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8、屋上ミサイル


「世界征服を成し遂げるためには何が必要かなぁ」


  力、と彼女の風変りな質問にも咄嗟に返事ができるほど、私は彼女と時間を共にしてきたようだ。部活動も引退して塾に通い始めた私と、独学を貫く彼女と過ごす時間も減ってくるものだと思っていた。
私の回答に不服なのか、受験勉強のしすぎ病と診断した彼女にも答えを求めてみる。夢のようなことを真面目に考えているうちに、階段下から「晩御飯何がいいー?」と言う声が響く。よその家の子である私にも平気で怒鳴り声をあげるその声に、灼熱の季節にも関わらず、毎日のように「炒飯!!」と返事をする。すると「また炒飯?」というお叱りを受ける。これが日課になりつつあった。「世界征服したら毎日炒飯にしよう」と企む彼女はとても馬鹿げている。



 昨日まで日常は順調だったはずだ。
彼女の席は空席のままであった。誰も何も言わないのは、彼女は遅刻の常習犯であったからである。だいたいの要因は夜遅くまで“ごっこ”遊びの続きを考えていたか、ダンス動画に夢中であったか、だ。習得したダンスを披露してくることもよくあったし、フォーメーションダンスと呼ばれるものには不特定多数の者たちを集めて練習に付き合わされることも度々あった。

 「××ちゃんのお父さん亡くなったってほんま?」

 物事を知らせるのはいつだって人の噂話だ。
普段あまり関わりがないクラスメイトが私に尋ねるのは、少なくとも彼女が周りからも愛嬌がある人間として慕われているからだ。身体を巡る血液が循環を止めたように体温が下がっていく感覚。しかし、不思議と口は動くもので「知らない」と言った声は、自分から発した音にしてはずいぶんと響いた。

 長い列に並ぶ間も、たくさんの人が涙を流しながら席に戻っていく。同じ制服を着た顔がそれぞれに見合ったような表情を用意して列に続く。混ざれているか?混ざっていいものなのか?どういう顔をすればいいのか。これは母が天皇陛下のニュースを見ている時の、あの感じに似ている。その時の母は、涙したり微笑んでみたりしては最後に手を合わせて「すごいね」って言うのだ。私はそれに対していつも曖昧に微笑む。列が短くなっては、後ろに並び直しずっと考えていた。

 ようやく到達した場所で見えた彼女は、目を閉じて念仏を唱えていた。
一向にこちらを見ない。
代わりにチャーチャンが微笑んだ。
しわがたくさんできていた。
彼女がこちらを振り向いた気がした。



 彼女はしばらく学校に来なかった。
先生もクラスメイトも誰もが彼女の空いた席に理解を示しているようで、それが殊更に私を責め立てているように思えた。彼女にはしばらく会わなかった。

朝起きた、それは突然に。
どんな毎日を過ごしていたのかも案外覚えていない。塾帰りのコンビニ、趣味の悪いアイスが王道アイスと堂々と並ぶ。彼女はこの趣味の悪いアイスが大好きだった。人気がないなら私だけで食べ尽くすことができる、と心底嬉しそうに言っていた彼女の顔が上手く思い出せない。


 決めた。作戦は今夜、今すぐだ。
ずっと昔から「ものわかりのいい子です」と先生に言われることが大嫌いだった。
誰かの思い通りであることが悔しかった。
腹立たしかった。
悲しかった。
誰も何もわかっちゃいない。
世界征服には何が必要だとか、
お通夜の常識とか、
天皇陛下の真意とか、
炒飯がなぜこんなに美味しいのか、
実は毎日をどう生きているかとか、
彼女が毎日のように睡眠不足で学校に遅刻するとか、
わかったように、わかっていない。
こんな時やあんな時に、どんな顔して何かを言えばいいのかなんて選べないし、わからない。
誰にでもわかったふりができない。
しかし、わかってくれと宙を仰いだ手に道化のように微笑みかけるような、そんな恐ろしいことは、するな。
 インターホンを鳴らすとすぐに出迎える私より少し上にある腕を強く引く。勢いよく進む。もう思い通りになんてさせないと決めたのだ。


 夜の学校に入る。
校舎の外階段を駆け上がる。
足音と風の音がよく聞こえる。
スピードは落ちない。
最後は施錠された扉を乗り越える。
屋上は緑色でふかふかしていた。
町は真っ暗で、すでに眠っているようだ。
繋いだ利き手はもう離さない。

「一緒に飛び降りてって言ったらどうするつもり?」
 と彼女が、いつもみたくふざけるのも今日は少し違う。「明日は学校閉鎖だね」とだけ淡白に答えてみると少し驚いては、困ったみたいに笑う。
いつだって無作法なのは彼女なはずなのに、何を言わずとも総てわかったように微笑みかけてくる顔が気に入らない。

 「世界征服おめでとう。」
遮るようなわたしの大きな声に、彼女の肩が少し揺れるのがみえた。たくさんの種類のコンビニ袋を逆さにし、あの趣味の悪いアイスと冷凍炒飯を流し出す。この町のすべての趣味の悪いアイスと冷凍炒飯。


いつか母に「どうして?」と聞いたことがあった。
「わからないの?」とだけ答えてそっぽを向いた母はこのことを知っていたか?
夜は思っているよりも、随分明るい。


ウーンと唸っては、やはり笑い出したり。
すると彼女は冷凍炒飯の一つを開封して中身を手いっぱいに掴み、下界に向かって放り投げた。

パラパラと道路に落ちたり、風に少し流されたり。

私もまた、冷凍炒飯を一つあける。

思いっきり放り投げる。

彼女は笑う。

地面に散らばる炒飯。

明日はどのように話されるのだろうか。


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