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【短編小説】ことほぎのない町のどこかで

同僚が逮捕された。
第一報の電話を取った者の受け答えの声から、月曜の朝のオフィスは騒然としていた。
同僚が逮捕されたという電話の内容は、正式な発表を経ずとも、それとなく課内に伝わり、我関せずとデスクでコーヒーを飲んでいる私の耳にも、噂がいやおうなく流れてきた。
「岡本、マジで捕まったのか」
「結婚式挙げたんだって」
「えーっ。結婚式? いまどきそんなことする人っているんですか」
「まさか、岡本君がねえ」
「いや、あいつなら、やりそうだよ。岡本、ちょっと右翼っぽいとこあったじゃん」
「たしかに。昔の行事とか描いてあるカレンダーとか使ってたもんね」
「だろ? 結婚したって聞いたとき怪しいと思ったんだよ」
「あー、そうですよね。ふつうは言わないですもんね」
「あのときは、ちょっとデリカシーないなって思ったけど、まさかねぇ」
先週まで仲良く一緒に仕事をしていた連中が、いまは口さがなく同僚の噂をしている。私は耳をふさぎたい気分だった。
歳も六十をゆうに過ぎて多少耳が遠くなった気もしないではないのだが、こういう話ばかりは明瞭に聞こえてくるのでいやになる。
結婚式という晴れがましい儀式が犯罪になって、もうどれほどの歳月がたったのだろうか。
結婚式だけではない。この国で〈祝う〉ということが罪となって久しい。
たとえば結婚式。
この世には結婚できる者がいれば、できない者もいる。
結婚できた者にとって、結婚式というのは〈祝い〉の日であるが、反面できないものにとっては〈呪い〉にもなりうる。
万が一にも人を傷つけるのであれば、自粛をしたほうがいいのではないか。
そんな話が世の中で盛り上がり、自粛はやがて法となって人を縛ることとなった。
結婚式だけではない。あらゆる〈祝い〉がこの国から消えた。
亡くなった人がいるのだからと正月のあけましておめでとうが消えた。
成人になれなかった者がいるのだからと、子供の成人を祝わなくなった。
そもそも子供がいないものがどうするのかと、出産祝いが、ひな祭りが、こどもの日が、消えた。
母の日も、父の日も、父母が死別や離婚でない家はどうするだとか、家庭の事情はそれぞれで、家族を愛せない者もいるのだからといって消えた。
七夕は異性愛だけを祭るのかといって消えた。
敬老の日も、還暦も古希も、介護で苦しむ者がいるだとか、高齢化や老害は社会問題なのだとか、そんな理由でやらなくなった。
ハロウィンやクリスマスは、もうどうしてだか忘れたが消えた。とにかくあらゆる者への配慮で祝いは消えたのだった。
この国の人はある意味、優しくなったともいえるのかもしれない。
〈祝う〉という文字は〈いわう〉とも〈のろう〉とも読めるという。
誰かにとっての〈いわい〉が誰かに取っての〈のろい〉となるのなら、誰も傷つかないようにやめてしまおう。
やがていろいろな〈祝い〉がなくなり、せいぜい残ったのは、彼岸や盆や命日といった〈弔う〉という行事だけだった。
すでに亡くなった者たちが主役の弔いだけは、誰も傷つけることがないとみなされたからなのだろう。
あるいは、遠い神代に交わされた、千人殺すというイザナミと、千五百の産屋を建てるというイザナギのやりとりの数字があべこべになって久しいこの国では、それが自然の流れだったのかもしれない。
実を言えば私は岡本君の挙式をうすうす感づいていた。
というのも、しばらく前に彼から結婚式について、ちょっとした相談を受けていたのである。

「山川さんは、結婚式、挙げたことあるんですよね」
外回りの社用車の中で、運転をする岡本君が何気なく私に尋ねた。
高速道路を走る社用車の窓からは、かつて結婚式場だった城のような建物の尖塔が遠くに見えていた。
暮れがかる空の下に朽ち果てかけているかつての豪華な式場は、斜陽の王国の姿とも、あるいはすでに滅んだ文明の遺跡とも見えるようであった。
「ああ。むかし、むかし、だけどね」
