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2024,5,12 母の日に起こったこと

【朝】

今日は日曜日で
昨日、遅くまで起きていたから
朝はたっぷり寝坊をして起きた。

長男は早々に友達と遊びに行き
その「行ってくるねー」で起きる覚悟を決めた。

起きたら白米はもう残り少なくて
旦那になんで炊いてないのかと問い詰め、
母の日なんだから炊いてくれと半強制的に依頼した。

のそのそと他の家事をこなしているうちに
次男が大きめの公園に行くので
旦那と三男も一緒に行く話がまとまっていた。

私は長男が鍵を持たずに出掛けて行ってしまったので
家にいることにした。

【昼】

ゆっくりと昼食をとり、次男たちが家を出たのは14時頃。
その30分後くらいに長男が帰宅した。

友達と片道3.5kmほどの距離を歩き、海まで行っていたらしい。
売店で売っていた小さい子向けの熊手を購入し、潮干狩りまでしてきた。

その行動力に嬉しくなっていたのも束の間、
「水筒忘れてきちゃった」という長男の言葉。

急いで問い合わせると、トイレに置きっぱなしになっていた水筒が
無事に見つかった。

最初は自分の責任だからと一緒に取りに行くつもりでいた長男だが
ソファに座っているうちに動きたくなくなったようで
「できたらお母さん一人で行ってほしい」とな。

えー、今日母の日なんですけどー
労って欲しいんですけどー
と思ったけれども、
さすがに7km歩いたヘロヘロの息子のことは休ませてあげたいので
母は母の日に息子のためにチャリを飛ばすことにした。
ちなみに車もないし免許もない。

【海】

息子が行った海は私の実家からそう遠くなくて、
ちょうど、我が家と実家の間あたりにある。

正直はじめは、まるで貧乏くじを引いたような気持ちになっていて
何で私が。とか、何で母の日に。とか思っていたけれど
海までの道は高校生の頃によく通っていた道で、
少し変化した建物たちを見ていると楽しくなっていった。

海が近づき潮の香りがしてくると
これまた何とも言えない懐かしい気持ちになって
身体の中が満たされていく感覚になった。

昔はなかったおしゃれな道や建物の横を通り
ちょっと写真なんかを撮ったりしながら
無事に水筒をゲットし、ミッション完了。

そこでふと、ずっと行きたかった公園を思い出したので
ちょろっと行ってみることにした。

【地元の隣町】

海のすぐ近くにあるのは私の地元の隣町だ。
子どもの頃はなかなか行けなかったけど、
楽しそうな公園があったのをぼんやりと覚えていて
その記憶が合ってるのか確認したかったのだ。

いくつかの横断歩道を渡ってたどり着いた公園は
こんなだったか?と不思議に思った。
場所が違うのか、私の記憶が違うのか、もう分からない。

小学生の頃、多い時は週2〜3で行っていた市民プールもあった。
覗こうとすると、プールサイドは見れるのに
水の入ったプールの方は柵の角度的に全く見えないようになっていて
子供達の水着姿が外部から見えにくいようになっていたのだと
大人になって初めて知った。
私たちは知らないうちに守られていたんだ。

他にも気になっていた公園に行ったけれど
全てが「こんなだったか?」という感想だった。

頭の中で美化されていたのか、
子どもの時にはすごく魅力的だったものが
今では魅力的に見えないのか。

昔通っていた歯医者も、塾も、すごく小さい建物で
当時、行くたびにワクワクしていた遊具もとても小さくて
大きく感じていた道幅は狭くて
長く感じていた距離はすごく短かった。

自分はこんなにも狭い世界で生きていたのかと驚いた。

【地元】

地元が近づくにつれて会いたくない人の顔が浮かんだ。

考えてみれば、子どもの頃って、しんどかった。
全てが手探りで、ケンカしたり、怒ったり、怒られたり。
イヤな気持ちになったり、イヤな気持ちにさせたり。

だから、あの頃に戻りたいなんて全く思わない。

じわじわと、いやーな気持ちが湧いてきた。

それと同時に
「あぁ私、今が1番幸せなんだ。」
と気がついた。

あの頃欲しかったものが
いま全部手に入ってる。

それは、私が今まで
頑張ってきたからだ。


自分の気持ちを大切にして
自分のイヤだと思うことも大切にして
自分の望むことを少しずつ少しずつ
叶えてきたからだ。

優等生じゃなかったし、
親を心配させたこともあった。

テキトーに生きてた時期もあったし、
生きてるのがしんどい時もあった。


だけど全部 全部全部
いまに繋がってる。

【母親】

実家の近くまで来て
実家に寄ろうかと思った。
母親に電話しようかと思ったけど、仕事かな。

もし休みだったとしたら。
会いに行ったとしたら。

何でか分からないけど
多分泣いてしまうと思った。


特別辛いことがあるわけじゃないのに。
だからって、「お母さんありがとう」なんて
はつらつと言える気持ちでもない。

ただ、わーって何かが出てきてしまいそうだった。


出してしまっても、きっと良かった。

昔、大好きだった友達が転校してしまった時
いやなことがあった時
失恋した時
大泣きしてる私の頭や背中を
「よしよし」と優しくさすってくれてた母親。

きっと今行って泣いてしまっても
吐き出させてくれると思った。

笑いながら、「どうしたのー!」って言いながら
もしかしたら、もらい泣きをしながら
背中を押してくれたと思う。

だけど、今の私はもう、自分で乗り越えられるから。
あの時欲しかったものはもう、全部あるから。

【母になる】

実家の近くから、高校へ行くときに通っていた道を通りながら
自宅へ帰ることにした。

当時のことを思い出しながら、
その道を通って自宅まで帰れることに不思議な縁を感じながら
自転車を走らせた。


子どもの水筒を取りにイヤイヤ家を出て
子どもの頃に過ごした町を抜けて
高校の時に通った道を進んで
我が家へ。大人へと戻っていく。


長男が水筒を忘れてくれたこと
今日が母の日だということ
ふと地元巡りをしたこと
母親に思いを馳せたこと

全てが何でもないことのようで
キセキみたいなことだった。


子どもために動けて良かった
子どもの目線で母を想えて良かった。


家に帰ったらいつもの私になる。

子どもたちにとってのいつもの
母になる。









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