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日々の記録6

文章を書くことはやはり感情のコントロールにもってこいだ。この1週間で何度そう思ったことか。

昨夜からどうもこれまでにない動揺であったり喪失感たるものをひしひしと感じる。それが昨日あった出来事のせいなのか、私が素直な気持ちに向き合い少しずつ前に進んでいるからなのか、それとも逆に向き合わないといけないものから目を逸らしているからなのか、それは今はわからない。今朝起きてからもどんよりとした気持ちに包まれている。幸い今日は朝から予定が詰まっており気は紛れるとは思うのだが、これもまた家に帰るまでの鎮痛剤なのだろう。

不思議と涙しなかったこの1週間であったが、本当に自分の気持ちに向き合えているのかと自分自身を疑ってしまう。当初から悲しさよりも悔しさが勝っていたから涙しないことが自分の感情なのかもしれないけれど、やはり一度もそれがないとなんとなく本当の感情から目を逸らしているような気がしてしまう。唯一涙ぐんだ瞬間が親しい友人からの優しい言葉だった。だから傷ついていることは事実なのだろうし、その傷をいたわってやらないといけないこともまた事実なのだろう。そう思うとちゃんと自分の感情には向き合えているようにも感じる。とにかく、まだまだ感情に振り回され続けている。

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1つ目の予定を終える。持病の定期検査である。状況は好転しないが、悩みとして持っていたことは少しだけ払拭された。とはいえこちらも根っこが改善されたわけではない。長いスパンでやれることをコツコツと。この1週間メンタルがグラついていたお陰か、今回は多少良い数値だった。この数値を来月も再来月も続けて改善していくことが求められる。これも1つの鍛錬だ。どうやって改善していくかはわからないが、仕事も私生活も一区切りの今こそ、何もかも変われる気がするのである。ターニングポイントであるのだから。

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珍しく喫茶店に入った。チェーンの喫茶店、昼前の閑散とした店舗は心を落ち着けるのにもってこいである。時間ギリギリに注文したモーニングセット、今日は朝から絶食だったから満足感もなお高い。ここでサンドイッチをハーフにしたのも1つ鍛錬なのだろうか。入ってすぐに午後にやらねばならないことがあり連絡をした。これまで半年ほど渋ってきたことなのに、なぜ今日はこんなにもサクッとできたのだろうか。やはり私の中にターニングポイントが来ていると感じる。今ならきっと全て変えることができる。そう思えばなんだかんだこの喪失感や悔しさにも感謝できるような気がする。

さて今回の区切りからというもの、歩き方や1つ1つの動きが非常にゆっくりになった。活気を削がれてしまったからかもしれないが、これまで生き急ぎすぎていたことも否めない。自然とそうなっていったけれど、事が起こった日は交感神経が高まりすぎてやばかったことで、呼吸を意識して行動し始めたことも大きいかもしれない。結果としてより落ち着きのある人間になれると思うと、やはり嬉しいことのように思える。元々落ち着きのあるタイプの人間ではあるが、さらに高めるにあたって落ち着きのイメージというものが実はある。麻雀プロの堀慎吾pである。今年に入ってからMリーグの放送を観るようになり彼の登板を何度も観てきた。彼は小さな天才というフレーズに違わず、チームのエースとして厳しい場面を何度も乗り越えてきたように素人ながらに見える。そんな彼の打牌は常に冷静、4人が順に打牌していく中、1人だけスピード感が違う。マイペースなのか、落ち着いているのかそれはわからないが、とにかくゆっくりと丁寧な打牌なのだ。リーチモーションも非常に好みで、ゆっくりと淡々と進む感じはこれまでの私になかったところというのがイメージの由来かもしれない。それでもってきっちりと結果を残す。1つ1つの手順に彼の論理が散りばめられ、それは時に他のプロからは理解されないことがあるが、全てに彼のストーリーがある。今こうして文章を書いていて、彼の麻雀のようになりたいだなんてそんなことを思ってしまった。ただそんな彼は麻雀以外はさっぱりだというのが、世間一般の共通認識だ。かわいらしい。

堀pを饒舌に語ってしまったが、同じチームの渋川難波pの打牌やリーチモーションも1つ同じようにイメージしているところがある。渋はどちらかというとマイペースのように思えるが、実際のところはどうなのだろうか。私が渋をイメージしたいと思えるのは、渋がやはり凄い人だと思えているところが大きい。例えば楽屋で他のメンバーが厳しい顔つきのときも1人常に前向きな言葉を発し続けているところだったり。サクラナイツは渋がいたから乗り越えられたこともいくつもあったのではなかろうか。まあこれは1ファンの知るところではないし、ここで深掘ることもない。そんな渋も巷では完全なネタキャラと化しており、そこだけを見ると麻雀はさっぱりのように感じる人も多いのではなかろうか。実際どうなのかは素人目には何ともなんだけれど、前述の堀pがなんだかんだ渋を認めていたり、渋には渋のロジックがちゃんとあってそれに沿ってプロとして結果を残しているところは、これもまた凄いなと思えるところというのが私の感想だ。

