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【随筆】私の本を読む意義

良き書物を読むことは、過去の最も優れた人々と会話をかわすようなものである。

ルネ・デカルト

 本を読むということの意義についてさまざまなところで語られている。極論を言えば本を読む意義というのは無く、本を読む各々がそれぞれ勝手に考えて持つものであると思う。そこに本を読むことの多義性、豊かさがあるのだろう。
 ここでは、私の「本を読む意義」を語る。これは、私自身本を読む意義についてわからなくなることもあるため、自分の頭を整理するためでもある。
 私にとって本を読むことの意義は、第一に、楽しむことにある。当たり前のようだがそれを時々忘れてしまうことがある。何かの義務感に勝手に追われて、読む冊数をこなさなければ、と思ってしまうことがある。しかし最近、そんなどれだけ読んだかのような競争はつまらないものだと気付いた。多くの作家の作品を読んで自慢めいたことするなんて悪趣味である。読んだことのある冊数が少なくても、自分にとって大事な、おもしろいと思える本に一冊でも出会えていればそれはとっても幸福なことである。私は本を読むのがかなり遅い。これからの短い読書生活を考えたとき、新たな作家さんの本をたくさん読んでいくよりも、いままで出会った好きな作家さんの作品を大事に読んでいきたい。
 第二に、おしゃれをすることにある。これは音楽を聴くときと似ているかもしれない。多くの音楽を聴く音楽愛好家はたくさん聞いた中でその都度、「こんないい曲あるんだけどどう?」と誇示する。これはこの人の一種のおしゃれである。また、対極にあるのは、1、2のアーティストの曲しかほとんど聴かず、「このアーティスト大好き!」と誇示することである。これも一種のおしゃれに属する。私は、先述した通り遅読なので、どちらかと言えば後者に属する。「こんな作家さん(作品)が好きなんだけどどう?」と誇示するのである。そこに私のセンスを魅せる。いろんな作家さんの本をたくさん読む読書家の方々には反感を買うかもしれない。でも本をどう楽しむかは自由である。大好きな作家、作品を一種のアクセサリーとして魅せるのはいけないことだろうか?

 本を読む意義についてふと立ち止まって考える。これはとても重要なことだと思う。何も考えずに手当たり次第に漁るように本を貪ることよりは少なくとも。

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