華金と好き嫌い-諫早勾留記709-
久しぶりにお酒を飲んだ。2週間ほど飲んでいなかっだろうか。今週は妙に疲れたということで夜は豪勢に。ビールに刺身、寿司、ステーキ肉と揃い踏みで臨む金曜夜、ビールは足りず常備しているパックの焼酎をちびちび飲みながら大笑いの夜だった。
疲れ果ててお開きにしようかと思った頃には胃がもたれている。明らかにステーキのせいで、牛肉は脂が多いことを思い知らされた。これも歳のせいかと感じるけれど、焼肉に行ってももたれないのにスーパーの肉だともたれるのだから肉の質のせいかもなとも思う。そういえば最近は焼肉も行っていないし簡単にそう決めつけるのはよくないな。
食品の質っていうのが私たちに与える影響は大きい。私が食事が好きなのは、幼少期から採れたての野菜や稲刈りをしたあとすぐに精米した新米を食べてきたお陰だろう。地元鹿児島は食の宝庫、新鮮な刺身も新鮮ないいお肉も手に入った。美味しくない食材がないのである。祖母は味噌だって作っていたし蕎麦も作っていた。大豆や蕎麦の収穫は子どもの頃によく手伝ったものだ。もちろん田植えに稲刈りも手伝ったわけだけれど、食材を作る苦労というものを知っているからこその美味しさというものもあると思う。無論、ほとんど好き嫌いはないし食事を残すのもあまり好きではない。ただ梅干しだけは好きではない。祖母も作っていたけど、酸っぱすぎてたまらんかったあれが一種のトラウマになっているのかもしれない。
もう1つ、食べるのを避けているのは生の玉ねぎだ。これもトラウマなのだけれど、コンビニの玉ねぎサラダがどうも古い玉ねぎだったらしく食べた直後から腹痛やらなんやらに襲われた。胃腸から何まで弱さを知らない私がである。確かにどちらかというと黄色に近かったし、食べていて玉ねぎの辛味が酷かったし、そうなるのも必然だったのかもしれない。生で食べるのは新鮮なものに限るなというのは当時中学3年の私が身を以て感じたことである。
こういうのは全てに言えることだ。物事に初めて触れる機会はとても重要で、そこでどういう体験ができるかどうかというのがその後の印象に影響を与える。ディズニーランドは夢の国だろうけど、悪い思い出しかなければ夢でもなんでもない修羅の国になってしまう場合だってある。カラオケが好きではないという友人もいたが、話を聞いているとどうもそれまでのカラオケにいい思い出がなさそうだった。私だってスケートはもう滑らんと思っているしやったことはないけれどスノボーとかスキーとか絶対にやりたくない。これ以上膝が壊れるのはごめんだ。物事に対する印象というのはその後の人生に多大な影響を与えるわけである。
何事も"いい"経験をするのが大切なのだと思う。美味しいものを食べて家族で楽しい時間を過ごせていれば食事が好きになるだろうし、楽しくスポーツをやってこれた人間は歳をとっても運動を続けるのが苦にならないのだと思う。人間の頭ってのはそんなもの、ここに教育の本質があると思う。
楽しくやりましょうや。
また明日。
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■Good News
・パンも食べたな
・パンは蓮三に限るぜ
・蓮三のパンのお陰でシンプルなパンが好きになった
■Bad News
・夜が明けても胃がもたれている
■今日の1曲
悲しみは雪のように / 浜田省吾