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黒のストッキングⅢ

2022年の梅雨があけた
じいちゃんがいなくなって,初めての夏が始まろうとしている

じいちゃんが死んだあの夜
霊柩車で家に帰って,仏壇の前にじいちゃんを寝かせた
もう12時が近かったのに,葬儀屋さんはすぐにきてくれた

てきぱきと死に装束を着せ,葬儀の準備を大人たちと進めていく
従姉と一緒にじいちゃんの足に足袋をはかせる
静かにただ眠っているようなだけにしか見えないのに,もう生きてないのだ,器になってしまったのだというのは変な感じだ

大人たちが葬儀の準備を進めていくなか,孫たちはじいちゃんを取り囲み,つるつるの頭に,頬に,手に,足に,体のどこかに触れ,思い出を話しあう
遺影も選ぶ
目の前に亡くなった人がいるとは思えないほど,普段のように笑って話す 
スイカわり,流しそうめん,本屋さんに行ったこと,愛犬シバとの散歩
盛り上がりすぎて怒られてしまったけど,きっとじいちゃんは許してくれる気がする 勝手だけど
(結局生きている人の勝手で意味づけをしていくんだとも思う)

結局,眠りについたのは朝の4時だった
次の日ともいえないようなその日の9時には,葬儀屋さんがきて
今度は白い棺桶にじいちゃんを入れた
「身長が大きいからねぇ」と棺桶のサイズぎりぎりにすっぽり入ったじいちゃんをながめる
やはり今にも目があきそうなのである

「南無阿弥陀仏」と手を合わせることがどうしてもできなかった
数日前までには生きていたのに,どうしてすぐに手を合わすことができるのか 
仏様に唱えるようにお経を唱えることができるのか
苦しさと悔しさと悲しさが一緒になってこみあげてくる

「おじいちゃんが亡くなったんよ」と涙声で知人に電話する祖母
どうして,愛した人を「亡くなった」と自分の口から言わなければならないのか 祖母がすすり泣く隣の部屋で苦しく思った

死装束を着て,真っ白い棺桶に入っている祖父のすぐそばで、
私たちはご飯を食べるし,疲れて眠りにつくし、テレビも見る
通夜とお葬式の準備をてきぱきと、悲しむ暇などないほどにてきぱきと進めていく

お葬式までの時間は、祖父が祖父のかたちでいた安心感があった
触れられる,顔を見ることができるということ

時間が進むにつれ,明日には,数時間後には,灰になってしまうのかと思うと,みぞおちのあたりがひゅっとして,逃げるように準備にいそしんだ

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