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『イルカとあおぞら』#8

3月3日 水曜日
 
 
 きょう、おかあさんの誕生日だ。
 おめでと。
 
 
 アロマオイル、買ってみた。おかあさん、ラベンダーの香り、気に入ってたから。
 おかあさんの匂いに、すごく、よく似てて。なんでか、ぽろぽろ泣いてしまった。
 
 
 
 工房、行こうかなって、思ったんだけど。水曜日の夕方は、教室、やってるから。
 あした、かな。
 
 
 そしたら、きょうのうちに。
 デザイン画、描いておこう。
 
 
 
 
 
 
3月4日 木曜日
 
 
 お昼ごはんを食べたあと、工房へ。こないだつくった、青いかけらを受け取るのと、それと、もういっこ。
「ふむ、アロマペンダント」
「ん。つくりかた、知りたくて」
 アロマオイルを入れられるペンダントって、ガラスでつくれたはずだから。ただ、空洞をつくるのに、おそらくは吹きガラスの手法が必要になってくる。
 わたしの質問に対して、ユウさんがちょっとだけ目を伏せた。ひととおりの手順をたどるみたいに虚空で指先を動かして、その途中でぴたりと手を止めて。自分の手をしばらく見つめて考え込んだあとで、ユウさんはようやく口を開く。
「るりちゃん、ガラス吹けるっけ」
「あんまり、じょうずじゃない、かな……」
「そっか。小さいものでも厳しい?」
「それ、は、……わかんない。やったことない、と思う」
「ん、それなら、やってみたらいいんじゃないの。手順は教えるから」
「いいの?」
「うん、いいよ」
 て、ことで。やるだけ、やってみることになった。
 最初に、つくりたいイメージを尋ねられて、こういうの、ってスケッチを見せて。
「あれ。珍しいね」
「……そう、かな」
「るりちゃんがここまで明確にデザイン決めてるの、はじめて見る気がする。なんか、つくりながら決めていってるんだと思ってた」
 スケッチブックの上で、指が少し震えた。ユウさんの見立ては、正しい、んだけど、
「今回は、どうしても、このかたちにしたくて」
「そっか。理由って、聞いてもいいのかな」
「——ん、だいじょぶ。話す」
 左腕の、肘のあたり、右の手できつく握る。さっきから、指とか、手とか、うまく動かないの、なんでなんだろ。寒いわけでも、なんでもないのに。
「おかあさんが気に入ってたペンダントが、こういうかたち、してて」
「そうなんだ。じゃあ、実物、あったりするの」
「ない」
 もう、残ってない。
 否定が返ってくるとは思っていなかったのか、ユウさんの反応はいつもより遅れた。まず、瞬きをひとつ。そのあと、視線を伏せて、考え込んで。ぐしゃぐしゃの黒髪で目元が隠れて、あんまりよく見えない。でも、表情がわからなくても、真摯にこころを砕いてくれてるのは、はっきりと伝わってきた。
 そっか。ユウさんには、この話、まだ伝えてなかったっけ。聞き出そうと思えば、タイミングは何度もあったはずだけど。いままでずっと、聞かないでくれてたんだ。
 だから、これは。聞かれてもいないことを、わたしが勝手に話しているだけ。
「わたし、海で溺れたことがあって。そのときに、おかあさんたちが、わたしのこと、助けにきてくれて——結局、わたししか助からなくて」
 ふわり、苦笑してみせると、ユウさんの表情は静かに歪む。ごくわずかな変化ではあったけど、痛いの、こらえようとするみたいな。
 そんな顔、しなくていいのにな。
「おかあさんのペンダント、あのとき、流されちゃって。見つかってないから」
「……そっか。取り戻したいね、それは」
「ん。だから、このかたちがいい」
 おかあさん、きのうが誕生日だから。お気に入りのペンダント、返してあげたくて。
「——うん、わかった。聞かせてくれてありがと、るりちゃん」
 ぽふ、っと、頭に手を置かれた。あったかい、って思って、数秒遅れて理解した。ユウさんの手が温かい、っていうより、わたしの身体が冷えてたせいだ。くしゃり、一回だけ髪をなでられてから、そっと手が離れていって。
「これだとね、わりと吹く工程が多くなると思う」
「う、……そう、だよね」
「ん。吹いて、整えて、また吹いて、みたいな」
