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日々の記録37

子どもというのはなんでこんなに愛おしいのか。屈託のない笑顔、溢れ出る幸せ。誰かが子どもは生まれて数年で親孝行を完遂する、両親にとってその数年はかけがえのないもので何にも代えがたいものだと言っていたが、まさにそうなのだろう。

そんなかけがえのないものだった私たち人間は、年月を重ねるにつれて少しずつ変わっていく。両親や他の近しい家族の影響を受けるだろうし、学校をはじめとした社会生活に参画するようになれば仲の良い友達や先生、先輩などの影響も大きく受けるだろう。そういった環境が私たちの土台となっている。

私たちは大人になったとしてもそういった土台から逃れることができない。子どもの頃に身についた価値観が大きく変わることはないだろうし、特に地元の文化や言葉なんてものは生涯身体から抜けていくことはないのではないか。もちろん生まれ持った性格というのもあるだろうが、そういった育った環境に違いよる価値観の相違というものは私たちの関係性において非常に大きな面積を占めるだろう。それはどうしょうもないものだし、相容れないものであれば余程のことがない限り歩み寄ることは出来ないのかもしれない。

私は結果を残す土壌で生きてきた。だからこそ成果を残すことは当たり前だし、それに対して努力ができない人間を少々軽蔑してしまうこともある。成果とはなんだいえば、"人のため"という土壌だったろうし、そのお陰で自分は二の次、他者や組織の成果のために一肌脱ぐというような生き方なのだろうと思う。

これが信念なのだからしょうがない。私らしさであろうし、これからも大切にして大事にして生きていかないとなと思う。教えてくれた大切な人たちのためにも。

土壌によって変わる、あの花と同じように。
また明日。

にゃーん。