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小さな哲学者

私が小さい時に考えていた変な事が「哲学」と知ったのが今!そう50歳になってから。

小学校低学年の頃、夜寝る時、布団に入り目を閉じて、瞼の裏側の黒いものを見ていた。
目を強くギューとつぶると、チカチカしたものが見えて
私は「宇宙が見えている」と思っていた。
そのチカチカしたものを線で結んで、図鑑で見ていた星座などを思い浮かべながら眠りについていました。
そんなことをしていると、ある時この宇宙(瞼に裏の)先には何があるのだろと思うようになった。
ずーっと奥を覗き込むと自分1人が宇宙の彼方に放り出されたような孤独を感じた。
「どうしよう、戻って来れなくなったら」と思って、自分の瞼の裏の宇宙が怖くなってきた。
怖くなってからは、目をギューとしてチカチカを見ないようにしていた。
それと同時に今度は天井をジーと見て寝るようになって行った。

天井をジーと見ていたら、今度は私の身体は誰が動かしているのだろうと思い始めた。
小学校の低学年では生体構造科学なんて知らないから、
ちっぽけな脳で思い浮かんだのは、神様が操り人形のように糸で私を動かしているのでは?と思った。
でもこれだと空の上には地球にいる人と同じ数の神様が必要になるから無理かぁと思い直した。
手を天井に向けて手のひら、手の甲と交互に見比べて、くるくるしていると
こんな動作は糸では無理だ!確信した。
でも、もしかしてこれに気づいた人から糸が外れていくのかも。
自分の気持ち(意思)だけで動かせるようになるのかも!と思いついた。
次の日、親や弟の身体をよく見たけど糸らしきものは見つからなかった。
親は気がついて、もうとっくに糸が外れたのかもと思ったけど、
幼稚園児の弟がこんなことは考えないから、気がついて糸が外れたとは思えなかったので、私の考えはすぐに却下となった。
また夜に目をつぶる前、天井を見ながら考えていた。
糸は実は見えない透明な糸で、神様しか見えてなくて、他人も本人も見えなくしてあるのでは?と思いついた。
でもそれだとジャンクルジムで遊んでいる時にみんな絡まって大変になるはずだし。と色々と考えてこの糸説は諦めた。

ちょうどこの頃ドラえもんの最終回説が噂になていった。
「植物状態で入院しているのび太くんの夢」説。
これはかなりの衝撃だった。もしかして私もそうなのでは思ったほど。
なんとか自分を動かしているものの正体を突き止めたいと思っても、
小学生では無理なので、両親に聞こうと思い母に、
Q:「お母さん、なんで人間は動けるの?」
A:「ご飯食べてるしやん」

終わりました。
知性や考える力、教育って近くにいる大人の影響が大きいと思う。
私の子供時代はネットがないので調べ物は図書館しかなかった。
もしくは親に質問して聞く。ここでつまずくと「知る」という事が終わる。

「不知の知」=「無知の知」
「自分が何も知らないということを自覚する」
もちろんこんなことも知らない小学校1年生の時に同級生の女の子に
『無知は罪なんやで』と言われた。
「私は生きているだけで罪なんやろうか?」とその後何年も思っていました。
学校の勉強が全く出来なかった子供でした。学校の勉強は面白くなくてつまらなかった。
でも、動物図鑑や天体観測、伝記物などが好きで、教科書以外の本はよく読んでいました。
この頃にもし哲学を知っていたら、人生変わっていたのかも?と思うのと同時に
今から知る方が楽しいのかもと思っています。

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