私は三十以上も歳下の後輩の世間話と思い、苦笑混じりに答えた。
私は助手席の小さなヘッドレストに頭を預け、遠ざかる古い式場を見やりながら、式を挙げたのは彼くらいの歳のころだったとしみじみ思い出していた。
あの城のようなところで挙げるような豪奢な式ではなかった。小さな教会で家族を少しだけ呼んであげる質素な式である。あのころは金も無かったのによくやったものだと思う。
実際、あのときの私は乗り気ではなかったように思う。
それでも、妻は挙げたいと望んだのだ。
どんなにささやかでもいいから挙げたい。
そう言った妻の若かかりし日の花嫁姿がぼんやり窓の中に写るような気がした。
「式を挙げて、よかったと、思いますか」
振り向くと、そこに思い詰めたような青年の横顔があった。
それはいつも穏やかな顔で、仕事でも嫌な顔ひとつしない彼らしからぬ表情であった。
まっすぐに前を見据えてハンドルを握る彼は、今まさに自分の人生の舵を取る者として私の隣に座っているようにも見えた。
私ははっと息を飲んだ。
彼は、罪を犯してでも式を挙げようとしている。
それは予感というより確信だった。
私の答えによっては、悩んでいる彼の背中を押してしまうかも知れない。
将来のある若者を、犯罪者にしないために、私は嘘を吐くべきだったのかもしれない。
あんなことはやめておけばよかった。
そう言わなければならないと思っていながら、私はいつかの白いドレスを着た妻の視線がたしかにどこかにあるように思われて、嘘をつくことができなかった。
「よかったよ」
私はためらいがちに答えたのだった。
岡本君は私の言葉を聞くと、すこしほっとしたようだった。
固く引き結んだ口元がほころび、肩から少し力が抜けたようにも見えた。
「すみません、変なこと聞いてしまって」
彼は我に返ったように微笑を浮かべながら頭を掻いた。
「いや。いいよ。でも、もし――」
私は途中まで言いかけて「いや、なんでもない」と言葉を飲み込んだ。
もし君が式を挙げるなら祝電くらいは送るよ。と冗談を言いかけたのだが、やめたのである。
「何ですか。気になるなあ」
彼はそう言ったがそれ以上、しつこく聞くようなことはしてこなかった。
他人のことにあまり立ち入らないのがこの国の流儀とはいえ、彼におめでとうと言えないことが、無性に悔しく思われたのだった。

会社員ではなくなって歩くいつもの通勤路は、どこか空気が違うような気がする。
ほのと夕暮れの朱に染まる空を見上げながら、私は、手に提げた鞄をいつもより大きく振り、駅へと向かっていた。
岡本君が逮捕されたことでオフィスの中はあわただしかったが、定年退職の日を迎えた私のデスクだけは風が凪いだように静かだった。
結局、味噌っかすのようになった私の最終勤務日はあっという間に暮れ、ひとしきり定型の挨拶をすませて、私は会社を出たのだった。
昔こそ送別会などがあったりもしたものだが、そういった会はしなくなって久しい。
概して送別会やその他の飲み会などは、やりたくて仕方がない者と、やりたくなくてうんざりしている者があったのだ。
〈祝い〉がどちらの読みにも取れるなら、できるだけ、だれも傷つかない方を、という風潮のなかで、そういった会もだんだんと無くなっていった。
ただ、件の岡本君だけはやはり変わっていたように思う。
「山川さんの送別会、僕らだけでもやりましょう」
それが彼の本心からの言葉であったのか、それは分からないが、社交辞令でもそう言ってくれた彼の優しさが、ひとり影を引いて歩く身に、しみじみと思い起こされた。
その優しさに私は何も答えられなかった。
彼が結婚式を挙げると気が付いていたのであれば、せめてメッセージと祝儀くらいは黙って握らせてもよかったのかも知れない。
とはいえ何を言っても、しょせんは後出しの話ではある。
万が一、祝儀やメッセージのことが明るみに出れば、自分も連座して警察の厄介になりかねない。
過去にさかのぼっても結局、何もできることはなかったと分かっているのだが、それでも私はいまさらに悔やまずにはいられないのだった。
