見出し画像

トアル、ハルノヒ。【東京】

とある春の日。この日が緊急事態宣言下だったのか、まん延防止等重点措置下だったのか、そんなことはもう覚えていない。ただこの日、私は社会の風潮だったり、組織のルールだったりは全て無視することにした。知らないことにした。これが今の私にただただ必要なことだと信じ込んだ。少しの迷いと、罪悪感、そしてこの数日が私を大きく変えてくれるという多少の期待を持って、羽田行きの飛行機に乗り込んだ。握りしめたチケットは少しだけ、シワになっていた。

-

電車を降りた街は懐かしい風景が広がっていた。昔何度か来たことがある。羽田はすっからかんだったけれどここはそうでもない。昔はもっと人がいたかもしれないけれど、私が普段住む街とは別世界、でもなんだか慣れ親しんだ風景でもある。旅に慣れていて良かったと思うのは、こうやって色んな街に簡単に打ち解けられること。正直、知らない街にいてもあんまり疲れないのはいいことだ。それに東京は何でもあるし、わからないことはGoogle先生が教えてくれる。

街をぶらついていると、若い女の子に声をかけられた。すれ違いざま、このファッション好きやなあと目を向けた子だ。お兄さん、お兄さん、ちょっとだけ時間くださいと。話の流れで警察からの許可証を唐突に見せられ、まともな会社の子だなと思って話を聞くことにした。話してて不快にはならないだろうし、人間とのくだらない会話には飢えていたしちょうどよかった。色々話していると彼女が20歳であること、希望していた職にはコロナのせいで就けなかったこと、パソコンが苦手なこと、とりあえずこの子は人懐っこい子であること、あたりを理解する。そういえば自分の後輩にも似たような境遇で苦しんでいた子がいたなとか思いつつ話を聞いていると、投資の話を持ちかけてくる。自分将来のこと考えてないんですよーと笑って誤魔化しているとあっさり引いてくれた。こいつは食えないと思われたのか、私との話に飽きたのか、それはわからないが、彼女はありがとうございましたー、失礼します、と礼儀正しく挨拶をして去っていった。私は去り際、頑張ってなーと声を掛ける。後々、手も降っておけば良かったかなと少し後悔した。久しぶりにしょうもない話ができて、少しだけ嬉しかったけれど、彼女的には大して記憶にも残らない20代後半の男性なのだろう。まあいい。

ホテルに到着、チェックインを済ませる。丁寧な館内案内をちゃんと理解しながら聞けるくらいには余裕がある。そんな余裕を持ち合わせた人間であり続けたいと思いながらも、世の大抵の人はそうではないのだろうかと自分の経験を思い返す。部屋に入り少しだけ横になったが、いつまでもこうしてはいられないなと、夜の予定の前に外出することにした。

なんとなく、東京タワーが見たいと思った。東京タワーに登ったことはない。でも何度もあの赤い鉄塔を見上げてきた。最初はあれがかの有名な東京タワーか、と。何度か見るうちに愛着が湧いた。芝公園のあたりは好きだ。東京だけど東京ではないような、でも東京にしかない場所。寧ろ東京らしい場所なのかもしれない。いつかは東京タワーを登ってみたいと思うが、それは叶うのだろうか。なんとなく、私自身が許さない気がする。だって京都タワーだって登ったことはないのだから。そういえばさっきの女の子も芝公園が好き、神谷町が好きと言っていたな。

移動用の小さいかばんを忘れたのはちょっと痛かった。持ってくるはずだったGREGORYのボディバッグは家で眠っている。このバッグもかれこれ5年以上使っているのだろうか。大学時代、母親に誕生日プレゼントとして買ってもらったものだ。そういえば、大人になってからの方が誕生日のお祝いは豪勢になったな。まあそれは置いておいて、小さいカバンが欲しいと思って買いに行くことにした。夜の予定まではもう少しだけ時間がある。行き先はちょっとした思い出の場所、東京ミッドタウン。昔、訳あって赤坂と六本木はかなり歩いた。六本木はなんだか今でも親近感があるが、赤坂はちょっと足が遠のいてしまっている。いつかまた出歩ければいいなとも思うが、いかんせん目的がないから行く必要性も感じない。因みに、ちょうどいいカバンは見つけられず、ただただ歩き疲れただけだった。それでも、久しぶりにミッドタウンに来れて少しだけ嬉しかったから、それでいい。

夜のことは割愛しよう。

-

東京は混沌としていた。酒場には大勢の人間が集まり、店内だけでは席が足りないのか店の前にまで人が群がっていた。ちょっとだらしない格好で酒や食事を楽しむ若者、ちょっとだけ世紀末かなって。身内で何か打ち上げでもやっていたのだろうか。それとも皆、私と同じく限界がきていたのだろうか。

ルールには限界がくる。時が経てば経つほど形骸化し、なぜそのルールが生まれたのかがわからなくなる。先輩社員にそのルールが何故あるか聞いても答えが返ってこないこともしばしば。それに、ルールだから、マニュアルだからこの作業をやる、というようなことも。なんだか残念だけれど、それが現実である。変な話、法令で定められていないのであれば、そのルールは破っても問題はない。その組織や自治体で皆がより良い生活ができるように定められたものがほとんどであるし、なんだかんだバレなきゃいい、というのも世の中における暗黙の了解である。

東京の人はしっかりと文化的な生活を送っているように思える。これだけ首長が叫んでも、死者が出ようとも、ほとんどの人にとっては他人事。それは私も同じことだけど。抑えつけるだけではだめ、バランスを取らないと。私たちは常に秩序が整わない方に動いていくのだから。

-

東京の時間はとても有意義だった。今の私にとっても過去の私にとってもこれからの私にとっても。こんなところでくたばっていてはいけないな。

またどこかで。

画像1

トアル、ハルノヒ、キロクスル。

にゃーん。