レインズ・デイズ・アフター⑪終焉
裕太の苦痛なる献身が実を結んで、できたものは『ティアーズサンクチュアリ』、“サンク”だった。
ディズニーラン△、US△ジャパンのティアーズ版。
いつでもだれでもそこに行けば、誰かしらティアーに会えるし、小劇場も寮も併設されてる。
中に入れるわけではないけど、お目当てのタレントの部屋のドアだけは知れる。
入るところが見える訳ではないけど、ドアの開閉は見れる。
ギリギリのサービスが呈されてしまうのだ。
マーチャンダイズ商品の売り場もあるし、ティア一自身があみだしたレシピ、グッズ、生活用品、一般商品、出版物なども売れるわけで、事務所が個人~タレントもファンも~を絞り切るにはうってつけの足場となるのだ。
裕太の心を踏みにじって、マムンが交流した爺いどもは、銀行屋、代理店、土建屋だった。
ハコモノ、中身、コンテンツ。
巨額が動くための調印式の余興が俺たちだったのだ。
でも朗報。
(朗報で良いのかな?)
裕太の母親が死んだ。
薬物の過剰使用。
マスコミの一部には、裕太の汚染も疑いたいやつらがいたけど、そういうとこ裕太は真っ白で。
折から契約更新の時期でもあり、裕太はついに反旗を翻した……つっても些細なことだ。
契約を更新しなかっただけのこと。
裕太が強気に出たから、俺もこの際ってんで、もう歌わずに済むように、一緒に辞めさせてもらうことにした。
食い扶持は必要なので、作編曲と作詞を受けたりはする。
ソニック、KYOTO、少年T、そのあたりの、それもアルバム曲をちょっと手掛ければ、男一人何とか食べていける。
もともとマスコミで食べようと思ってたわけじゃないから、そのくらいでちょうど良かった。
たまに、あの人は今、的に思い出される。
マムンに言われて回らなかったやつ
これ意外に使えてるフレーズ。
そして裕太はというと、ティアーズ上がりとしては破格の未来が待ち受けていたのだった。
ティアーズを出て生き残ったアーティストはほとんどいない。
かつて一世風靡したレモンもはちみつも、生き残ってはいる。
でもそれは、ティアーズに牙剥いてないからだ。
戦わず喧嘩せず、噛み合わないよう用心し、つぶされないように立ち回る。
それがOBのありかただったのだ。
実際実情暴露しようとしたあるOBは、完膚なきまでに叩き潰され、今は存在さえ忘れ去られてしまった。
だが、世界は裕太を放っておいてくれなかった。
世界的に有名な海外のプロモーターが、裕太の声に惚れ込んだ、悲劇はここから起きた。
レインとしての裕太の最後の日々、東京ドームを皮切りに、日本全国の大きな会場という会場を渡り歩く、ビッグツアーが行われたのだが、締めくくりの某アリーナ、ヘリコプターで登場した裕太を乗せたまま、縄梯子が切れた。
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の、まるでカンダタのように、かれの真上でそれは切れ、重力に逆らうことなく裕太は墜ち…
即死だった。
その日俺は少年Tの、鯛川ティリーのソロ曲の立ち会いでスタジオにこもってた。
勘のいいティリーが、何度も同じとこでトチッての13テイク目、いい加減苛立ってた俺は、14テイク目の、ティリーの、打って変わったような見事な歌唱に心を奪われた。
伸びやかなリフレイン部分聞きながら、突然涙あふれて、あふれてあふれて止まらなくなった。
何で。
そのときはわからなかったけど、後で聞いたらその時刻が、裕太の墜死した時刻だったそうだ。
それでも地球は回っている