駅前の商店街までさしかかるといつか私が入社したときに歓迎会をしてもらった飲み屋の跡が目に付いた。
小さな座敷のある古い居酒屋だったが、そこはいつのまにか牛丼屋になり、やがてコンビニになり、そのうちにそれもつぶれて今はチェーンのドラッグストアになっていた。
変わりゆくものもあれば、変わらないものもある。
私はその隣で変わらず商いを続けている、〈ルミエール〉という小さな洋菓子屋に入った。
中では近所に住んでいる親子連れであろう、品の良さそうな母親と五歳くらいの男児が手をつなぎながらケーキを選んでいた。
「おっきいのがいい!」
男の子が元気よくショーケースのホールケーキ見本を指さすが、その前には〈売り切れ〉の札が立てられていた。
そのほかのケーキも売り切れのものばかりのようだった。
子供が指さすケーキのかわりに母親が注文したのは、かろうじて残っていた、ピースのチョコレートケーキのようだった。
「チョコプレートの文字はどうなさいますか」
「おとうさんありがとう、でお願いできますか」
そう言った母親は、子供の手をさっきよりも一段と力を込めて握ったように見えた。
この国では誕生日の祝いというものをあまりしなくなった。
クリスマスなどの商機も無くなったので、苦境に陥ったケーキ屋は起死回生に弔いのためにケーキを売ることを思いついたらしい。
今は命日にケーキを用意することが多い。
この母親も亡くなった夫の弔いのためのケーキを買い求めにきたのかもしれない。
私の順番が来ると、私は自分の名前を告げて、予約していたケーキの箱が二つ重ねて入った袋を受け取った。

家の最寄りの駅の改札を出るころになっても、外はまだ明るいようだった。
しっとりとした夕風の吹き抜けるなか、駅前の短い商店街を歩く。
もうほとんどシャッターが店の中に、半分だけシャッターを開けている花屋があった。
店の前に停まっていた幌付きの軽トラックの影から、店のエプロンがちらとのぞいたのを見つけて、私は声を掛けた。
「ひまりちゃん、おつかれさん」
「あ! 山川のおじさん! いらっしゃい! 待ってたよ!」
なじみの〈ミシマ生花〉の店主、三島陽葵は、首に掛けたタオルで額の汗を拭いながら、私にいつものようにはつらつとした笑顔を向けた。
配達作業で日に焼けたのであろうか。陽葵の小麦色の肌は街灯の下に明るく映えていた。
「書き入れ時にいつも悪いね。これ、いつものルミエールのケーキ」
私はそう言って提げた袋の中から、ケーキの入った箱を一つ取り出して陽葵へと手渡した。
「わぁ! いつもありがとう! 実はちょっと期待してたんだ」
受け取りながら、舌を出す陽葵に私は心が温まるような思いがした。
娘がもしいたら、そろそろ彼女くらいの歳になるのだろうなと、私はぼんやりと思いやってしまうのであった。
しみじみと彼女の喜ぶ様子を見ている私をよそに、陽葵は店の奥によく通る大きな声で呼びかけた。
「えみちゃーん! 山川さんの! カウンターのところにあるから!」
するとすぐに奥から小柄で気弱そうな丸顔の女性が出てきた。
おととしくらいから彼女とこの店に併設の住居で暮らしている金井絵美だった。
「いらっしゃいませ」と小さく頭を下げた絵美は、青いアジサイやトルコキキョウやクレマチスといった花がきれいに束ねられたブーケを抱えていた。
私が毎年この日に注文しているアジサイの花束である。
「ありがとー! これ、山川さんから、ケーキね。冷蔵庫によろしく」
陽葵はブーケと引き替えに、私の差し入れたケーキを絵美に手渡した。
「いつもありがとうございます」
絵美はまた小さく頭を下げると、店の奥へと下がっていった。
「ごめんねー。愛想なくって。笑えば可愛いのになぁ」
陽葵は店の奥をちらちら見ながら、ひそひそと私に耳打ちした。
「いいよ、いいよ。かえって可愛げがあるじゃない」
私はそう言いつつ、陽葵からブーケを受け取る。
「それにしても今年はいっそう華やかだね」
私は去年注文した花束を思い出しつつ言った。
昨年はもう少し花の本数も少なかったような気がする。
