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1枚の写真がモデル人生を変える

事務所に入ってモデルをするにあたり、まずはじめに直面した大きな壁は、”写真が撮れない”ことでした。正確に言うと、撮ってもらっても”いい写真”と呼ばれるものが少なかったということです。それは私自身の表現力の無さや、モデルとしては不十分だった体型が原因だったと思います。

今回はそんな新人時代の話とともに、モデルにとっての写真の重要性、そして私自身が海外に挑戦するまでの経緯についてお話しします。

◆写真が撮れない

現在の事務所サトルジャパンに所属した際、私が真っ先に言われた言葉。

「亜美はウォーキングはいいかもしれないが、写真がなぁ…」

…とてもショックでした。痛いところを突かれた…実は私自身もどこかでわかっていたのです。所属前のレッスン生だったとき、同期の中でも写真が撮れている子のポートフォリオは、私の物とはどこか違っていました。

当時この言葉を聞いた私は、ショックだったのはもちろん、すぐに悔しさが込み上げてきました。この言葉をいつか撤回させたい、写真が撮れるモデルになりたい…!

そこから怒涛の作品撮りを開始。事務所に顔を出しては、「事務所に依頼が来ている作品撮りはないですか」「作品撮りしたいです!」「作品撮りは全部私に回してください!」と言い続けました(今思うと相当しつこかったので、マネージャーも辟易としていたかもしれません笑)。また、自分の事務所から他事務所のHPまでとにかくたくさんの写真を見るようにし、好きな写真の先輩にお会いした際には撮影したフォトグラファーの名前を聞いてみる…など、1回でも多く写真が撮れるよう、作品撮りに繋がるような行動はできるかぎりしました。

その甲斐あってか撮影する機会が増え、徐々に写真が集まり始めます。けれど、それでも”いい写真”は少なかった、それを裏付ける出来事がありました。

◆海外への資料出し、全滅

所属してしばらく経った頃、東京コレクションでのMissoni来日ショーへの出演が決定。この1本が大きく影響し、当初事務所から言われていた”コンサバなモデルの仕事を取る”ことから方向転換。よりモードなファッションの仕事を目指すことになりました。

そしてこれをきっかけに、モデルを始めるなら一度は試してみたい!と夢見ていた海外での挑戦を、ついにマネージャーに相談することになりました。

どうしても諦められない、という気持ちが溢れ、当時よく仕事を担当してくれていた日本人部のマネージャーに、まさかの泣きながら懇願しました笑。
これは本気だと感じ取ってくれたのか、海外のモデルを扱っている外国人部のマネージャーに話を繋いでくれることに。日本人部と外国人部のマネージャー、そして私の3人で話し合い、そこまで言うなら一度、海外事務所に写真や資料を送ってみよう、そこで所属OKの返事が来たなら挑戦したらいいという結論を得ました。

海外に挑戦するためには、多くの場合、その国の事務所と契約する必要があります。その契約に必要なものが、モデルのポートフォリオ。それを見て、そのモデルと契約するかどうかの最初の判断をするので、とても重要なツールです。モデル本人の容姿が相当良くて若い10代なら、これから育てていけるからと所属できる可能性は高くなりますが、それ以外の写真が撮れないモデルは、即戦力にならないと思われ、契約までいけないことも多々あります。やはり”いい写真”を持っていることは重要なポイントです。

私はと言えば、今まで撮りためてきた写真を全て出し、その中でいいとされる写真をメールで送ってもらいました。ニューヨーク、ミラノ、ロンドン、パリ、シンガポールなどなど…あらゆる事務所に。
しかし、1週間、2週間と経ってもOKを出してくれる事務所は1つもない。「写真だけだと判断が難しいから、直接会って判断がしたい」と言われることはよくあると聞いていましたが、そういった話もない。つまり書類審査の段階で不合格、”呼ぶまでもない”モデルだったのです。

◆1枚の写真がモデル人生を変える

どこからも返事がもらえず、海外挑戦は終わりかと思いきや、どうしても海外に行ってみたい私は、時間を置いて再度挑戦することに。写真と体型を変えるため、半年間がむしゃらに動き続けました。体型が大きく変わったかと言われると、そこまでではなかったように記憶していますが、撮影の方は、今まで撮ってきたものを一新できる程に数をこなしました。週1ペースで作品撮りしていた月も。

そして出来上がった1枚の写真。無我夢中で撮影していた私にとって、この写真を撮れたことが、その後の状況を一変することとなりました。作品撮りのオファーが増えたことはもちろん、オーディションに呼ばれることも格段に多くなりました。

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肩のタトゥーは、メイクさんが3時間かけて描いてくれた力作です!


何年も経ってからマネージャーと話していた時、「この写真をホームページに掲載してから、亜美への作品撮りのオファーが物凄く増えたんだよ」と当時の状況の変化を教えてもらいました。それほど、私にとってもマネージャーにとっても印象的な”いい写真”でした。

特に記憶に残っているのは、この写真を見た方からフリーペーパーの撮影に誘っていただいたこと。ギャラはなかったのですが、私が憧れる最高のメンバーとご一緒することができました。さらにその撮影の数ヶ月後、そのチームの方から別の雑誌の表紙にオファーされ、モデル人生で初の表紙撮影に臨みました。作品撮りが目に見えて仕事に繋がった瞬間です。
(その撮影の詳しい話は以下のリンクからどうぞ)


作品撮りで毎回”いい写真”が出来上がれば、それは1番いいこと。でもそれよりも大切なのは、毎回いいものが撮れなくとも、何が原因なのか、体型なのか表現なのかポージングなのか…常に考えて試していくこと。試しながら夢中でやっているうちに、ふと”いい写真”が撮れる、そういうものなんだなと思いました。
最初は1枚あれば十分。それが撮影を呼び、自分を次のステージに押し上げてくれたら、またそこでいいものを撮る。いくつになっても、モデルを続けていく限りは終わりがないのだから、今全てを”いい”で揃えられなくても、アップデートし続けて”いい”を増やしていけばいいのだと思っています。

◆2度目の資料出し

話は戻りますが、半年間の期間を置いていよいよ2度目の資料出しが行われました。前回から写真をガラリと変えての挑戦。

結果、またもや欧米からは返事なし。けれどアジアから1箇所、シンガポールの事務所に所属OKの返事をもらうことができました。こうして初の海外挑戦はシンガポールのmannequin STUDIOへ。モデル人生でも内容の濃い、短いようで物凄く長かった1ヶ月半の生活が始まりました。

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最後まで読んでくださってありがとうございました。次回はその初めての海外挑戦、シンガポールでのモデル経験についてお話しします。良ければフォローとスキ(♡ボタン)をお願いします!

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