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平成なのに体罰が当たり前だった私が通っていた中学校

中学二年生の時、ソフトテニス部に所属していた。
試合のとき私のミスが多くて第一セットを落としてタイムに入り、顧問の元へ走った。
「死ねぇ!」と言われラケットで頭を殴られた。
私はその光景と顧問の表情、ラケット殴られた時の目がチカチカする感覚を今でもよく思い出す。
理不尽な体罰を向けられたことへの悔しさと、それでも部活を辞める勇気をもてなかった自分自身への怒り。

私の通っていた中学校は、他校から北○鮮学校と言われるくらい校則や教師が厳しいことで有名だった。
何故そんな厳しかったかたというと、ヤンキーや暴走族が流行った時代私の中学校は荒れに荒れていたらしい。
地元でも悪評漂う学校だったと、母からいつも聞かされていた。
その名残か、もう荒れさせたくないという思いかは分からないけれど、とりあえず軍隊みたいな学校だった。

生活指導の先生はいつも竹刀を持ってウロウロしていた。
バレー部の子は、次の日までにショートヘアにしなきゃいけないと言っていた。
反抗した先輩は平手打ちを食らったそうだ。

言葉や実際の暴力で何が解決できるの。
いつも私はそう思っていた。
だから反抗もたくさんした。
心身ともにボコボコにされた。
悔しかった。でも中学生の私にはどうすることも出来なかった。
こんな事が教育では無い、押さえつけたってなんの意味もない。
そう思って過ごしていた。

子供というのはとても無力で、弱いフリをしなければいけない。
じゃないと大人から潰されてしまうから。

教育にこれが正しいというのはないと思う。
でも体罰は決して正しいとは言えないと思う。
寧ろ生徒に手を出した時点で教師の負けだと思う。
たった一人の生徒を説得できない語彙力の無い教師。結局暴力で黙らせる。

実際体罰で不登校になった子もいる。
私も最終的に不登校になった。
絶対に許したくない、許してはいけない。

お前の為を思ってという奴は大抵自分の為にしか動いていない。


あの時の教師がどうか苦しんでいますように。

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