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日帰り温泉で「今」を生きる術を知った日

その日は休日で、何もやるべきことがなかった。動くのも億劫だったが、特に目的も決めないままぼんやりと出かけることにした。電車に乗り、ただ窓の外を眺めていた。スマホもポケットに入れたまま。後悔のない休日のプランをああでもないこうでもないと検索する、その行為に必死になるのがなんとも嫌だったからだ。
しばらくして、電車で20分ほどの街に日帰り温泉があったな、と急に思い出した。なんとなくGoogleマップ上で存在を知っているだけで行ったことはなかったが、そこへ向かうことにした。

初めて降りる駅だった。目指す建物が見えてくるまでそこそこ距離があった。入館すると、老若男女が同じ館内着を着てそこらじゅうを歩いていた。皆心なしか浮かれた表情をしている。勤め先の健康診断に行ったときもそうなのだが、互いに知り合いでもない大勢が同じ格好をしてひとつの場所にいると、自分を含めここにいる人たちはすでに死んでいて、冥界の出発ロビーで手続きを待っているんじゃないかという気がしてくる。この日は温泉という場の特性もありより強くそれを感じて、ああ天国に来てしまったぞと、すでに楽しくなっていた。

鍵を受け取り、脱衣し、浴場に向かう。体と髪を洗い、洗面器で何度もお湯をかぶる。ここで予想外の出来事が起こる。この日は雷が鳴っていたため、露天風呂が利用不可になっていた。入館料がそこそこ高いので、正直この仕打ちには落胆してしまったが、為すすべもないのでジャグジーに肩まで浸かる。身体の適切な位置に水流を当てるダウジングのような行為のみに専念した。腰や肩よりも手首が抜群に気持ちよかった。普段重いマウスを使っているせいだ。

コリもほぐれてきて顔を上げると、浴場の広さに対しそこにいる人の数が明らかに多くてぎょっとした。理由はすぐにわかった。皆、露天風呂待機なのだ。雷の心配がなくなり露天風呂が開放されるのを待っているのだ。そうだよな、ここまで来て露天風呂に入らず帰るわけにはいかないよな。

男たちの願いが天に通じたのか、数分するとスタッフが現れ、立入禁止の看板を撤去して宣言した。「お待たせしました、これより露天風呂をご利用いただけます!」
ああ、なんていい仕事だろう。スタッフさん、このセリフを言う瞬間はさぞかし気持ちがいいだろうなと思った。
全裸の男たちはぞろぞろと露天風呂入口へと向かって歩き出した。皆無言だったが、浴場には確かな高揚感があった。その姿は明治の洋画家、青木繁の名画「海の幸」を思い起こさせた。
わたしは相変わらずジャグジー風呂にいた。慌ててすぐに露天風呂に向かうのがちょっと恥ずかしく感じられた。でもそんなしみったれた自意識で好機を逃していてはいけない。私は中年で、もうそんなに悠長にしている時間はないのだ。待っていろ、露天風呂。わたしは立ち上がり、海の幸の一員となった。

露天風呂の温度は高めだった。肩から上が涼しく、肩から下が温かい独特の感覚を楽しむ。浴槽の付近に設置してあった簡易的なリクライニングチェアのようなものにも寝そべってみた。よく考えたら見知らぬ誰かが少し前まで全裸でここに寝ていたんだよな、と思ったときにはもう臀部がしっかり座面に載っていた。退くには判断が遅すぎた。
ふと見上げると植木の葉の緑と、花のピンクと、その向こうに青空が見えた。太陽の光が全身に注ぐのを感じる。やさしい熱を感じる。どこからか鳥の声が聞こえる。風が少しだけ吹いている。雲がゆっくり動いている。
あ。世界だ。世界がある。
やった。世界が、世界があるぞう。
唐突に、眼の前の環境に尊い美しさを感じた。
来てよかった。

わたしはなるべく、「今、ここ」に集中して生きていたいと願っている。なぜ願っているかというと、それが普段、ろくにできていないからだ。起こるかどうかもわからない未来の出来事に怯え、どうしようもない過去の出来事を思い出しては後悔している。それは脳の自動運転であり思考の癖であるのだが、どうにかこの悪癖を解除したいと考えている。
とはいえ今に集中するのはとても難しい。そもそも「集中できている」というのは何らかの行為を経てたどりついた「状態」だから、それそのものを実践しようとするのはちょっとおかしい。だから持続できるやりかたがわからなかったのだけど、この日露天風呂で木や空や光を眺めていたとき、自分の中でやかましくオラついていた言葉が、過去が、未来が、はらはらとほどけて霧散していくのを感じた。そして「そうか、世界を観察し続ければいいんだ」というシンプルな答えに辿り着いた。じっと入念に世界を観察していれば、その間厄介な自我はオートマティックに消えてしまう。

その後は食事処で昼食とビールを摂取し、休憩スペースで寝転んで漫画を読んだ。露天風呂での感動に比べると、可もなく不可もない体験だった。風呂で感じた、最高の日になるかもしれないという予感が徐々にトーンダウンしていくのを感じていた。もう夕方だった。館内から青黒いグラデーションに染まった美しい空を見て、帰ることにした。支払い手続きをして出口に向かう途中、今来館したばかりの人々とすれ違い、この人たちの楽しみはこれからなのだと思うとなんだか羨ましくなった。

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