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私の自己探求の始まり①🍀

今日、お友達から夫氏のことを相談された。

お子さんが2人いて、小学校低学年で年子ちゃん。

彼女はパートで看護師さんをしているけど、夫氏は経済的にも肉体的にもほとんどサポートしてくれないそう。

その話しを聞いて、昔のわが家の夫婦関係を思い出した。

他人同士が結婚すること自体が、大変なことだと思う。

大抵は恋愛から始まる関係だから、最初の頃は "アバタもエクボ" で乗り切れるだろう。

問題は、数年経って環境の変化がおきたころだ。

わが家は、子どもが産まれたことがキッカケだった。

私はキャリア志向だったので、子どもを産んでからもフルタイム勤務を続けたかった。

最初の1年は母にサポートしてもらい、平日は子どもの世話と家事を丸投げした。

すべてを頼っていた母が、父の駐在先のアルゼンチンへ行ってしまってからはすべて自分でやらなければいけなくなり、私は坂道を転げるように自分の理想からかけ離れていった。

この頃、私の精神は限界に近づいたのだろう。

夫婦ゲンカが増えて泣き叫ぶ私を、夫が精神科に連れて行った。

適応障害と言われて精神安定剤を処方されたけど、副作用が強すぎて飲めなかった。

どんどんと勤務時間が短くなり、子どもが3歳になる時に会社の大規模リストラに巻き込まれた。

10年勤務した会社からリストラされたショックと子育ての不安で、無気力な私は専業主婦になった。

それまで保育園に預けていた子どもを、幼稚園に通わせた。

それまで仕事しかしてこなかったので、専業主婦のやり方が分からなかった。

まるで定年を迎えたサラリーマンのおじさんな気分だ。

ママ友に誘われてランチしたりお茶したり、手芸をはじめてみたけど、自分の中が空っぽで空虚な人形みたいに感じていた。

仕事が技術職だったからか、女性ばかりの環境も馴染めなかった。

幼稚園生活の後半で、ママ友の1人にアートセラピーのワークを受けることになった。

アートセラピーという言葉を聞いたのははじめてで、アメリカ発祥のアートを通して心を癒やすものらしかった。

基本は絵を描いたりアート創作をして、後半は感情を表現するエチュードやダンスをした。

いろんなことをしながら、自分の感情を客観的にみることをしていたのだと思う。

仕事をしていた時は、自分の感情や肉体的疲労を感じないようにしていたので、首と腰はヘルニアで喘息発作もよく出ていた。

自分を守っていた鎧を少しずつ外していって、自分という人間を感じて観察することを3年ほど続けた。

アートセラピーは自分の気持ちを絵に描いて、それを客観的に見ることができる。

私が1番記憶しているのは、当時大キライだった姑を絵に描いて、ちょっと離れた所からその絵をみた時に可愛いかもと感じられた事だ。

それがキッカケで、姑のことが大キライだった自分からちょっと離れることができた。

私の自己探求の道はまだ始まったばかりで先は長い。

今日はこれくらいで終りにしよう。




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