ぐらしあすの「ディスレクシア」について

今回はディスレクシアに限る。
この「ディスクレシア」という言葉、昨日はじめて知った。
というのも、ヘヴィーメタルバンドのオジーオズボーンのWikipediaを読んでいたら、オジーは少年時代「ディスレクシア」を抱えていたとも言われる。
という一説を読み、「ディスレクシア」とは何ぞやと興味を持って調べてみた。
それは、発達障害の中に分類される学習障害の一種で、文字の読み書き学習に著しい困難を有するとのこと。
かいつまんで言えば、文字を「見る」→「単語にくくる」→「音に変えて記憶と照らし合わせる」→「意味を理解する」とった一連の流れに障害があるということ。トム・クルーズがそうであったとも書かれている。
この「ディスレクシア」はDSM-5にカテゴライズされている。

近年になって「学習障害」とは?ということが認識し始めた。

さて、つい15年位前まで、いやもっと前から、この障害を抱えている子供たちがいた。
「なぜこんな簡単なことが覚えられないのだ?」「勉強不足だろ?」などいろんな人々から言われ続けてきて、本人にとってはさぞ苦しかっただろうと思う。
本人もなにがなんだかわからず、「自分は頭が悪い」とか「勉強が苦手」だという思い込みもあったであろう。

当時は「ディスレクシア」という概念もなく、本人も保護者も教師も「なぜ?」という大きな疑問を抱いていたであろう。

何が言いたいかというと、時代が進むにつれて、疾病が細分化され、そして新たな概念として認識され、そのことが世間一般に認知されていくには時間がかかるということと、その事実を知る必要があるということ。また、その背景には何があるのかも含めて、「こどもの不得意な面」をマイナスにとらえ、そのことに注目しすぎるのは、そのこどもにとって非常に危険であると感じた。

以上は冒頭にもあるように昨日知った内容。
まだまだ知らないことがたくさんある。
知らないということは、偏見を生みやすく、偏見を受けて育つと、今後将来について、ずっと悪影響が続くのではないかと感じた。

ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。