「今年は震災復興十五周年特別サービス! 盛大にしてみました!」
陽葵のからりとした笑顔のなかに、ほんのすこし潤むまなざしがあるのに私は気が付いていた。
首都だけでなく、この国の広範囲を破壊し尽くした震災から十五年の歳月が経った。
遠いような近いような、かつての今日。
その震災で彼女の両親は亡くなったのである。
ミシマ生花とは震災の前からの付き合いだったから、彼女の両親もよく見知っている。
この世にはもうない彼女の両親の顔が、彼女の中に刻まれた面影を通して、はっきりと思い浮ぶような気がした。
「ありがたや。ありがたや。さすがはお客様第一、ミシマ生花。ひいきにするぜ」
私は小脇に花束を抱えて、すこしおどけたように陽葵に片手で拝み手をした。
両親を亡くした悲嘆や、壊滅状態になった店をゼロからもり立てた彼女の苦労といった影がそこにあるのだが、あえてそれを表立てることをしないのが、私と陽葵の間に流れる暗黙の了解となっていたのである。
陽葵はそれに答えるように子供っぽく、えへへへと笑ってから、小さくため息を吐いた。
「今日はほんっとに仏花の注文ばっかりだったからさ。せめて山川さんのところのは可愛くて華やかにしたいと思ったんだ。それね、絵美が作ってくれたの。やっぱりあの子、才能あるよね」
私が抱えるブーケを陽葵はいとおしそうに見つめていた。
もしかすると陽葵は絵美に惚れているのかもしれない。
それはセンスという部分を越えてもっと人間的な部分への憧憬なのではないかと、私は長い付き合いのなかで、うすうす感じていた。
華やかな青に彩られたブーケは、おおやけに結び付く形がいまだ定まらない彼女たちから、私へ送られたやさしさの結晶のようでもある。
「素敵だと思う。うん。とっても素敵だ」
私は花束と陽葵と交互に微笑みかけた。
「今年も、アジサイ、奥さんによろこんでもらえたらうれしいな」
陽葵が私に笑い返す優しげな目元は、亡き彼女の母によく似ていた。
「ありがとう。きっと、喜ぶよ」
私はそう言いつつ、今年こそ長年のちょっとした誤解を解こうかどうか逡巡した。
彼女の母親の代から青いアジサイを毎年頼んでいるが、実はアジサイは妻が好きな花という訳ではないのである。
でも、嫌いだったわけでもない。
なによりこの花を見た妻が喜ぶであろうことは、ありありと想像ができたので、私は今年もいちいちつまらないことを言うのはやめることにした。
「あ、そうそう。ケーキだけどね。今年はショートケーキだけじゃなくてフルーツタルト、入ってるから」
「え、タルト?」
「ほら、絵美ちゃんが食べたがってたって去年言ってたからさ。入れといた」
「もぉー! ほんと山川さんやさしい! イケオジ! ひとたらし!」
陽気に笑う陽葵の小さな手が軽快に私の肩を打つ。
打たれた肩にかすかに残る感触は、彼女が両親からもらった名前の響きにも似た、ひだまりのようなあたたかさがあるような気がした。

商店街からつづら折りになった長い坂道を登り来ると、丘の上に分厚なドミノが立ち並んだような団地が見えてくる。
あたりがようやくのこと暗くなりはじめたのは、もちろん時間の経過もあるのだが、道の街灯が少ないことにも起因しているかもしれない。
私と同じように坂を登りくる人が、ぱらぱらとある。
私と同じように会社帰りのサラリーマンであったり、買い物の袋を提げた主婦であったり、犬を連れて歩くものもいる。
たいていは震災で焼け出されて、ここに住むようになった人たちである。
彼らはたいてい仏花らしい花束や、洋菓子屋や和菓子屋の袋を提げているようだった。
私が住んでいる一号棟の前までくると、不意に声を掛けられた。
「おや、山川さん。今日はお早いですな」
振り返ると長い髭を蓄えた老爺が片手に紙袋を提げて立っていた。
ひとつ下の階に住んでいる木村さんだった。
「どうも、木村さん。今日でお役御免になりましてね。老兵は早々に退散してきました」
「そうですか。長年、お勤めご苦労様でした」
そう言ってから軽く私へ一礼した木村さんは、私の抱える花束を見て目を細めた。
