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【随筆】 余毒を余得へ

 とある女性が「付き合うってことはその後結婚するか別れるかの2つしかないよね」と言っているのを聞いた。恋愛的に付き合うということは現在多種多様になり一概にそうとは言えないが、その女性にとってはそうなのであろう。そのように、付き合うということを目的である結婚の手段と捉えてしまうと、その交際は無味乾燥なものになりかねない。
 恋愛における交際は、普通における人との交際とは異なり、お互いが深く関わる。よって別れるとなったとき、「余毒」が生じ苦しむことになりかねない。だからそうやって交際を割り切った方が楽なのかもしれない。ただ、やはりその交際が結婚という目的を達成したとしても、それまでの交際やその後の交際も味気ないものになってしまうような気がして仕方がない。
 人との交際は、結婚を前提にした交際や会社での上司や部下との交際のような目的化されたものと、ただただ楽しむための遊戯性をもったものとに二極化できると思う。私は、目的化された交際と遊戯性をもった交際との間を揺れ動くことが、人との交際として豊かなものになると考えている。
 恋愛的な交際に関していえば、結婚という目的を第一にするのではなく、まずは交際を楽しみながらその先に結婚という一つの道が存在する、くらいで考えた方がゆとりがあり充足した交際になるのではないか。
 また、遊戯性をもった交際だけに振り切ることができないのは明らかである。私たちは社会の中で人々と交際し、何かしら「名づけられる」関係性をもった間柄の人物をいくらか持たなければ、社会の中で生きていくことはできない。なので、交際の中にいくらか目的をもたないといけないのも確かである。

 不安定ではあるが、私たちは目的化された交際と遊戯性をもった交際との間に身をおかなければならない。それは易しいことではない。だが、そうすることで、交際が豊かなものになり、目的と遊戯性以外に「余得」を被ることができるはずである。

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