れなとわ



大筒教授は有名だ。
執筆家として名を馳せている他に、人気スタンプメーカーだし、本来の、生物学者としての名声も大したものだ。
ゼミ生に選ばれてよかった。
僕は再生医療に進みたいから大筒教授の指導を受けたって言えば、どこのラボでも入り放題だろうと思ったのだが……
全く別種の苦痛を味わう羽目になるとは…


女の子の森


半年間パシリやらされまくって、パシってパシッてパシリまくった。
生まれながらのパッシーってあだ名が付いた頃、大学院生の谷田さんが研究室卒業と相成った。
後を託すのはおまえにしたけど、口軽かったらおまえ一生後悔すんぞ。

??

大筒教授と初めて二人きりになる。
守秘義務の書類にサインして、指紋認証のオートロックの分厚い扉のその先に、その世界はあった。
胚。
分裂。
人体らしくなっていく過程。
エイリアン4のラボみたいだ。
でもホルマリン漬けになってるのはフェイスハガーではなく、様々の、とてもきれいな女の子だった。

思い出した。
人格者で知られる大筒教授だけど、唾棄すべき癖(へき)も持っている。
それはアイドルの遺伝子集め。
テレビ局に出入りする間に失敬してきたものは、アイドルA美の飲み残しのコーヒーだったり、アイドルB代のはなみずのついたティッシュだったり、アイドルスケーターの生△用品だったりと、ぞっとするようなものをびっくりするほど集めているのだった。
中でも教授が自慢なのは、1980年に自殺した『れなとわ』のとわの遺伝子だった。
ロカールの法則って知ってるよね。
“異なる物体が接触する時、一方から他方へその接触した事実を示す何らかの痕跡が必ず残されるという原理”。 ロカールの交換原理ともいうね。
エドモンド・ロカールにより提唱されたそれの恩恵で、私はとわの遺伝子を持っていてね…

話はほとんど聞いていなかった。
そこにいたのはたくさんのとわだった。
大小。
成熟途中。
複製失敗。
失敗は多かった。
ほぼ完璧だったのに、半身がひきつれている、というのまであって、まさに悪夢そのものの世界だ。
でも、とわは美しくて、教授を責める気持ちより先に、魅了されてしまう。

ここまで来てるなら、完全体も…

できてるよ。
ただちょっとやりたい趣向があってね…

趣向。
相手は人間だぞ。
なんて言葉を使うんだ。

人間ではないよ。
20××年の文科省通達で、不妊症治療を除く再生人体についてはこれを臓器あるいは玩具と定める、そう晴れて明文化されたからね。

玩具。
人間が玩具。
大筒教授の言ってること、わかるようで全くわからない。

とにかく君の仕事は、この子たちの日常の世話だ。
人数多くて大変だろうがよろしく頼む。

頼まれてしまった…


実験動物の世話


その日から僕の大筒アシスタント生活が始まった。
半身ひきつれてるコ~僕はいちおうツレちゃんと呼んでいる~のとこまではホルマリン保存のケースだから掃除だけでいいが、保育室には少女たちがキャアキャアしている。
いちおう人間だから、片づけも掃除も出来るが、まくら投げもいたずらも出来る。
みんなとわだから区別つかないし、よく笑いよくさざめく。
ワーキャーしてる彼女らに僕は、静かに! とか、邪魔するな! とかそんなこと怒鳴ってばっかだ…
ゼミ友がいう。

どうだい? 大筒教授の研究アシって。

過酷。
後は守秘義務。

それじゃ何もわからんじゃねーの。

だって守秘義務だから。

おまえ香水の香りする。
なんかやらしい研究かああ?

