子どもの頃の話

こんにちは。
私は母に叩かれて育ちました。その頃は周りも似たようなもので特別なことではありませんでした。閉め出しをされた当初は玄関の前で号泣してました。そのうち慣れてきて、住んでいた団地の階段を最上階の4階まで上り景色を見ていたり、自転車置き場にある父のスーパーカブの上でボケっとしたり、ついには近所の公園に遊びに行ってしまったりしました。時には自宅の狭いフローリングに正座させられたり、布団たたきでお尻を引っ叩かれたりしました。このくらいはまだよくあることだと思います。


しかし、私の記憶の中では現在なら確実にDVと言われるようなこともされました。タバコの火を手の甲に押しつけられたのです。 
母は事故だと言っていました。ですが、同じことを妹もされた記憶があるんです。偶然が2度も続けばそれは必然ではないか?と思うのです。


このような環境だったからか、親の顔色を窺ってばかりいました。子どもの頃の母の記憶は、眉間に皺を寄せ眉がつり上がった顔ばかり。怒られないようにしなきゃ、いい子でいなきゃと考えていた気がします。
出かける時は「どこに誰と行くの?何時に帰るの?」と毎回聞かれました。ある程度歳を重ねてからも「夕飯はどうするの?何時くらいに帰って来る?」と聞かれました。


ずっと母→子という一方通行が続いていたように思います。それでも私が小学5年生でいじめられた時は、学校の担任の先生とすぐに話してくれました。そのことは深く感謝しています。
それ以外はいい思い出がないというのが正直なところで、怒った顔と、正月の煮物と、たまに作ったフレンチトーストとポテトサラダくらいしか記憶がないのです。
本当に小さかった頃はあったのでしょうが、母に抱きしめられた記憶がないんです。父には……んー、どうだろう……。私たち姉妹は寝る前に父に足の裏にキスしてもらってから寝付いていたこと、夜中に目が覚めてトイレに行くときは父を起こしていたことは鮮明に覚えてはいるんですが。


母には面倒みてもらったとは思います。ただ「愛された」という認識はありません。愛された記憶がないから、人の愛し方がイマイチわからないまま生きてきたように思います。
愛される理由もわからなければ、存在意義もわからない、それでも命は途切れないのです。今のパートナーと出会って「愛すること、愛されること」がほんの少しわかって、温かい時間を過ごせるようになりました。


さて、今日はこの辺で。次回は何を書きますかね?では、また。


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