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【随筆】映画「横道世之介」について

 映画を観て「ずっとこの映画の世界にいたい」と思わせてくれる映画が好きだ。いままで多くの映画を観てきたつもりだが、そのような映画は少ない。そんな数少ない映画の一つが「横道世之介」である。
 この映画「横道世之介」は、1980年代が舞台の九州から上京してきた主人公横道世之介の大学1年生の1年間を描いた青春映画である。原作は吉田修一さんの同名小説であり、2010年度の本屋大賞3位となった。
 この映画の魅力はなんといってもやはり主人公横道世之介の愛らしさである。映画を観終わったとき、世之介がいる世界に浸れた時間に形容しがたい温もりを感じ、愛おしくなり少しかなしくなる。初めて観たとき、2時間半という、映画のなかでは比較的長い上映時間が私には短く感じた。
 映画の中で世之介に出会う人々にとって、世之介という存在は自分自身のその後の人生に大きな影響を与える重要な人物ではないが、世之介という存在は一緒にいた日々を思い出したときにおかしくって笑ってしまうような、でも少しかなしくなってしまうような、世之介と出会えなかった人生を想像すると世之介と出会えたことに得したように感じてしまうような、そんな存在なのである。
 世之介に実際に出会えたら、友達になれたら、とふと想像してしまう。でも、なによりそんな風に感じさせてくれる世之介に映画で出会えたことに感謝しかない。世之介という存在を生み出した、原作小説を書いた吉田修一さん、映画を監督した沖田修一さん、そして映画で横道世之介を演じた高良健吾さんにただただ畏怖の念を感じる。世之介という至って「普通」な存在だがたまらなく愛おしくなる人物は、この三者のどれを除いても作り出せなかったであろう。(当然と言えば当然だがそう思わずにはいられない。)
 映画のなかであっても「世之介がいるんだ」と思うと、どんなに打ちのめされる現実の日々を生きていても少し楽になる気がする。そう思うとやはり映画「横道世之介」に出会えたことは私の人生のなかで最も幸福なことの一つであると感じずにはいられない。だから映画を観ること、物語に出会うことはやめられない。

 世之介の死後、世之介の母親が世之介の元恋人の祥子に宛てた手紙のなかの一説が印象的である。
「祥子さん、最近おばさんね、世之介が自分の息子でほんとによかったと思うことがあるの。実の母親がこんな風に言うのは少しおかしいのかもしれないけれど、世之介に出会えたことが自分にとって一番の幸せではなかったかって。」
 私がどんなに世之介の魅力を論じても、この母親の言葉には勝てないと感じてしまう、そんな世之介の魅力を伝える大事な一節である。

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