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【アンソロジーの雑感】夢想読書会「夢想文学~秘ノ書~」

 このアンソロジー「夢想文学~秘ノ書~」のテーマは「秘」である。「秘」を辞書で調べると以下の通りの意味が並べてある。

①人に知らせない。かくす。ひす。ひめる。
②人の力ではかりしれない。
③通じがわるい。

岩波国語辞典 第八版

 「秘」と言えば①の意味を想像する人が多数であろう。そんな「秘」をテーマにしたこの書について、どれだけ雑感を述べてよいのか難しいところである。なるべくは内容を「秘」して雑感を述べようと思う。

こばやん「ビハインドザセンス」

 著者のいままで秘してきた二つのエピソードが載ったエッセイ。
 最初に著者が自身を「清廉潔白かつ公明正大を辞任して憚らない」と述べている通り、その二つのエピソードは「秘話」と呼ぶには取るに足らないエピソードであり、読者の多くはきっと面を食らうだろう。そんな読者を想像して著者はほくそ笑んでいるに違いない。
 これがエッセイ全体を通して著者が謀った、壮大かつ愚にも付かぬ「ボケ」であったとしたら、さすがとしか言いようがない。

たきのみやしょうこ「まだあげ初めし前髪の」

 主人公の健五が密かに思いを寄せている同級生の二三村塔子の秘密をめぐって巻き起こる短篇の物語。
 秘密には噓がつきものである。そして、その噓は時として頑丈そうなガラスのように見えて、実のところ触れるとすぐにひびが入ってしまうような脆いものだったりする。健五が塔子の秘密に触れて、粉々に崩れてしまった噓のガラスは儚く散り、雷の光とともに哀しく輝く。そしてそのガラスはもう元のかたちには戻らない。

たけいしかた「手紙」

 ボクが、久しぶりに再会した朝子に送るいくつかの手紙たち。
 これを「作品」と呼んでいいのか正直わからなかった。というのも、ボクから朝子へ何を伝えたい手紙なのかがまずわからない。また、文面だけでは手紙に登場する人物たちの、現在や過去の関係性が推測し難い。さらに、所々に疫病禍(おそらく新型コロナウイルスの流行時)での出来事が書かれているが、その疫病禍からどれほど時が経ったときの手紙なのかがわからない。ここには、ボクから朝子への手紙が3つあるだけである。
 著者は、これらの手紙群をただただ提出し、上記したことたちを読者に「秘す」目論見があったのだとしたら、それはとても意欲的な「作品」であると思う。

馬鹿石「個人的に思う」

 著者が陸上の短距離の選手だった学生時代を当時の日記を参照しながら振り返り、人間の「個人」の中にある「個体性」について論じたエッセイ。
 まず文章が上手すぎる。平易でわかりやすい文章であるが、その中に、著者がこれまで様々なものに触れ、考え、それらをしっかり自分の「もの」にしてきた、ということが垣間見える。そして「もの」にしてきたことを自分の「言葉」に変えて、それらの言葉を大事に、だが淡々と並べているのがわかる。
 また、エッセイの構成も素晴らしい。図鑑に載っていた動物の走る速さを比較した図から、人間以外の動物には人間に無い「個体性」があることを見いだし、そこから人間にもある種の「個体性」があることを主張し、その人間に存在する「個体性」を著者の経験と照らし合わせながら論じていく・・・。これは、著者独自の視点から論点を発見し、それを著者の濃い経験とともに論じている、紛れもなくこの著者にしか書けないエッセイである。
 このエッセイを読むだけでもこの本を買う価値があるのではないか、と個人的に思うくらい素晴らしいエッセイである。

藤野「風さらり」

 風に恋し風とふたりで暮らした、そんな日々を描いた詩的な物語。
 童話のようだが童話でない。だって、一般的な児童には少し難しい。
 ファンタジーのようだがファンタジーでない。だって、一緒に暮らした風は風以外の何物でもなく、風にはリアリティがきちんとある。
 夢の話だろうか。いや違う。いわゆる夢文学は、著者がその物語が夢であったと自覚しながら、現実のなかで物語を書いている。この話は、夢のような世界のなかで著者は筆を執り、夢のような世界の現実をそのまま描き、夢のような世界のなかで筆を執り終えて、提出された物語のように感じられる。そしてきっと、著者はまだその夢のような世界にいて平穏に暮らしているに違いない。
 これを読んだ読者は、自分のいま居る世界が現実であるかどうか、危うくさせられる。

麦「取るに足らない秘密」

 著者の語学留学先で偶然出会った男性との交流を回想したエッセイ。
 易しい文章で無駄な描写がなく、ユーモラスなエピソードが散りばめられていて、読んでいてとても楽しい。それも、それをさらりと書いているようにみえるのが素敵である。回想する文章は、どの部分を書きどの部分を書かないかの選択に幾度もさらされると思うが、その選択の苦悩を感じさせない自然な文章である。
 著者はよくエッセイなどの文章を書くのだろうか。こんな素敵な文章を書けることを秘していたとしたら、それは「取るに足らない秘密」どころではない。

夢想「結婚する前で良かった」

 大学時代の同級生の結婚するはずだったはずの人との結婚が取り止めになった話を聞き、それをめぐって進む物語。
 大学時代の回想やその同級生と食事する場面のディテールがリアルだったため、「うまく落ちの付いたおもしろい話があったんだな」とノンフィクションだと思って読んだが、目次を見てみると「創作」と書いてある。つまり、まったくのフィクションだったのである。著者にその意図はなかったにしろ、してやられた。
 私はエッセイや小説などの枠組みを超えた作品が好きである。つまり私は、この話がフィクションだと聞いて、よりこの物語が好きになった。

夜長月「始まり秘話」

 著者が主催している読書会の、始まりの際のいくつかのトラブルを綴った短いエピソード。
 「江戸」や「武蔵野」という言葉にこんなに敏感な人たちがいるのか、と驚いた。誤謬があってこそのコミュニケーションではないか。読書会の名前にいちいちクレームをつけられたら、自分であれば心が折れて読書会の立ち上げを断念してしまうだろう。そんなクレームにもめげずに読書会を無事立ち上げ9年間続けてきたのはさすがである。
 最後に「一部フィクションも交えています」と書いてある。繰り返し読んだが、フィクションを付け加えていそうな所はどこにもなかった。その「一部フィクションも交えています」という一文が、この短いエピソードを一層魅惑的にしている。

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