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『過眠』考察

この曲は2ndフルアルバム「ぐされ」に収録されており、映画「さんかく窓の外側は夜」の挿入歌として起用されました。MVが無い曲の考察をするのもなかなか面白いのですが、『過眠』が何を表しているのか、私が辿り着いた答えに胸が痛くなったのを覚えています。

考察の前に、是非とも読んで頂きたい記事があります。

そして、このReal Soundの記事にACAねさんがこんな反応をしているのです。これが1つ目の注目ポイントです。

「誰かを生き返らせようとでもしているのだろうか。ありがたいお言葉だ。。」この発言、気になりませんか…?

私はACAねさんが作る曲には、決まった法則と関連性があると考えています。どの作品も、それぞれが独立して曲として成り立っているだけでなく、歌詞の端々に他の曲との繋がりがあるように見えるんです。まず、実体験を曲にしているということ、そして、簡単に悟られないように解読不可能な言葉遊び(更に韻を踏んだり、ダブルミーニングにしたり、その奥行きは計り知れません)をして、ありふれた歌詞なら「あ、そうなんだ」で終わってしまうリスナーの心を‎翻弄させているような感じがするんですよね。人によって違う解釈、そこから生まれる共感の輪、もっと聴き込んでACAねさんが歌詞に込めた真意を知りたい…様々な感情がリスナーをずとまよの世界に引きずりこんでいっている気がします。
私はこの『過眠』はいくつかの曲と繋がりがあるように見えました。『正義』『暗く黒く』『花一匁』の3曲です。

『過眠』にピッ、ピッっていう電子音が終始鳴っていますよね?あれ、心電図の音みたいじゃないですか?ACAねさんの投稿を見るとなおさらそう感じました。ドクターのずとまろさんにも確認してもらったんですが、「確かに心電図の音みたいですね」と言われました。それから『花一匁』のMVの舞台は病院ですよね。「ずっと真夜中でいいのにって溢した午前5時。」で始まる『花一匁』の考察、その原曲であろう『黒く塗りつぶす僕らを』の歌詞(私はこの歌詞を初めて見た時、病院のシーンを想像したのです)も読んでみてください、面白くなると思います。

大切な誰かが病室で横になっているシーンが目に浮かびました。『花一匁』の考察でも述べましたが、これがACAねさんのお母さんと仮定して考察を進めていきたいと思います。(なかなか深すぎて悲しい内容なので、読みたい人限定にしておきます…心の準備ができた人はどうぞ)

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