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日々の記録17

怒りと呆れに満ちるとこんな感情になるのかと学んだ。自分が少々特殊であることもまた学んだ。こうして反省の弁を述べるのは昨日の話である。

ここまで感情をコントロールできなかったのも久しぶりの話である。求めていた答えが出てこなかった、教えたのに感謝の言葉をもらえなかった、他にも色々重なったが、まあこちらにも言い分はあるとはいえ、我慢できたであろうと言えばその通りである。自分が求めていた答えなんて出てくるわけないし、視点が揃ってなければスルーされるのも当然のことだ。その視野を揃えていくことこそ私の仕事ではないのか。まだまだ未熟さを感じる。感謝の言葉をもらえなかったというのも、自己中心的な思考だ。そもそも相手は私に回答を求めていたのだろうか。そうでなければ向こうからすれば勝手に干渉してきて答えをおいていっただけではないか。そこに対して感謝を求めるだなんて傲慢だ。私こそが傲慢なのだ。

まあそう言い聞かせるのは私自身の感情をコントロールするためであって、本心そう思っているかは微妙なところだ。やはり自分が正しいことを言っているようにも思えるし、そこは簡単に曲げることができないことではある。後者なんて私だったら、だなんて思ってしまう。とはいえ、他者にぶつけてしまったのは情けない。それもぶつけるべきではない人にぶつけてしまったように思える。言い訳はしたくない。全面的に私が悪い。

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関係者への謝罪は済ませモヤモヤはある程度なくなった。そして今朝から心を入れ替えて仕事にあたっているわけだ。無駄な干渉はしないし、言葉遣いなんかも気をつけている。なんだかんだどうすればいいかはわかっていて、あとはそれを着実にこなすだけなのである。淡々と確実にこなす。感情はアウトプットのゆらぎの要因である。そこをコントロールできれば何もかも安定するはずだ。

繊細な人間だ。メンタルが弱いとまでは思ってはいないが、コントロールを間違えば壊れることくらい知っている。自分が壊れるだけではなく、人を壊してしまうのも悩ましいところだ。これから置かれる立場も変わっていくのだから、こういうところクリアしていかねば。

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何もかも裏目に出る。勝手に干渉してしまっているし、まあこれが無駄な干渉かどうかは置いといて、とにかく昨日の二の舞ではないかというのは否めないところだ。来る者拒まず、去る者追わずなのだから、それでいいじゃないかとも思うが、なんでそんなことをしてしまったのかとか、自己中心的だなとか、蓋を開ければ結局そうなってしまっている。やってることは正しいと信じつつも、他人の気持ちを考えればやらないほうがいいんだろうなというのは正直思うところだ。なぜこういうことになったのだろうか、それは神のみぞ知るのかもしれないし、まあこれもまた運命なんだろう。

仕事のエンジンがかかってきたのは事実だ。今は力をつける期間だと割り切ることもできているし、何も成果を残すことばかりが仕事でもないだろう。何年先になるかはわからないが、きっと今つけた力が身になる時が来る。結局現実を真摯に受け止め、今を必死に生きるしか我々にはないのだろう。個別の案件に対してはモヤモヤが残ったりもするが、案外スッキリとしてきた。

大切にしていれば未来に繋がる、人生はまだまだ長い。
また明日。


にゃーん。