ゼミ友には笑われるが、こっちはけっこう深刻だ。
だって香水って奴らが思ってるのは、古いとわの死臭なのだから。

気づいたのはとわ七号の消滅のときだった。
再生人体はひどくもろく、少し熱出るだけで死んでしまう。
生体組織も死んでしまうので、少しの水を残して何にもなくなってしまう。
そしてその後にはかなりきれいな甘い香りが漂う。
りんごみたいな。
それを嗅ぐたびに、僕はやるせない気持ちになる。
ここのところ七号、十二号、十四号と立て続けだったので、僕はかなり参っていた。
日常の出来事なら、それこそゼミ友にでも話して、少しバカ騒ぎすれば収まる。
でもこの件は守秘義務だ。
次々死んでく実験用のとわたちが、僕は痛ましくてならなくて…
でもそういいながら僕は実験動物係で。
やめればすむけど、やめたら次の動物係が雇われるだけで。
僕は胃をキリキリいわせながら、事態の推移を見守るしかないのだった。


オフの日


その日僕は一日じゅう、3DVDを観て過ごしていた。
活動期間の短かったとわは、七枚のアルバムしか出しておらず、永いときを経て3DVDになっているのはそのうちのニ枚と、メモリアルディレクション一枚の、合計三枚だけ。
それでもあるだけましなのだ。
この世にはどのくらいたくさんのアイドルの卵がいるのだろう、いたのだろう。
輝けた数人の他のコたちは、生きてても誰にも知られず、なまじっか知られてる場合は静かに暮らすことさえ許されない…

高校時代クラスにタレント上がりのコがいた。
もうテレビとかやめていて、教師になりたいからってふつうに受験勉強してた。
でも学校にもファン来るし、あの人は今みたいな取材も来る。
ついには受験は売名目的? みたいに書かれまくって…

はっと気づく。
川相(かわそう)あかね。
彼女も自殺を…

じっとしていられなくって、僕は大学に行った。
セキュリティ一通って奥へ。
新しい甘い匂いはしていない。
ホッとする。
と。
奥から細い歌声。
歌?

幾千の
時を越えて
出会いたい
人は
一人
幾億の
あやまちの後でも
待ってるの
あなただけを

『れなとわ』の、“永遠”だ。
でも、どこから?
いつも世話してるコたちのとこからじゃない。
もっと奥から…聞こえてる…

壁にみえるところに耳を当てる。
歌声が強くなる。
指紋認証あるはずと、あちこちさわっていたら、不意に壁が横様に開いて、
僕は室内にまろび入った。

一面の…
ハニカム構造……

一仕切一仕切に入ってる“それ”。
ティッシュ。
ごみ。
噛み捨てたガム。
タバコの喫い殻。
それから、それから、それから…
一仕切ー仕切に名前が振られてる。
アオイ ミナ
アハラ フミ
アハラ マイ
アリサワ ミドリ

アイウエオ順なのか?

ウリノ リサ
エノサワ キョウコ
オオノ マイ

カワソウ アカネ……

数本の髪の毛が入っていた。
そして僕の背後には、いつの間にか教授が立っていた。

「君と同じ学校だったようだね」

「教授!」

「仲よかったんだろ?
 君がいい子でいるなら、作ってあげてもいいんだよ」

作ッテアゲテモイインダヨ。

なんだそれ。
あかねはあかねの父さんと母さんのもんだ。
あんたが作るものじゃないんだ。
それに声。
歌声。
まだ奥から聞こえてる。
あ咳込んだ。
風邪……
ひいてる??
僕は思わず教授をみる。
教授は頷いた。

「8℃出た。明日には消える。最高の出来だったのに」

そう言って、教授が指さす先にそれ、


14センチのとわがいた。


ティーカッププードル


プードルの中に、ティーカッププードルという種類がある。
いやない。
公式にみとめられているプードルは、スタンダードプードル、ミディアムプードル、ミニチュアプードル、トイプードルの四種だ。
なのにもっと小さいプードルが売られてる。
タイニーと、ティーカップ。
小さければ小さいほどかわいい主義の生んだ極小のプードル。
それがティーカッププードル。
教授はそれのとわ版を作ったのだ。

教授が作りたかったものって…これだったんですか。

かわいいだろう?
歌も教えた。
なのに死ぬ。
はかなすぎる。

はかなすぎるって…

勝手に作ったんだろうあんたが!

