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序文「酒場のぷりンス」ぷりa.k.a.星葡萄

この本を書くにあたって

書影

 この本を書くにあたって、改めてぼくが店を選ぶ基準は何かを考えてみた。

 料理がおいしいのはもちろん。他にもいろいろな理由があるなぁ。1000円くらいで満足できるならまず、合格。でも、安いだけでなく、なぜ、このメニューは他の店より高いのだろうか?とか、食べながら理由を考えてみたり。あと、原価を計算をするのも好きだ。どうやってこの店がこの価格を維持しているのか。できているのか考えてしまう。そのお店で働いている人の人柄や雰囲気の良さも大切。あたりまえのことがあたりまえのようにあたりまえにそこにあることってけっこう難しい。当たり前も大切だけど、その場でしかできない体験ができるなら時間も作るし、遠くにだって足を運ぶ。それには労力を惜しまない。

 飲み屋でしか会えない人たちがいる。業種もバラバラ。でも、なぜか酒場で出会った人たちとは今でも仲がいい。酒の席では上下関係やしがらみもないからだろうか。ただ目の前にある酒を飲んでいるうちに気持ちがほがらかになり、突っ込んだ話も聞けたりできる。そういう瞬間に立ち会える場所が好きなのかもしれない。

 自分で調べて、店を探すこともあるけれど、信用できる人の情報や、酒場で出会った人の情報、世代を超えても聞けて気になったことはとても大事にしている。まず否定をせずに飛び込んでみる!をモットーに現場に行ってみてから、判断するようにしている。ネットの情報はあまり信用しないし、実際にがっかりすることが多い。徹底的な現場主義なのだ。飲み屋さんをまわるときにとくに気を付けていることは、飲みすぎないこと。いろんなお店を見たいので、サクッと雰囲気を見たりしながら、メニューを考察して、気に入ったマスターがいたら長居し、場や状況に応じて1回目はおおよそ30分ぐらいで酒つまみ一品で1000円以内で落とすようにしている。個人店のお店で安いお店でも1時間2000円ぐらい落とせば、おおよその飲み屋さんはこの人はいい客だということをわかってくれる。次のときも通いやすい。

 いわゆる酒場ライターは、古典酒場をあげているけど、チェーン店などの居酒屋をとりあげなかったりする。通ぶってるかんじがすこし鼻白む。有名無名、分け隔てなく、店を判断するべきだとか思ってしまう。チェーン店でも特色があったり、おもしろいところがある。そういうところも見逃してはいけないと思う。

 友人のパウロ野中さんと飲むときには、チェーン店の居酒屋に行くことが多い。ファミレスであれば、ドリンクバーだけ頼んでも店員さんに文句を言われることがない。場所によっては、子ども連れでも何も言われず放置しながらでも飲むことができる。阿佐ヶ谷の土間土間なんかは、平日は人も少なく、生ビールも1杯100円という安さだ。居酒屋チェーンの店、かまどかの3時間3500円の飲み食べ放題のメニューが食事10品、飲み放題の日本酒メニューに14代、獺祭など1杯1000円するプレミアムメニューが飲み放題に含まれていて、衝撃だった。でも、このメニューは今はないけれど。港区・千代田区・中央区などにある、高層ビル内にある、商業施設の、その条件でしか作れない空間作りにも新しい発見があった。

 ぼくの食べること、飲むことは、イベントの企画の延長線上にあって、まったく変わっていない。食べること、飲むことを値段の安さだけでは選んでいなくて、付加価値、色んな視点から考察したいと思うから飲み歩いている気がしてきた。そうか、自分はどういうふうに作品や、ものや、人やあらゆることをどういうふうに感じているのか。その発想や見方を豊かにするために、そして鍛錬や活動するためにやっていることに、今、気がついた。音楽・美術・映画・演劇・ダンスなど芸術作品を鑑賞していると、段々と自分の価値観が生まれてきて、感覚がどんどん頭でっかちになっていくし、言葉もうまく伝えられなくなるけど、飲食は五感も感じやすいし、ハッキリとすぐに伝えられることがとてもよくて、新たな感想をもてるのがよいのかなぁ。何かのきっかけの出会いもあり、そこでまた広がりができて、もう少し柔らかく、いろんなことをみれるようになったのは、良かったなぁと思っています。

今回はチェーン店はとりあつかってないけれど、ぼくが頭でっかちな人間にならないように。一度、書き記しておきたい。まとめておきたいと思って、書いた気がします。

これは酒場の話でもあるけれども、自分という人間が何に価値を見出しているのかを書いた本になったと思う。

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