ピアノと祈りと
E テレで2024年2月10日に放送された「漁師と妻とピアノ」を見た。ネットでも一時期話題になっていた52歳でピアノを始めたのり漁師の徳永義昭さんのドキュメンタリーだ。
話題になっていたので、知っている人も多いかと思う。フジコ・ヘミングの弾くリストのラ・カンパネラを聞き、この曲を弾きたいと思った彼が、猛練習の末、各地でコンクールに出るまでになった。そんな彼に寄り添っていたのは、ピアノ講師でもある妻の千恵子さんだった。
リストのラ・カンパネラといえば、辻井伸行さんがウィーンで弾いていたのが記憶に新しい。私のラ・カンパネラのイメージとしては超絶技巧曲、である。恐らくピアノ経験がなくても、あの曲を弾くのがものすごく難しいことは、ある程度想像できるのではないだろうか。
今までピアノに無縁だった彼が、フジコ・ヘミングの弾くラ・カンパネラに感銘を受け、奥さんである千恵子さんのピアノで猛練習を始める。
彼のことは勿論存じ上げていた。今回、ドキュメンタリーを見たのは、彼がピアノを弾き続ける動機や衝動がどこにあるのかを知りたいと思ったからだ。ドキュメンタリーを見ることで、少しはそれを掬い取ることができるのではないかと思ったのだ。
ドキュメンタリーは徳永義昭さんと奥さんの徳永千恵子さんのインタビューで幕を開ける。
きっと、2人で、二人三脚で、長い道を歩いてきたんだろう。本人の努力は言わずもがなだが、それを陰で支えてきた千恵子さんの労力を感じ、長い時間に思いを馳せた。ドキュメンタリーに「語り」はなく、淡々と映像だけが流れていく。義昭さんの練習風景や、本業である海苔業の様子、お2人の地元である佐賀県の美しい映像。
ドキュメンタリーというものを心の底から信じるという行為は馬鹿だと思う。
だけど、その中にある真実を掬い取る目を養うことは重要だ。
きっと、お2人とも、心の内を全てあけすけに語っているということはあるまい。きっと、語らない部分が、晒さない部分がある筈だ。
そして、その語らない部分にこそ、大切な何かがある筈なのだ。きっと。
私はそれを掬い取りたい。
ドキュメンタリーでは、お2人が高校時代に出会い、付き合い、千恵子さんが音大に就学する部分も切り取られている。2人の中には、ずっと音楽があったのだな、と思った。2人を結び付けたものも、音楽だった。2人の人生の中に音楽があり、それは切っても切れないものだった。義昭さんのお父さんは、義昭さんが練習を始めて3年後頃に亡くなっている。それが、2人にとってはとても大きな事なの
ではないかと私は感じた。
お父さんが亡くなった後、仏前にお酒などをお供えする様子を語る千恵子さん。そこに、何か感じずにはいられなかった。
札幌のコンセルトヴァトワールにてコンクール本番前の公開レッスンがあって、そこで義昭さんがラ・カンパネラを弾かれて、院長である宮沢功行さんが義昭さんに言った言葉が良かった。それを少し書き起こす。
「音の一個一個の中が熟成されてるような段階に来てる。
音楽は愛なんですね。
あなたの一音一音にはちゃんと愛がこもってる。
10年前に始められて、その時はお父さん亡くなられてるって言われてた。
お父さんの魂に音が転化してちゃんと聞こえてると思う。
このまま弾き続けて欲しい。
誰に何と言われても「これが俺の音楽に対する愛だ」と。」
その後に、義昭さんは泣かれた。
お父さんが横の部屋で聞いているんじゃないかと思って弾いていた。そうゆう思いがなければこれだけ続けてこれなかった、と語る義昭さん。
私はこの時、クリストファー・ノーラン監督の映画「インターステラー」の中でアン・ハサウェイ演じるアメリア教授が言っていた「愛は観測可能な力である」という言葉を思い出していた。
2人の間には、私の立ち入れない歴史と愛があって、義昭さんと、千恵子さんの、2人の愛と、2人の両親への愛と、色んな愛が「今」という3次元に落とし込まれて、私はそれを観測している。きっと、たぶん、それだけのことなんだ。
ドキュメンタリーの合間で、義昭さんが少しぶっらきぼうに千恵子さんに声をかける瞬間が何度かあった。きっとそれは、漏れ出てしまった2人の日常で、こんな風にドキュメンタリーなんかで美しく切り取られた部分だけじゃない、お互いへの苛立ち、長年蓄積されたものとか、なんだろう。
でも、きっとそれを含めての愛なんだ。
熟し切った今だけ私は見ているけど、ここまで来る道程の中には色んなことがあって、色んな葛藤があって、色んな感情が渦巻いていたことだろう。
赤の他人である私が、「愛」と語っていいような、なまぬるいものじゃないだろう。
義昭さんが、ラ・カンパネラを弾く姿は美しい。
そこには、義昭さんの理がある。
それはもう、宇宙なのだ。
私は人の宇宙に触れ、心が揺さぶられている。
ドキュメンタリーは、千恵子さんがウラジーミル・ヴァヴロフのアベマリアを弾き、義昭さんが見つめる場面で終わる。
恐らくこれは、番組側の演出だろうが、最後はに噛んだように笑う千恵子さんに、これはこれで悪くないと思った。
願わくば、
全ての人の人生に音楽が溢れんことを。