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本能の衝動を、理性の言い訳が覆い隠す。

Aを共有したい人はA.
Bを共有したい人はB.

個人的な会話によりそれは可能になる。

死んでいないのに死んだ人間Aがいる。
俺のAを受けれるのはAだった。

この人に替わる人はいない。
このAは自分だけのものにしかならなくなった。
Aとは、Aと交流することで自然と生まれたものだった。

しかし、それ自体は珍しいことではない。そして、私は自らに共有への欲求がある自覚を持つ。この欲求はさらに先にあるものを求めている可能性がある。

本能の衝動を、理性の言い訳が覆い隠す。
自らの中のそれを、可能な限り自認することが正しく見るということだろう。


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