笑みでそう言って、リョウコさんは抱き着いて来た。
 よかった。
 リョウコさんに報告するのが、一番怖かった。あやかを見つけてくれた人に、「裏切られた」って思われたらどうしようって……。
「よかった。本当におめでとう」
 ギュッと抱き締めて、背中を叩いてくれるリョウコさんが温かくて、何だか込み上げて来た。
「お世話になりました。リョウコさんにはいっぱい良くしてもらって……あやか、本当に感謝してます」
「私こそ……ありがとう。彩華ちゃんのいる現場はいつも楽しくて、凄く助かったわ」
 ほっぺに、あやかとリョウコさんの涙が流れた。
 こんなにいい編集者さんと出会えたなんて、あやかは幸せ者だね。
 ひとしきり泣いたあやかとリョウコさんは、すぐにお互い笑い合った。
 こういう切り替えの早さも、リョウコさんの好きな所だ。
「今後はアイドルとして、ウチの商品の広告お願いするからね」
「任せて」
 きっとあのプロデューサーさんなら、やらせてくれるよね。


 リョウコさん、スズメちゃんとモデルとしての最後の時間を過ごした後、あやかはちょっと早めにパーティー会場を後にした。
 モデルのあやかの時間は、これでおしまい。
 ここからは、アイドルあやかの時間。
 ……なんだけど。
「スゴい……お城みたい」
 とんでもなく大きい事務所を前に、ちょっとだけ足が竦む。
 今更だけど、あやかスゴい事務所にスカウトされちゃったんだね……これからはアイドルのことたっくさん勉強して頑張らなきゃ。
 受付の人にプロデューサーさんの名刺を見せると、取次はスムーズだった。来客用のIDをドレスに付けていると、「ちひろ」と書かれたネームプレートを付けた黄緑色のジャケットの女性が、プロデューサーさんの所まで案内してくれる。
《ジュエリークール 5課 プロジェクトルーム》と書かれたプレートの扉をノックして、ちひろさんは中を覗き込んだ。
「失礼します。Pさん、お疲れ様です。ご来客の方をお連れしましたよ。……はい、ではご案内しますね。岸部さん、どうぞ」
「ちひろさんありがとうございます~♪ども~♪あやかでぇ~す。今日はパーティー帰りなんでこんな格好で失礼しまぁ~す。」
 ドレス姿のあやかに、プロデューサーさんは目を白黒させた。この間より少しだけヒゲが目立つけど、パパも夕方になるとあれくらい伸びる。
「おお、これまた華やかな……いやしかし……驚いたよ」
「あれ~?どうしてびっくりしてるの~?」
「いやこの間急いでるのに引き止めちゃったから」
「……Pさん?」
「いや、千川さん違うんです。無理矢理引き止めたのでは……と、とにかく……来てくれたんだ」
「ふふ、だってぇ、ナンパじゃなくてスカウトされたし~?あやかに、盛れるアイドルのことぉ、教えてくださぁ~い♪」
「モレル?」
「千川さん、後で説明しますから、契約書の用意お願いします」
「分かりました。今持って来ますね」
「よろしくお願いします。岸部さん、座って待ってよう。何か飲む?」
「ミルクティーお願いしまぁ~す♪」
「了解。ホットで問題ない?分かった。今淹れるね。あ、何ならアルコールもあるよ?」
「あやか未成年なんでぇ~お酒はちょっと」
「ああ、それじゃ仕方な、え?未成年?」
 あれ?あやか言ってなかったっけ?
「はい♪あやかは19歳の未成年ですぅ~♪」
「そっか、まだ二十歳(はたち)前なんだ、大人びて見えるから分かんなかった……じゃあ契約は保護者さん交えてだね……だけどそっか、ちょうどあの子と真逆のタイプだな……」
 プロデューサーさんの言葉にあやかが首を捻るのと、プロジェクトルームの扉が開くのは同時だった。
「Pさんお疲れ。もう少しボーカルレッスンしないとダメだって言われ……ちゃっ……」
「こんにちは~♪」
「こんにちは……」
 見た目高校生くらいの綺麗な子が入って来た。
 ボブヘアに右目にかかる前髪、大きな切れ長の目からは、キリッとした強さがある。
 あやかより背は低いけど、整ったその顔は存在感抜群だ。
 いきなり愚痴を聞かされちゃったけどスルーして、まずこちらから自己紹介しなきゃね。
「岸部彩華でぇ~す。今日からお世話になりまぁ~す。あやかって呼んでくださぁ~い」
 立ち上がってお辞儀するけど、返ってくる言葉がない。目を上げると、女の子は困り顔でプロデューサーさんの顔を見ていた。
「ん?今岸部さんが言った通りだけど、どした?」
「聞いてないよ」
「順次人員は増えて行くって言ったでしょ?」
「今日来るなんて聞いてないって意味だよ!……なんかゴメンね、アタシは水木聖來。セイラって呼んでね。これからよろしくね。あやかさん」
「よろしくお願いしますぅ~♪」
「聖來も何か飲むかい?」
「うん。でも自分で淹れるからいいよ。今からあやかさんと契約の話とか色々するんでしょ?」
 聖來さんの問い掛けに、プロデューサーさんが一瞬固まった。
 ちょうど、あやかの前にソーサーに載せたティーカップを出してくれた所で、あやかとプロデューサーさんの目が合う。
 すると彼は、あやかにだけ見えるように悪戯っぽく笑った。
「ああ。でも、岸部さん未成年だから契約は後日親御さんを交えてになるかな」
 直後、バサッと聖來さんがカバンを落とした。
「……え?未成年なの?あやかさん」
「はい♪あやかは19歳の未成年ですぅ~♪」
 さっきプロデューサーさんに言った時と同じように言ってみる。
 なんとなくだけど、彼の表情の意味が分かった。
 聖來さんが少ししょんぼりした顔で「そっか」と呟くのを見て、いよいよプロデューサーさんが笑い出した。
 さて、答え合わせの時間だね♪
「聖來さんはおいくつなんですかぁ~?」
「……23……」
「え~⁉」
 せめて1歳差位かと思ったんだけどなぁ。
「未だに居酒屋で年齢確認される時あるんだって」
「そりゃそうですよぉ~同級生かちょっと下に見えましたもん」
「そんなに子供っぽいかな、アタシ……」
「そうじゃなくてぇ~。聖來さんがカワイイからそう見えちゃうだけですよぉ~♪」
「ホント?」
「はい♪カワイイお姉さんが出来たみたいで、あやか嬉しいです♪」
「年下っぽい姉と年上っぽい妹か……アリだな」
「ちょっと!年下っぽいってどういうこと⁉」
「そうですよぉ~カワイイ姉ですぅ~」
「姉妹設定には文句ないのね、2人共」

 ちょっとだけ、安心した。
 慣れた場所、見慣れた顔の環境から離れることが、本当はちょっと怖かったけど。
 リョウコさんみたいな優しいプロデューサーさんと、スズメちゃんみたいなカワイイ姉の聖來さん。
 これから長い付き合いになるだろう2人と、こうして笑い合えるなら、きっとアイドルのお仕事も楽しくなるよね♪


FIN

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