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~キャリアとは何なのか~ ③

🔹この記事は自身のブログに2020年夏に投稿したものです。


自然が好き、食べ物が好き、畑仕事好き!

✖️「海外営業」となると、青果専門商社への応募と偏っていた。

結果は見事全敗。

その中である1社が面接を通して、事業内容にも印象が大きく残った。
お見送りのメールを頂いた後に、御礼メールとそして今後いつかまた、貴社に再応募していいかという連絡をした。

それはそれは
ラブレターかというほど熱い想いを綴った。


その思いが通じて?
敗者復活戦で見事その会社への就職を勝ち取った。

私はその企業初の女性営業として採用された。


現実は厳しかった。
体育会系の青果業界✖️商社
OJTなどで教えられることもなく、仕事は見てマナベ文化が浸透している。

残業当たり前、パワハラ当たり前、罵声が聞こえてくる社内。

良い職場環境だとは言い難かった。

私はある上司に委縮してしまい、とにかくその人を恐れていた。

業務以外の事に気を揉む毎日。
80時間以上の残業が毎月積み重なり
さらには年間休日86日・・・

今思えば疲労と職場環境で業務に集中できていなかったからか、ケアレスミスも多かった。

またそれが更にその上司の反感を買うことになり、今思えばただのいじめみたいになっていた。


その上司はクライアントからも嫌われるほどの人柄だったけど、ある程度の権限があったため裸の王様的な存在で、鶴の一声でなんでも通るくらいの威厳があった。


一生懸命
懸命に働く日々

過敏性腸症候群は治らないし、即レスを求められたので、携帯を2時間見ないことも実質許されず、大好きな映画館で映画を観る娯楽も失われ、友達と会える時間も少なく、深夜に仕事をすることもしばしば・・・

もう心身ともにヘトヘトだった。

それでも私は学歴がないから、職歴で実績をと、がむしゃらに頑張っていただけだった。

そんなある日、お正月休みの時。

トラブル発生して、上司に感情任せに怒られた。
正月になにしとんねんという。

それはアシスタントのミスだったが営業の責任だろうと。

そんなことは日々日常。

だけど、
その日は何かかがぷつんと切れた。

きっと新年早々にこんな現実への絶望もあったと思う。

どうでもよくなった。
仕事なんてほんとどーでもよくなった。


その1か月後私は退職を申し出た。

会社からは止められたがさらさら残る気もなく、後ろ髪もひかれることなく2年でこの職場を辞めた。


続く

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