「となると、そのアジサイははなむけですかな。とても綺麗で」
「いえ、これはね、私が買ったんですよ。今日は妻がね」
そこまで言って私は言いよどんだ。
今日は正しくはいったい何の日なのだろう。
そもそもこの花は誰へのものなのだろう。
毎年、注文しているものの、実際私も整理は付いていないのである。
私が口ごもったところで、木村さんは何かを察したような顔をしたように見えた。
そこで私はやんわりと話題を変えるように、木村さんが提げる紙袋へと目配せした。
「今日も仏像を造っていらっしゃって」
私が言うと木村さんは「ええ」と言って、すこし気恥ずかしそうに中から手のひら大の仏像を取り出した。
隠居して長い木村さんは、天気のいい日には近所の公園のベンチで黙々と仏像を彫るのを趣味としているのだった。
木像はまだ未完なのだろう。
足下の部分がまだ粗く削られているばかりだったが、仏像の笑みが薄暗がりの中でもはっきりとわかった。
その笑みは、寺院などで見る仏像の穏やかな笑みというより、いまにも声を出して笑い出しそうなほど闊達さを帯びているようにも見えた。
「やさしそうなお顔だ。ええと、これは」
「月光菩薩さんで。これでもうすぐ薬師三尊が人そろいです。素人の造るものですからね。たいしたものじゃないんですが」
「でも、結構な数を造っていらっしゃるだけはありますよ。もう仏師と言ってもいいんじゃないですかね」
「いやいや、そこまでのものではありませんよ。ただ、本当に数だけは多いですがね」
木村さんはそう言って白髪頭を掻くと、仏像を紙袋にしまった。
「家内にも、家なんだか寺なんだかわかりゃしない、なんて言わてもいたんですが。いやぁ、じっさい家内が居なくなったら、急に部屋が静かになってしまって、ほんとうに寺みたいになってきてしまいました。朝起きたら、そうか、ここがあの世か、なんて思ったこともありますよ、ねえ」
木村さんは、ははは、と声を出して笑った。
彫りかけの月光菩薩の顔のように明るく笑う、彼の目元にはどこか一抹の寂しさのようなものが漂っていた。
たしか木村さんの奥さんが亡くなって、まだ一年も経っていなかったはずである。
未完の菩薩像を提げて立つ木村さんのたたずまいには、どこか孤独に慣れきらない当惑がにじんでいるようにも見えた。
そんな立ち話をしてから、私たち木村さんを先頭に前後に並んで一号棟の階段を上がっていった。
木村さんの住む三階まで来たところで、木村さんは私に振り向くと、おずおずと語りかけた。
「山川さん、抹香臭い家でなんですが、定年の慰労にこれからうちで一献いかがですか」
木村さんはそう言って、杯を傾けるような手振りを見せた。
これから会社に行くこともなく、独りこの団地に暮らす老人の仲間入りをする身に、木村さんの誘いはうれしくもあった。
ただ、今日だけはその誘いに乗る気にはなれなかった。
「今日はすみません。ちょっと、家ですることがありまして。でも、また仏像も拝見させてください」
私が小さく頭を下げて断ると、木村さんは私よりも、よりすまなそうな顔になった。
「ああ、いや、今日は震災忌でしたね。不躾でした。仏像を彫ってはいますが、そういうところが不信心というか、足りなくてね」
そう言った木村さんはぶつぶつと「いやだな、ほんとうに」と聞こえるか、聞こえないかといった声でつぶやいていた。
もしかすると木村さんん自身が、私を誘ったことに驚いていたのかもしれない。
部屋の中でひとり仏像に囲まれている木村さんの姿を想像すると、それとなく人恋しくなる木村さんの孤独が思いやられるような気がした。
やはり断るのは気の毒だっただろうか。
そもそも、お断りしたのは震災忌のためではないことくらいは、正直に言い添えるべきかどうか。
私が逡巡するうちに、木村さんは「では、またの機会にでも」と言い残して、いそいそと自分の部屋のほうへ行ってしまった。
遠くで鉄扉がバタンと重く閉まる音が聞こえた。
こうして私も木村さんも一人になると、いよいあたりの静けさが深くなるような気がした。

