ぐらしあすの「精神障害者はパラリンピック出場の対象外について考えてみた」

ぐらしあすはうつ病なので、この記事は「主として気分障害圏」の障害者に絞って書く。

パラリンピックを見ていると、感動し、勇気をもらい、希望を与えてくれる。

そして、「障害への理解と啓発」を併せ持つ。

ならばなぜに精神障害者は、競技種目への出場対象障害に属さないのか。

要は「障害が外から見えない」ということと、「身体能力は健常者より劣っているとは言えない」という理由からだろうか。

障害の種別についてどこかでラインを引かなければならいのはわかる。

では、精神障害者が参加できる競技を考えてみた。
答えが出ない。

ぐらしあすを含め気分障害圏の人々は、気分の波が激しく、物事への意欲低下がみられ、時に希死念慮も併せ持ち、長時間、長期間継続して物事を成し遂げていくのが困難である。

ご存じのようにパラリンピックは、オリンピックと同様に4年に1度開催される。
この4年というのは非常に長い。
それであるならば、気分障害圏の人々は、4年間ずっと目標を持ち続け、チャレンジする精神と行動の継続、そして大会が始まると、数日間にわたる緊張の連続、選手村の世界各国の人々との対人関係性の問題を考えると、ぐらしあすもそうであるが、このこと自体が非常に困難である。

そしたらどんな種目に参加できるのか、もう一度考えたがやはり答えが出ない。

例えば(ぐらしあすが知らないだけで、既に行っているかもしれないが)、障害への理解啓発も大会の目的に含めるのであれば、精神障害のある人々が、自身の症状や生きづらさ、それに対して日々どう過ごしているか、どんな希望を持っているのか、社会(コミュニティ)との関りをどうしているのか、そして、今後自分たちが自分たちらしく生活できるために、社会がどう建設的に変わっていくことを希望しているのか等の内容の意見を当事者が述べ、それを各国の人々に聞いてもらえる機会のために、メイン会場の側(出来れば中が良い)にでも設置して、生の声を世の中に向け発信する機会、或は外国での精神障害者施策や支援の取り組み、また、例えば「精神障害のあるAさんの1日」という内容のビデオ上映をするなどの方法があっても良いのではないかと考える。

オリンピック・パラリンピック委員会では、上記のような出場対象外への障害者についてどう考えているのだろうか。

具体的な内容の話を聞いてみたいと思う。

障害という意味では「同じ人間であり、互いに障害者であるから」

上記のようなことを考えた。

ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。