ぐらしあすの「カラスの喰らいついた獲物に対する執着気質と生命を賭けた逃飛のギリギリの判断について(仮説)」
ぐらしあす地方は山の手で、人々の往来の少ない舗装された道路がある。
車やバイクは結構なスピードで走っている。
ぐらしあすが走っていると、前方でカラスが数羽道路上で生命絶えた小動物の亡骸をがむしゃらについばんでいる。
道路の真ん中である。
カラスにとっては格好のごちそうであることはいうまでもない。
いつも感心するのが、車がカラスに近づくのと、カラスが逃飛するタイミングがまさにギリギリであるということ。
ぐらしあすが40キロのスピードで走っている時と、60キロで走っている時はカラスに接近するタイミングに当然誤差がある。
ぐらしあすはカラスの手前でブレーキを踏まない。しかしいつも間一髪のタイミングでカラスは車には衝突しない。
カラスは賢明である。
このような状況から、カラスは近づいてくる車のスピードと、一旦獲物から離れる瞬間を、場面に応じて計算出来る能力があるのかもしれない。
数羽いるということは、ボス的存在の飛逃に併せて行動しているのか。
今度いつ獲物にありつけるか分からない今を、ほとんど360度アンテナを張り、向かって来る対象物の大きさ、速さを見極めた、命がけの行動ではないかと推測する。
ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。