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日々の記録30

昨年末にご褒美として買ったお気に入りの皿が割れた。縁が欠けただけであったから使おうと思えば使えたが、それはやめた。昔の私なら使い続けていたかもしれない。それで友だちや恋人が家に来た時に怒られて捨てるのだ。過去何度も同じ経験をしてその習慣には蓋をした気がする。祖母にしろ母にしろ私にしろ、異常な物持ちの良さが共通する性質だったりするが、他人との関わりの中でそれが変わっていくのは少しばかり寂しくもある。とはいえ、その変化だって私の大切な性質だと思う。私らしさ、というような。本当に大切なものは形に残っているものであってもそうでなくてもずっと大切にしているのだから、本質は変わらないのであるし、そういう変化も受け入れていくのがいいのではないかとなんとなくは感じている。

性格診断をしてその説明なんかを読んでいると割と当たっているのがおもしろい。この多様性の時代に性格を数パターンに分類しようだなんてなかなか逆行しているよなとか思うけれど、自分の中のモヤモヤを言語化してくれたりもするからそういうところは好きだ。過去にも述べているが、占いにしろ性格診断にしろちょっとした読み物であるし、そういうものが日々の鬱屈から一時的に救ってくれたりもする。ちなみに毎朝毎朝負の感情とストレスを抱えながら準備に取り掛かるのはどうもこの性格分類をされる人間の宿命らしい。

仕事の方は週が明けて急にバタつき始めた。頭の中でやらないといけないことはわかっているけれど、次から次へと物事が降ってくるのだから手に負えない。まだ月曜日だからフルスロットルで走り続けられたけれど、これが週末にでもなったらボロボロなのだろうか。ただ今週はそうも言ってられなそうだ。それだけビジネスパーソンとしての自分自身に価値が生まれているということであろうし、忙しいというのはいいことなんだろうと思うようにする。

人に頼られると頑張ってしまうのもちゃんと性格診断の結果に書いてあった。そういう星に生まれたのだと納得はしているし、そういう生き方はなんだかんだ誇らしく思っているからいいのだけど、頑張る相手っていうのは選ばなきゃなとも思う。まあこれまでもそれはできていたのだろうけど、これからはもっと考えなきゃならない気がするのだ。自分を犠牲にし続けてもどこかで限界がやってくる。そうなる前に手を打てることは打っておこうというわけで。

結局少しずつ変わっていけるのも私らしいのではないか。手を打ったとて本質的なところは変わらないのだ。数少なくとも私のことを愛してくれる人間たちに与えるものを増やしていければいいし、それで私が本質的に求めるものがもっと手元に残るのならば良いではないか。変われることも才能だ。

人は変わりもするけど変われもする。
また明日。


にゃーん。