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【随筆】秘密をめぐって


 ある夜、私の隣で男性が秘密を話してくれた。その秘密について、詳しくは述べないが、その男性の生い立ちに関するものだった。それを聞いた私はとても驚いた。が、それと同時に、これまでの彼の言動を考えればもっともな感じもした。そして、その秘密を聞いた途端、彼に対する魅力をなにも感じなくなった。彼に抱いていた感情が占めていた心の空間に、ぽっかりと隙間ができたように。その夜以来、彼と会うことは二度となかった。

 人の秘密とは恐ろしいものである。秘密はその人自身を形作る補強材のようなもので、ひとたび秘密が秘密でなくなると、その人の形は脆さを強める。丈夫な若者の骨が一瞬で骨粗鬆症の骨になるように。
 だから、秘密というものはなんとしても守らなければいけない。信頼に値する人だからといって、秘密を打ち明けたとたん、私は本来の私から遠ざかる。そして、もう秘密を話す前の私には戻れない。つまり、秘密を守るということは、私という存在を保つ営みであり、それは不可逆なものである。多くの人は年齢を重ねれば重ねるほど私という存在が強化されていくと思っているが、それは全くの間違いである。むしろ弱化していくのであり、私たち人間はそれに抗うために、持っているいくつかの秘密を大切に内に秘めて秘密を秘密のままにしていかなければならない。

 ただ、他人の秘密とはとても魅惑的なものである。
 谷崎潤一郎の短篇「秘密」では、主人公と逢瀬を重ねる女性T女は主人公に素性を秘密にしている。毎回密会場所に向かうために主人公に目隠しをさせるくらいに。そのうち主人公はその彼女の素性をどうしても知りたくなり、目隠しを外してくれるよう懇願する。

 人は秘密に翻弄される。それは秘密は人の魅力の根元に関わるからである。隣の芝生は青い、とはよく言ったもので、秘密の部分について魅惑的に見える人も、実際大して魅惑的ではないことが多い。それはその人が持つ秘密がその人自身を魅惑的にしているからである。このことは他人に抱く感情の全てに置き換えられる。愛情や憎悪、嫉妬は対象の人物がもつ秘密から導きだされる。なので、秘密を軽視してはいけないのである。

 谷崎潤一郎「秘密」の主人公はついに、T女といつも密会する場所を突き止める。そしてその女性の素性をすべて知った途端、その女性への興味は失せ、その女性を捨ててしまう。

私の心はだんだん「秘密」などと云うぬるい淡い快感に満足しなくなって、もっと色彩の濃い、血だらけな歓楽を求めるように傾いて行った。

谷崎潤一郎「秘密」

 こうして谷崎潤一郎の短篇「秘密」を改めてみてみると、秘密を暴くことは秘密を所持していた者だけでなく、秘密を知った者をも変えてしまう可能性を秘めていることがわかる。だから秘密というものは恐ろしいものなのである。したがって、他人の秘密に関して我々はなるべく干渉するべきではない。

 よく恋人との理想の関係について「なんでも話し合える関係」とこたえる人がいる。恋愛にはお互い一つになりたいという生理的欲求がある。だから、お互いの秘密もなにもかも知りたくなることが往々にしてある。
 ただ、そうとはいえ、どんなに熱い恋愛をしていても、いままでみてきたとおり、秘密を共有するのは危うい行為である。相手に幻滅されたり興味を失われたりする恐れがある。それでも、「秘密を共有し、許すことが愛ではないか」というかもしれない。その問に対して、私は甚だ疑問である。(ただし、ここでは心理学や精神分析学的な「秘密」を問題にしているわけではない。)

 私たちは、交際相手がいようといまいと一人の孤独な人間であり、一人の孤独な人間である権利を持ち得る。それはとても重要なことである。ただ、秘密が他人に開示されていくにつれて孤独な一人の私という存在は薄れていく。それは私というノートに他人が無遠慮に覗き込んで複製されてしまうように。そして他人はそれにすぐに幻滅し複製したノートを捨てて私の前から消えてしまう。

 私は先ほどの問に対して「相手がどんな秘密を持っていようとも許容するのが愛ではないか」という言葉で返したい。愛を与えるというのはそういう覚悟ではないか。恋愛という人間に普遍的な事象で、毎回私という存在をすり減らしていたら、私が私でなくなる。現在、孤独な一人の私である自分を大切にしている人はどれだけいるだろうか。

 「秘密は恐ろしいものである」とあらためてここに記しておく。私たちは秘密というものを軽視している節がある。だから、自らの、そして他人の秘密をどう扱うのかによって人生が決まり進んでいくということを肝に銘じる必要性をもっと考えていかなければならないのではないかと思う。

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