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どんな "愛" も、受けとってこ〜♪🍀

最近は、安定した精神状態をキープしていると感じていた。

そんな矢先、夕飯後のお風呂はいる前のだらだらタイムに漫画を読んでいた私に、夫が「漫画ばっかり読んでいないで、娘と話してあげなよー」とか言うので、一瞬イラっ💢としてラオウ化しそうになった。

はぁ〜なんであんたに指図されなくちゃいけないんだよっ!
とメンチを切りそうになった気持ちを、深呼吸で落ち着かせる。

私は極端な性格なので、嫌なことがあるとその人から離れたくなる。たとえ夫であろうとも。

ある程度平静を取り戻してから、夫に「私がやっている事に指図すんなっ!」と言いたいところを、オブラートに包んで「あなただってスマホで好きなものをずっと眺めているんだから、私が漫画を読むのを咎めないで。」と伝えた。

そうしたら、夫としては食後の団らんの時間に私と話がしたかったそうで。
あら、そうだったの。ごめんなさいね〜と思った。

それならそう言えば〜?とも思った。

この出来事から分かったのは、2つ。
①夫の愛情表現がわかりにくい。
②私は人に行動制限されるのが嫌。

① は、けっこうある。結婚してそろそろ20年になるけど、まだまだある。
② は、私はけっこう自由にしていると思っていたけど、本当はもっと自由になりたいんだって初めて気づいた。

① に関しては、今朝の真未さんのインスタライブ配信でも瞑想のテーマになっていた。

人の愛を受け取れない。
その伝え方じゃダメ、とか。
その形じゃダメ、とか。

自分が苦手な人って、どうしてそういうコミュニケーションのとり方なんだろう???って思う変化球みたいな伝え方してくるよね。

そういうのすごく嫌だなって思ってしまうけれど、それすらも愛情表現だと感じて受け取る瞑想をした。
瞑想をしていると、自分の精神状態が中庸になるから、苦手な人のコミュニケーションでも受け取れる。

日常生活でも、同じように受け取れるようになりたい。

”愛” というのは、一般的に定義されている狭義のものではなくて、今は問題やマイナスに思えるものでも、後から観たらあれは ”愛” だったねって思えるものもある。

10年前、私は喘息がひどくて毎日病院通って、たくさん薬飲んで、よく倒れて、辛かったそれらの事も ”愛” だな〜と今は思える。

そういう辛いことがなければ、自分と向き合うこともなかっただろう。
夫や姑に、娘のことや家のことを全部やってもらった。
何もできない自分でも、愛されていると感じられた。

② は、私はそんなに行きたいところがあるわけでも、やりたいことがあるわけでもないので、自分の自由が制限されているという感覚はなかった。

でも、自分の行動を制限することを言われた時に、イラッとするということは、本当は私はもっと自由に行きたいところに行き、やりたいことをやりたいという気持ちがあるんだと気づかされた。

コロナだから、行動制限をするのは当たり前。
娘が受験だから、自分の行動を娘に合わせるのは仕方がない。

頭では分かっているけれど、心では自由を求めていたんだな。

もっと自分の心の声を聞こう。
身体の声は聞けるようになってきたから、今度は自分の心の声を聞いて、どうして生きたいかをイメージしよう🌿


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