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7.1718192021 夏の音と呼吸

 夏になると夏目漱石を読んでもいい気がするのはどうしてだろう

 祖母の家へ向かう電車の中でなにか小説があるといいかもと考えついたのはゆまちゃんに「お疲れさま」と言ってお店を出て、横断歩道を渡り切ったときのことだ。
視界にとらえていた地下街の入口に降りるのをやめて地上を歩く。本屋に寄ったら夏休みだった。

日曜日だから時間帯を問わずいろんな種類の人がいることは想像していたけれど、小説たちに夏の帯がついていたり子供と一緒に本を選ぶ母の姿だったりがあってなるほどと思った。


 昨日「危険な暑さ。対策を」というニュースを見たけれど、今日になって「昨日よりも更に酷暑」というニュースを「きっと明日もだよな」と流す。 

バケーションがはじまったのか増えてきたヨーロッパ系の旅行者、木製の椅子の脚で羽化をはじめている蝉、梅雨の終わりと共に増えた気がする救急車のサイレン
夏であることはどんなところからも想像ができるけれど、夏休みであることを想像する事象にまだ出会えていなかったかもしれない。

 夏休みと聞いて連想するもののひとつに、わたしは夏目漱石がある。
名前に夏が入っているからとかそういう単純なやつかもしれない?と考えた結果、たぶん、夏を鮮明に捉えたと思ったはじめての小説が『こころ』だったからではないかと推測した。

描写がなんだとか読んだ季節が夏だったかとかはわからない、あんまり思い出せないけれど、夏休みとこころはわたしの中で同義と言ってもいいかもしれないなと本に巻かれた様々な帯を目で追いながら思った。

棚に気になる本は見つけられず、手持ち無沙汰で電車に乗ったから仕方なくスマホを開きわたしの脳みそにあるものをただ、すすすっとメモに起こしている。

7月23日が締め切りのnote大賞には間に合わなかった。間に合わなかったという表現しかできないうちは大賞なんてとれやしないよと思うけれど、引き続きこつこつとやるしかないと知っているつもりだ。

創作がどこまで進むかわからないとわりきりながら取り組んでみて気がついたことは、書きたい!と思って書くのではなくて、弓を射るように言葉を刺していくモチベーションがわたしに現れるのだということ。
それがあまりに瞬間のことに思えるから、わたしにとってのゾーンだと定義していいのではないかな。
ただし、そのゾーンで飛び出る言葉はずいぶん鋭利なのでゾーン外の時間にまろやかにしていくのも忘れないでおくように。


 最近は日記を手書きにする日があったりしてnote自体の更新を滞らせていたけれど
紫外線アレルギーとはいえ半袖に取り組む必要があるなと思ったことくらいであとは日々わたしがわたしのまま生きている。(紫外線アレルギーって何度聞いても変な言葉だよね。紫外線があたかも物体みたい)
とはいえいろいろあったからざざっとまとめて投稿してみようか。よし。

7.17

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