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日々の記録21

平日は会社に行くからそう思うことはないのだけど、休日はどことなく寂しさを感じる。元々1人の時間がないと死んでしまうタイプではあるけれど、この寂しさばかりは感じてしまう。恐らくこの休日に1人という状態が半永久的に続く状態であることが原因の1つなのかなとは思っているが、こればかりは私の性質上すぐにどうこうなる話ではない。もちろん仲の良い友達や仲間たちはいるけれど、みな遠方である。そしてみんな今の関係になるまでには相当な時間が費やされたし山や谷もあったわけだ。転勤も経験した私にとっては身近にそういった長い付き合いの知人が存在せず、結局友人というものを持てないままここまで来てしまった。友人が少ないタイプではあるからその事実にはなんとも思わないのだけれど、社会人になってから何でも話せる友人ができていないのは少々悲しくもあったりする。それがこの寂しさの所以なのかもしれない。

最近は自身の性質的な部分に対する考察をすることが増えた。自分の感情をコントロールするため、自分にとってよりよい選択をしていくため、理由は様々だが、嫌いなことではない。なぜこうも友人が少ないのか、心を許せる人間が少ないのかと考えたとき、理由は割と明確で、自身の繊細さに由来する。繊細だから傷つきやすく、その中で傷つくことを恐れるようになり、本音を話せる人は本当に私自身を理解している人だけ。自分の好きなことと好きな人たちと私自身の過去を話せるようになって初めて、心を許せる関係と言える。会社の人にそんなことを話すわけないし、まあそれは多くの人がそうかも知れないが、そういう関係になるにはそれなりに時間を費やす必要があるのである。

この繊細さについての考察は最近のトレンドてあって、またどこかで書き記そうと思う。そんな私も最近はもっと自分のコアな話を知り合いにするのもいいのではないかと思うようになった。本音を話さなければ相手だって本音を話すことはない。そんな単純なことを理解していなかったなということを思い知らされたからだ。

コミュニケーションというのは大切だ。当たり前過ぎて忘れてしまうことかもしれない。お互い何も言わずに分かり合える関係は素晴らしいけれど、そんな素晴らしい関係なんて何の努力もなしに築き上げることは出来ないし、お互い歩み寄るその過程があってこそ色々とうまくいくのだろう。私の人生にはその努力がずっと足りなかったのだなと思い知らされる。まあそれはそれで私という人間を形成している過去ではあるのだけれど、ようやくそれを変えなきゃならないと思えるようになったのだ。齢30、ようやく人間らしくなってきたのかもしれない。

漠然と明るい未来を想像し続けている。それは私自身が前に進んでいるという実感を持ってのものかもしれない。美しい空、白い道筋が伸びる。

この景色にも慣れてしまったな。
また明日。


にゃーん。