見出し画像

すすきのホテル殺人事件に思うこと。

 猟奇殺人について。気が狂っているひとに惹かれてしまう。そうだとしたら今回の「すすきのホテル殺人事件」がかなり異質なことがわかる。マジか。と思ってしまった。ここからどれだけひどいことが起きていたのかあきらかになるとして、「北九州監禁殺人事件」が一番、きついと思っていたがそれを上回るかもしれない。アルコールやドラッグで脳がイカれるシリアルキラーの事件とはまた違う。「神戸連続児童殺傷事件」との類似点がみられるが女性でここまでのことをしたのははじめてなんじゃないか。
 近年、女性主犯の事件が増えている。元祖を辿ると、安倍定ではないか。

 暴力と性欲は途端に結びつく。

 どこまで知識があったのかわからないが、「殺す」を理解できなかったことがわかる。圧倒的な支配力。いうなりにすること。洗脳でリフレッシュした脳にあらたな知識を植え付ける。モンスターを30年も内に秘めたのだ。抜け出せない座敷牢のなかで飼い慣らそうとし続けた。そこには自責の念がある。ひとは脅せば言うことをきく。こう学習してしまった人間がエスカレートする。止められないことは怖かったはずだ。しかし、それは簡単に麻痺する。思考を停止させればいいからだ。

 いまのところ興味深い点として、「死んだ自分のなかにあらたな人格があった」という証言である。自分を殺した。そこから奔放な自由があった。制御が効かなくなった。恐怖は思考を低下させる。それを知らない人にはわからない。理解が追いつかない。それでいい。大きな抑圧があった。おそらく。暴発のきっかけはあったのだろう。奇妙な共犯関係が家族中で結ばれたのは「楽」という言い方もできるがそれだけではない。理解できないものを産んで、育てた。テストパターンがないのだから。

 痛みとは。痛さとは。

 軽々しく奪っていい命などない。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?