 スケッチブックに向けられていたユウさんの視線が、わたしのほうへ戻ってきた。それから、ユウさんはゆるく首を傾げる。前髪のあいだから、黒曜石に似た深い色の双眸が覗く。
「吹きガラス、どのへんが苦手、とか。自分でわかるなら、聞いておきたいんだけど、どうだろ」
「ん、と。吹くのを回しながらやるとか、整えるとか、そのあたりは慣れてるから、そんなに困ってなくて」
「うん」
「あの。ガラスに吹き込む息が、なかなか、安定しなくて」
「そこかー」
 ちょっと、ため息が混ざったみたいな声、してた。わしゃっと、自分の髪を片手でかき回すようにして考え込んでる。いつものことだけど、ユウさん、髪とかそのへん、ほんとに無頓着だよね。
「うーん。べつに、俺は代わってもいいんだけど……そういうことじゃないもんね」
「それは、なんか違う」
「だよね」
 そう言うと思ってた、って、ユウさんはとくに気にしたふうもなく。
「まあ、トライアンドエラーかな。いつもみたいに、一発でばっちり、とはいかないと思っといて」
「……数打ちゃ当たる、みたいな?」
「ん、そこまで自棄にならなくていいよ。コツだけ掴んだら、あとは早いんじゃない」
「そう……なのかな」
「俺はそう思うけどね。ひとまず、軽くお手本やろっか」
 いったん見てて、って言われて、観察させてもらう。まったくおんなじデザインでつくるのは、避けてくれたみたいだった。わたしがつくりたいのはハートのかたちで、ユウさんがお手本としてやってくれたのはしずく型。
 ガラスロッドをバーナーで熔かして、ガラスを吹くための筒、ブローパイプ、って道具なんだけど、その先端に巻き取って。あとはもう、あらかじめ言ってたとおり、徐々に吹いていって空洞をつくって、膨らんだらガラスを足して整えて、また吹いて。そっか、追加したガラスをなじませるのにも、吹く手順が必要になるのか。
 わたしがランプワークやってるのをユウさんが眺めることは多いけど、その逆って、いままでなかった。バーナーワークはやらない、とか言ってるわりに、実際のところ、まったく危うげなく仕上がっていく。瞬きしてたら、終わっちゃいそうなくらい。
 ほんとに、ガラスの職人さん、なんだ。
「——と、ここまでできたら、あとは徐冷して完成、なんだけど。わかりそう?」
「ん。やりかたはわかった、と思う」
 ハートのかたちにするための手順も、頭のなかでなら組み立てられた。
「よし。じゃあ、あとはもう、淡々と場数踏んでいこっか」
 なんだかんだ、三、四回じゃないの、って言われ。そう簡単にいくのかな、なんて疑ってたけど、ユウさんの言ったことは、ちゃんと正しかった。
 最初のふたつ、加減がわからなくて、けっこう派手に壊した。でも、そのおかげで、なんとなく、これをやったらいけないんだな、っていうのがわかって。三度目の正直、と言っていいのかはわからないけど、みっつめで綺麗に仕上がった。
「でき、た?」
「できたね。やっぱり感覚が掴めたあとは早いんだな、さすが」
 あとは、徐冷のために小さな電子炉へ。割れないといいな。でも、この子はきっと、だいじょうぶ。
 
 
 なんとなくだけど、きっと。
 だいじょうぶ、だと、思う。
 
 
 
 
 
 
3月5日 金曜日
 
 
 ユウさんの工房に、ペンダントだけ取りにいってきた。
 
 
 徐冷、無事に終わってた。綺麗に仕上がった、淡い桜色のハート型。おまけ、って言って、ユウさんがシルバーのチェーンと、小さなスポイトも譲ってくれた。
「せっかくだから、るりちゃんが使ったらいいんじゃない」
「——え、でも。だって、これ」
 おかあさんの、なのに。ほとんど、声が出なかった。ユウさん、ちょっと笑ってた。
「るりちゃんのお母さんの、だから、るりちゃんが使ったらいいんじゃないの」
「そう、……かな」
「うん。取り戻してきたよ、って誇って、存分に甘えて。それで、めいっぱい使って、守ってもらったらいいよ」
 その声が、思ったよりやわらかくて。視界が、じわり、滲んでしまった。
 
 
 おかあさん。お誕生日、おめでとう。
 数十時間くらいの遅刻、なんだけど。
 
 お気に入りのアロマと、ペンダント。
 わたしが使ってても、許してくれる?


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