部屋に帰るときに「ただいま」と言うのをやめてから、どれほどの時間が経ったろうか。
たとえ暗い玄関の向こうにだれもいないと分かっていても、返事がないと知っていても、いつかまでは「ただいま」と言っていたのに。
木村さんと別れて部屋に帰り、電気を点けるとどうしてか、いつもより部屋ががらんとして感じられるような気がした。
もう妻と子が亡くなってから三十年以上が経つが、命日のこの日だけは、なぜか部屋がいっそう空疎なものに感じられる。
私はいったん買ってきたケーキを冷蔵庫に入れてから、アジサイの花束を持って仏壇の前に座った。
三十歳のまま時が止まってしまった妻の遺影が私に向けて今夜も恥ずかしげに小さく手を振っている。
青いアジサイの咲く坂道を背景に笑う彼女に私は花束を掲げて見せてやった。
「陽葵ちゃんと絵美ちゃんが今年は豪勢に作ってくれたんだ。どうだい? きれいだろう?」
私は返事がないと知りつつ写真に向かって語りかけた。
私の抱える鮮やかなアジサイと、妻のいろあせた写真のアジサイと。色彩の違いは此岸と遠い彼岸との距離を思わせるようでもあった。
私は一度花束を傍らに置いて、ろうそくに火を灯した。ほのと揺らめく火から線香へとその火を移すと、湿った空気の漂う部屋の中に、さわやかな煙が一筋立ち上った。
私は妻のものと娘のものと、二つ並んだお位牌を見上げ鈴を叩く。
娘がもし生きていれば、きっと陽葵くらいの年齢になったであろうことが、鈴の涼やかな余韻のなかでまた思い起こされた。
「結局、今年もほんとうのことは言えなかった」
手を合わせながら私はため息を吐いた。
「ほんとは、俺が好きな花だったのになあ」
目をつぶれば来し方が胸に去来する。
私の誕生日にアジサイを手に帰ってきた妻の笑顔も、純白のドレスをまとった妻を世界で一番綺麗な者と思った日のことも、娘を宿した妻の顔も、そしてすべてが無くなってしまった今日という、いつかの私の誕生日のことも。

思えば妻との思い出はいつもアジサイと共にあった。
大学を出て間もないころだった。
知り合いの伝手で知り合い仲良くなった彼女に、思いを告げたのもアジサイの咲く頃だった。
小雨の降る中、私と彼女は青いアジサイが咲く公園のあずまやにいた。
私は声を詰まらせながら、彼女の背後に見える青いアジサイの花を見やりながら言った。
「アジサイ、綺麗ですね」
緊張で顔をこわばらせている私に、彼女は静かにうなずいた。
「アジサイ、お好きなんですか」
実際はそれほどアジサイに思い入れはなかったのに、私は彼女と同じように静かにうなずいた。
続いた長い沈黙のあと、私は意を決して彼女の名前を呼んだ。
振り向いた彼女の顔を私はじっと見て、少し息を飲んでから、小さく、それでいてはっきりと彼女に思いを告げた。
「好きです」
鬱蒼とした緑の影のなかに凛としてある淡い青を背に、彼女がふと笑った顔を私は今も思い出せる。
普段から何事も控えめで、おっとりとした彼女が、雨空に陰る暗いあずまやの中で見せた晴れやかな笑顔は、どこかアジサイの華やかさに似ていた。
それまでアジサイになんの感慨も持たなかった私が、このとき青いアジサイを好きになったことを、きっと彼女は知るまい。
つき合ってしばらくして、私たちは結婚することになった。
彼女も私も目立ちたがらないし、おそらく盛大に結婚式を上げることはないだろうと思っていたのだが、意外にも彼女は式を挙げることにこだわりを見せた。
それもどうしても六月にしたいと彼女は言い張るのである。
私はジューンブライドは式場も立て込むし、日本でやると梅雨時になることもあるから、もう少し過ごしやすい頃にしたらどうかと伝えたのだが、彼女は雨だって構わないから、と言って譲らなかった。
彼女がそこまで言うのであれば、私としては異議はなかった。
ある六月の、やはり小雨の降る日に、私たちは小さなチャペルで結婚式を挙げた。
チャペルの参列者席はアジサイで飾られ、ブーケもアジサイでそろえられた。
ステンドグラスから差し込んだ光の中を、歩みくる楚々とした純白のウェディングドレス姿の彼女に抱かれ、アジサイの青はいっそう鮮やかに見えた。