怒りが一気に沸騰した。
気づいたらとわを掴んでいた。
教授を押しのけ走る。

どこへ行く!

どこって!!
とにかく何かしてやりたかった。
遺伝子保管ハニカムを抜けて通常とわ室。
生き残りのとわたちが、一斉に僕の手の、小さなとわを凝視したが、次の瞬間みんな叫んだ。

出したげて!
外!
世界!
全部!!!


“全部!!!”に込められた、全てが僕を押しやった。
追いすがってくる教授を遠ざけたくてさらに走る。
横を抜け際ツレちゃんのホルマリンケースを揺らしてしまった。
ツレちゃんっ!! って思ったときには既に倒れかかってて、教授はもろに下敷きになった。
ホルマリン液の中でツレちゃんが揺れた。

行って。

ツレちゃんも言った気がして、僕はさらに走る。
ありがとうツレちゃん。


どこをどう走ったか、とにかく大学は抜け出した。
胸ポケットのとわが薄着なのを思い出して、まずショッピングセンターに行った。
いま少女らに人気なのはリマちゃん人形よりアビゲイルだ。
アビゲイルのドレスを手当たり次第買って、駅へ向かうバスに乗った。
とわはただもうキョロキョロで、車窓と車内を見回してる。

怖くない?

囁くと、

いえ、なんか、すごいです。

すごいどきどきしてるみたい。
熱もあるんだ、つらいだろうに。

外に……いるんですねいま、わたし。

あそこの方が……よかっただろうか。
人生の最後に冒険て。
人生はドラマじゃない。

どこか行きたいとこある?

囁くと、小さなとわは僕を見上げた。

見たことないので……
せっかくなので……

海へ

波が寄せる。
波が引く。
小さなとわはじっと見つめてる。
あそこで着てた薄物のドレスの代わりに、いまはアビゲイルの長袖Tシャツにジーンズ、さらにGジャンを羽織ってる。
アビゲイルのドレスセットはちょ一高いのよね。
おませな従妹が言ってたのを思い出し、青くなったけど、この小さな横顔のためなら惜しくない気もして。
僕、ほんとは気づいてた。
僕預りのとわも、だんだん小さくなってきてたんだ。
成熟前だからだと思おうとしてたけど、異様ではあった。
二十七号の身長が1mを切った段階で、僕はおかしいと気づくべきだったんだ。
でも、気づいたからって、僕には何ができただろう。
それも思う。
でも、でも……

命は玩具じゃない!

海と
空と
砂と
夕日
風と
海の匂い

全てが初めてのとわだ。

わたしね。
なんで歌うかも知らないで歌ってたんですよ。

そうだよな。
とわはとわだけど、きみは『れなとわ』のとわじゃないんだから。

わたしはわたしなんですね。
ありがとう。
わたしを連れ出して

くれてと言ってくれる前に、
夕日が沈みきる前に、
一番小さなとわは消滅した。


僕の話はこれで終わりだ。
大筒教授は学内で個人的な研究に勤しんでいた件で解雇になった。
僕は教授を解雇に追いやった危険なゼミ生として(汗)、大学からも学友からもイヤーな目でみられてる。
卒業していいのか中退した方がいいのかも決めかねてるとこだけど、こないだ谷田さんにばったり会った。

俺生化研に内定したぜ。
おまえにも道開いてやる。

そこで声を少し落とした。

ハギノミアサ好きだったんだ。
復活させるの手伝ってな?

笑いながら去ってゆく背中に、僕は誓う。
生化研へ行こう。
谷田さんが暴走したら、その時は……


僕はとわとあかねに誓った。
人が人を弄ばないために僕がいる。
少なくとも僕はそう思っている。



それでも地球は回っている