ものの見え方と見方のはなし
昨日無事暮らしの学校説明会がおわり
(説明会としてはもっとわかりやすくできたはずだという反省はひとまず置いておいて)
夜、作業の手を休めて見た動画に糸井重里さんがでていた。
お!っと目に止まったのは、彼が着手したほぼ日の學校のことだったけれど、その流れで個人の活動(コピーライター)から素敵な組織(株式会社ほぼ日)へと拡大した経緯にふれて、チーム作りに意識してやったことは何かという問いに、あえてしないと決めていることがあると。
それは
・プレゼンをしない
⇨企画を通すためではなく、何がやりたいのかを大事にする
・規則を守ってる人が守っていない人に文句を言わない。
⇨自分が守ってるんだから君も守ってよ、という価値観からは目的よりも”守る”ことに重点が置かれているから大事なことが見えなくなる。
守られるべきものはほっといても自然に守られていくはず。
むしろ目的(結果を出すこと)を見失わないように
倫理がこわれないようにする方が大事。
そして多分完全な正解はない、とも。
⇩48:04 ほぼ日のチーム戦略
意識して見方を変えてみる発想
この話を聞きながら最初に思い浮かべたのが
c:hord hayama antiques &bookcaféでも天然海老の仕入れでお世話になっていたパプアニューギニア海産北斗くんが勧めてきた好きな日に働ける働き方。
シフト制をなくし
タイムスケジュールをなくし
出勤や欠席の申請をなくし
自分の得意分野を活かすような働き方。
それを求めてフリーランスになる人は多そうだけれど
会社側がパート労働に取り入れるという斬新さ。
詳しくは、暮らしの学校での北斗くんの回にご本人からお聞きするとして
この挑戦の過程で誰もが想像してしまうのは
人が多い日と少ない日がでてくるのではないかという疑問
必要な時に手が足りなくなるのではないかという不安
自分勝手な人だけが得をするのでは?という懸念
もちろん、当事者であるパートさんからのフィードバックや匿名アンケートなどで検証と改善を繰り返しているけれど、どれも実際にはこちらが心配するほど大きな問題にはならなかったとのこと。
たしかはじまりは、当時工場長だった北斗くん(現代表)自身が
自分がきらいな掃除についてのアンケートをした事だっと記憶している。
自分がきらいなことはみんな嫌いだと思っていたら
実は掃除が好きと答える人がいた。
逆に、掃除が好き(得意)な人が苦手な作業を好きと答えた人もいたそう。
それならば
掃除は規則のひとつとして取り入れるより
掃除が好きな人にまかせたほうが綺麗になる
お互いの得意なことで埋め合わせればうまくいかないかな?
(ということだったと私の脳は記憶しているけど、これも私の私感が入っているだろうことはご了承ください)
その根底にあるのは信頼よりも心地よさなのかなと。
互いに働く動機があり、それぞれの事情もある。
でも、少なくとも全員最低限自分が働いて得たい収入目標や
労働に費やしたい時間があるのは共通。
だから
・その時間は各自確保して出てくる
・互いに状況がわかっていれば人が足りなそうな日にはたとえ1時間だけでも来れる日には出勤したりして補い合う
・事前に誰が来るかわからない状況下で、忙しいときに飛び入り参加があると士気があがるし、ほんの数時間でも出ると喜ばれるから互いに気持ちいい。
この発想は働く以外にも、あらゆることに十分転用可能な気がする。
ものの見え方(受動)と見方(能動)のちがい
人は見たいものしか見えない
言い方をかえると「自分の見たいようにしか見ない」
もちろん私自身も例外なくそうで
ふとした時に、友人との意見の相違で気づいたりする。
「自分の見たいように」というと能動的に思えるけれど
情報の取り方次第で実は受動的な気もしていて
例えばこの”働き方”でいうと
規則という前提があると、「規則を守る」ことが正義と見えていて
事情がどうあれ「守らない・守れない」ことは否定してしまうから
糸井さんの言うように、「私が守ってるのになぜあなたは守らないの?」となる。
でも重要なのは、仕事が滞ることなく進み、会社の利益となること。
事業利益が上がらない限り、自分達のお給料に還元されることはないのだから。
そうすると、守ること”だけ”が重要とはならないはずで
(決してルールを守らなくていいと言っているのではありません💦)
ルールとなるには、それぞれ経緯(理由)があったということがすっぽり抜け落ちて、そういうルールだからと切り捨てられることは過去に何度も体験したのだけど
そう言う人ほど、なぜそのルールが正しいのかは答えられないことが多い。
理由(なぜそのルールがあるのか)がわからないということは
誰かが決めたことを疑わず従っている状態なので、能動的な見方ができているとは言い難い。
規則があるのが一般的な世の中で
もうひとつ思い当たる事例
息子が通った今はなき都立代々木高校。
あの学校も規則がなかった。
制服もなく、校則にあったのは
・法律を守ること。
・定められた授業単位を取ること。
無断欠席しても学校から保護者どころか本人にも連絡がはいることはなく
法律違反もしくは単位をひとつでも落としたら留年も停学もなく即退学。
在学を希望するなら翌年再度受験して合格し、1年からやり直す以外方法はない。
徹底した自己管理を要求されるけれど、だからと言って軍隊のような厳しさがあるのかといえば否で、とても自由で楽しい学校だったと思う。
そこで培った親交は卒業後も続いていて
職種・性別・年齢問わず
みんなとてもいい関係を築いているんじゃないかな。
規則に縛られない世界とは
ある意味、誰かがどうにかしてくれることのない世界
でも互いに補い合い、思いやれる能力が必要な世界とも言える。
自分から見える面と自分以外から見えている面
無数にあるそれを、情報交換しながらイメージする世界。
そして、例えば添付した対談を見ても
私が感じたことを全く同感できないという人もいると思う。
体験してきたことも
持っている情報も違えば
頭の中にうかぶ景色は全く違うはずだから。
だからこそ
説得とか
共感とか
もしくは論破とかに走るのではなく
あるものをあるがままに見て
感じるままに感じ
違う情報も入れて、常に更新して修正する。
そんなふうにして
面を増やして角をとり
球体に近づけるように
穏やかに生きていけたらいいなと思ったのでした。
サポートよろしくお願いいたします!pay it forward!!!サポートいただいた分、ほかのサポートが必要な方の役に立てるように、必ずバトンを渡します!