人生で見たものの中で、一番美しいものは何かと聞かれれば、それはあの式の日の彼女であったと、私は断言するであろう。
雨に彩られたハレの日。それは世界のすべてから祝福されているような気分の日であった。
きっと彼女となら幸福な日々が永遠に続いていくのだと、あのときの私は信じていた。
結婚式からおよそ一年後のことである。
私の勤めていた会社が倒産した。
朝出勤したら、会社が無くなっている。
見聞きはしたことはあるが、まさか自分の身に起こるとは露にも思わないことが起き、私は失意に打ちのめされた。
失業につき、働き手はアルバイトとして働く妻だけになり、暮らしは厳しくなった。
私たちは仕方なく家賃の安い手狭な築五十年のボロアパートに転居し、迎えたある六月の日曜日ことである。
夕方、買い物から帰ってきた妻は手に一本の青いアジサイを抱えていた。
「あなたの好きなアジサイ。近くのお庭に咲いていたのが綺麗だったから、お願いして、もらってきたの」
妻はそう言って花瓶に花を生けると、うす暗い六畳の茶の間の中心を占める小さな座卓に花瓶を置いた。
「ごめんなさい。今年のプレゼントはこれだけかも」
座卓に置かれたアジサイと、その傍らにあるすっかり薄くなった座布団の上にちょこんと座って儚げに笑う彼女とが、私の目の前にあった。
私を想い、私の好きな花を贈ってくれる妻の真心が確かにそこにあり、私にはそれがかけがえもなく愛おしく思われてならなかった。
気が付くと私は妻を背中から力一杯に抱きしめていた。
「毎年これでいい。毎年、アジサイでいいんだ。アジサイがいい。アジサイが、いいよ」
この日以来、私の誕生日プレゼントはアジサイの花と決まった。
その後、私の再就職が決まり、安アパートを脱して、暮らし向きが上向いても、その風習は変わらなかった。
いつか、妻がほかの物も付けようかと聞いたこともあったけれど、それもはっきり断った。
毎年、六月の私の誕生日には、綺麗な青いアジサイが部屋を彩る。
ささやかではあるけれど、それがかえって私と妻とのつながりの結晶のようで、私にはそれがなによりもうれしかったのである。
子供ができた、と聞いたのはアジサイのある六月の誕生日を四度越した秋のことだった。
少し不安そうな顔で私に妊娠を告げた妻を、私は躊躇なく抱きしめた。
「もしかしたら、あなたと同じ誕生日になるかもしれないね」
抱きしめた妻が耳元で私にささやいた言葉は、確かにそのとき福音であった。
六月の私の誕生日に、私と妻との間に授かった子供が産まれる。これ以上の幸福な贈り物がほかにあるかどうか。
その幸いが反転することなど、思いもよらないほどに、すべては順調だった。
妻のお腹はだんだんと大きくなり、そのうちに子供が娘であることが知れた。
私たちは話し合い、娘の名前をアジサイの別名にちなんで「よひら」と名付けようと決めていた。
私たちの幸せを彩ってきたアジサイのように、娘もまたこの世に生を受けてからは、幸せに彩られますようにという願いを込めて。
よひらは私たちの思いをくんだのであろうか、奇しくも私の誕生日の昼下がりに、彼女は母の胎を脱しようと動き始めた。
一報を聞き、会社を飛び出した私は病院へ駆けつける。
病院についた私は、きっと妻の傍らに立ち会って娘の誕生を見届けられるものと信じていたのだが、どうにも様子がおかしい。
暗い廊下を殺気立ちながら看護師が駆けていく。どこからか聞こえてきた「急変」という声を聞いたとき、私は何が起きているのかを察し始めていた。
よひらはそれから数時間して、この世に生を受け、そして産声を上げる間もなく、息を引き取り、妻もまた同じく命を落とした。
妻と最後に交わした会話さえろくに思い出せないほど、唐突な出来事だった。
医師から経過を説明されたものの、何を言われているのか、混乱する頭ではなにも分からない。
真っ白な頭のまま、昨日まで笑っていたはずの妻と、息の無い嬰児とに対面した私は、なんと言葉を掛けていいのかも分からず、ただ「どうして」と何度も繰り返すばかりだった。