2人に共通するのは研鑽の上に成り立った確固たる自信と信念だと思った。そしてまたこれも私に必要なことなのだ。折れないものがあれば倒れることはない。足場はきっちりと固め、柱は強靭なものをいくつ持てるか。昔はこういう例えを木で表現していた気がするが、これを家で表現するようになった。木であれば道は1つである。大きな幹から地に向かって天に向かって伸びていく。家であれば足場と柱、やれる範囲で部屋を広げ不要になれば崩す。柱が折れれば別の柱を使って補う。確固たる自信や信念が足場とすれば、その上に立つ自分自身の様々な活動軸は倒れにくい。仮に今回のようにその1つが切り崩されてしまっても、倒れない軸がいくつもあれば家自体が崩れることはないし安定した土台の上でいくらでもやりくりできるのである。

数年前、太く大きな幹ごと折られた時にそれを使って今の家に建て替えたのだろう。私は生き方がなんだかんだ変わった。いちいち倒れることはなくなった。大人になったのか、強くなったのか、それはわからない。さて、そろそろ店を出ようか。

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家に帰り洗濯や昼食などを済ませた。昼食はそこまでお腹が空いていたわけではないのでシリアルだ。それからも家事をいくつか片付け、また家を出た。次の行き先は長らく行けていなかったジムだ。たまたまトレーナーさんと知り合って入会した。入会した時は頑張りたいと思っていたけれど、いかんせん自分の生活リズムと合わなかった。ジムが開いている時間はずっと働いているのだし、家から遠いのも少しネックだった。同じお金を払うなら家の近くのチェーンの24時間営業のジムに行ったほうがいいと思い、重い腰を上げた。これでお金だけ払う優良会員は卒業である。もやもやがまた1つなくなった。

今日伺ってトレーナーさんと会話した時は少々残念そうな、ドライな対応だったけれど私といえば終始笑顔で話すことができた。最後はお互いに笑顔になれたし笑っていられるのは素敵なことだなって思う。きっかけは何だったか忘れたけれど、日常生活はできるだけ笑顔で生きることを心がけている。お店やコンビニでも店員さんには笑顔で接するようにしているし、これはかつて接客業をしていたころの当たり前だから苦でもなんともない、できるだけ明るい声で威圧感を与えないように心がけている。オラオラしたり人様を威嚇することのメリットなんてちっともない。ただこれを仕事中にできないのが私の良くないところだ。私の信念に反することや、組織の目的に則さないことをやってのける同僚にはどうしても威圧的な態度をとってしまったりする。悩ましい。今読んでいる本の中にそういう人間には人はついてこないと書いてあった。はっとしたし、勝手に楽しそうにやってる奴らには人が集まってくるんだと。まあ確かにそうだ。なんとなし、来週から楽しそうに仕事をやろうか。あいつと一緒のプロジェクトは楽しそうだ、そう思ってもらって人が集まってきてくれればそれでいい。みんな楽しいのが一番じゃないか、なんで1人だけ利益を独占しようとするのだ。そんな寛容な心はきっと多くの人間を幸せにし、そして自分自身を最も幸せな場所に運んでくれるだろう。さあ、頑張るんだ。

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自転車を見ていた。次なる相棒探し。今の自転車は社会人になってから選んだものだ。一時期駐輪場にほったらかしてしまったこともあったが、壊れても修理をしつつ大事に大事に乗ってきた。そんな相棒だったが、先日の点検で提示された修理代は20000円超。さすがにそれはって思ったし、ちょうど区切りを迎えていたので買い換えることに決めた。今日はこの後も予定があったし購入には至らなかったけれど、いくつか目星をつけたので夏のボーナスでも待ってお迎えしようではないか。

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今日最後の予定はライブだ。中身を書くことは避けるけれど、非常に良いライブだったことは違いない。ここまで楽しめたのは久しぶりだったし、また行きたいと思えるライブだった。なんだかんだ音を全身で浴びるこの行為がやっぱり好きで、仮に私が一人きりになったとしても音楽だけは裏切らないし、この大音量を浴び続けることができれば生きていけるなだなんて大袈裟なことを考えた。でもそれって多分ほんとのことなんだ。

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1日中文章を書いていた。最後の方は疲れが垣間見えるわけだけど、やはりこれだけアウトプットをするとちゃんと疲れるし充実感を得られる。さあ、感情がコントロールされているうちにさっさと眠りに着こう。

ベッドの上、4000文字の乱文。
また明日。

にゃーん。