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日々の記録36

相変わらず予定のない休日だ。出張なんかも絡むから今週は買い出しも料理もしないつもりだし、いつもと違う近所の小さいスーパーにちょっとだけ買い足しに行くかなくらいである。お米くらいは炊いておこうかな。

予定がない日は何もする気が起きないのが社会人になってからの休日だ。日頃の生活がヘビー過ぎるというかなんというか。休日に何かしたい!という気持ちにならなくなったし、そもそも何かしたいものを見出だせないのも事実だ。これが休日何してるの?に答えにくい要因だったりする。

京都にいた頃は不定休であったこともあり、友人と飲みに行く予定だったり、1人で色んなところに行く予定だったり。歩いていけるところに山があったから軽登山をしたり。京都一周トレイルをやるんだって細々とやっていたり。とにかくやりたいことがたくさんあったし、目的のない時間を過ごすこともあったけど自発的に積極的に休日を楽しんでいたように思える。当時の趣味、過ごし方のうち、積極的にやらずとも良いものばかりが今の生活に残っている気がする。料理なんてせざるを得ないものだし、散歩なんてのは本当にやることがなくとりあえず時間を潰してる感が否めない。昔で言う植物園に行って子どもたちの幸せを受け取ったり、鴨川の河川敷で昼寝をするその穏やかな時間だったりに近いものはあるが、それは積極的に色んなことに取り組む時間があってこそのバランスをとる時間だ。これだけでは少し寂しいというか。自発的な趣味はライブくらいなのかもだけども、これも巡り合わせだし、平日夜だったりもする。旅行もそうかなって思ったけれど、ここ2年ほどは旅行に行く元気もなくなった。体力がないわけではないが、気力の面で行く気になれないのだと思う。

とはいえ今年は幸いなことにちょこちょこどこかに行っている。どれも人に会うためではあるのだけど、それが今年の自分自身のテーマなのかもしれない。昨年あたりから自分の過去がざわめき始め、今年はそれが実行に移されているようなイメージだ。コロナ云々が言われなくなったことも大きいかもしれない。来週も人に会う予定があるし、秋にも人に会う予定を立てている。全て人に会う予定なのは受動的にも思えるが、まずはこういう形でもアクティブになることは大切なのかもしれない。とにもかくにもしんどい時はいつも過去の繋がりが助けてくれる。過去と交わる点がそういう時に限って生まれているのはなんだか面白いものだ。

仕事が頑張れて休日頑張れない理由を考えた時に目的意識だとはっきりと分かった。仕事は目先のタスクをこなす、プロジェクトを進める、成功させる、そんな目的意識を常に持って臨めている。一方で私生活はそういった明確な目標を持てていないし、ということは何もしないでもいいということになってしまう。休日に頑張る必要はないのだけど、この生き方はきっとつまらない生き方なんだろうなと思うと同時に、もう少し自分が一生のうちに経験したいことみたいなのに向き合ってみるのもどうかなと思った。

人生に何か目標がある人は素晴らしいと思うし、頑張れるのだろうし、素敵な人間で美しい人生なんだと痛感する。そことのギャップがある私はこの歳になってもまだまだ伸びしろがあるといえるのだろうし、まずはそういうのを見つけるのがいいのかもしれない。目標を持って生きている瞬間は充実していてかっこよかったと思う。今はそれがないから人生に夢中になれない、様々なものに囚われる、目先の報酬を手に入れられないと焦りや不安に襲われる。結婚して子どもができると変わると皆言うのはそういうことかもしれない。今の私にはまだその予定がないし、今はなんとなくそれだったり、他の何かだったりを追い求めて走ってみるのはいいのかなと思う。いい大人に、かっこいい大人になりたい。私はなんだかんだいろんなものを追い求めていた10年前のほうがかっこよかったんだろうな。

長かった6月が終わる。
また明日。

にゃーん。