何もかもが失われたことに憔悴しきったまま、真夜中に自宅に帰ると、部屋の出窓にある花瓶にアジサイが綺麗に生けられていた。
きっと妻が私の誕生日のために用意していてくれたものに違いない。
薄日の差す窓辺で身重の妻がアジサイを生けている姿が、私にははっきりと思い浮かべられた。
夜の静寂の中見たその幻影に、私は堪えきれず、ついにその場に崩れ落ち、声を上げて泣いたのだった。
その日から、六月のその日は祝いの日ではなく弔いの日になった。
妻と娘を亡くしてから、すべての祝いの日が虚しく、妬ましいものに感じられるようになった。
子供の成長の祝いが、他人の結婚が、仲むつまじい老夫婦が、だれかの誕生日の祝いが、快気の祝いさえも、すべてが呪わしいものに感じられた。
掴むはずの幸せが不条理にも失われ、自分だけが色彩の反転したネガフィルムの世界の中に閉じこめられたような気分であったが、それを他人に表だって言う訳にもいかない。
同僚に子供が産まれればおめでとうと伝えた。友人の結婚式にはスピーチをしたこともある。
ただ実際のところは、声となって出る祝いの言葉の裏側に、それと同じ幸福を掴みそこねた私と妻や子の運命を呪う自分が必ずいるのである。
私が誕生日にもらっていたアジサイの花もすっかり意味が変わってしまった。
私への祝いの花は、アジサイの中に笑う妻と、アジサイの別名をもらうはずだった娘への仏花になった。
きっかけであるミシマ生花との出会いは、妻と娘が亡くなって、三年後のことだった。
命日が日曜日にあたったので、墓参りに出かけた帰り道、駅前の花屋の店先でアジサイの鉢植えの前に立つ女の子の姿が目に付いた。
おそらく三歳くらいだろう。髪を二つに結んだ女の子は、鞠でも付くようにアジサイの花を手のひらでさわりながら「ぽよーん、ぽよーん、ぽよーん」と舌足らずな声で笑っていた。
青いアジサイの中で笑う妻の幻影と、おそらくよひらが生きていればこれくらいになっただろうという幻影がかすかに脳裏によぎり、私は思わず立ちどまった。
女の子も立ち止まった私に気が付いたらしい。
アジサイに手をふれたまま、私を黒目がちな目でぽかんと見上げた。
すぐに店の奥から悲鳴のような声が聞こえてきた。
「やだっ! ひまちゃん! だめでしょ! さわっちゃぁ!」
おそらく母親であろう。
店のエプロンを付けた女性が店先に出てきたかと思うと、女の子の体をさらうようにして抱え上げた。
「いやぁーだー!」
手足をばたつかせて腕の中から逃れようとする子供をを抱えたまま、女性は苦笑気味に「いらっしゃいませ」と私に会釈した。
「ちょっと! おとうちゃん! ひまちゃん見てて!」
女性はそう言って女の子をおろして、店の奥を指さした。
「ほら、おとうちゃんのとこ、いっといで」
母の言葉に女の子は、ふてくされたように何もいわず、店の中へと駆けていったのだった。
店に入った女の子を見届けると、女性は私に向き直って苦笑いを浮かべた。
「すみませんねぇ。あの、なにかお探しですか」
女性の表情には子供が客を煩わせたことへのすまなさと、子供をじっと見ていた私への警戒感のようなものが入り交じっているようであった。
特に買い物にきたわけでもなかった私だったが、ついとっさに「アジサイを」と答えていた。
私が客であることが分かると、女性は警戒を解いたらしく、ハスキーな声をはつらつとさせた。
「アジサイですね。切り花ですか」
私はそれから女性がてきぱきと尋ねることに「ええ、はい」とただただ首肯しながら答えていた。
気が付くと私は女性から立派なアジサイの花束を受け取っていた。
「アジサイ、奥様がお好きなんですか」
おそらく私が未練を振り切れずつけている左手の結婚指輪を目にしてのことであろう。
女性はにっこりと笑いながら、私から代金を受け取りつつ尋ねた。
何気ない世間話の「奥様」という言葉に、私は妻が亡くなった日に見た、出窓に置かれたアジサイを思い出した。
アジサイは亡くなった妻がいつも私の誕生日の祝いに贈ってくれたものです。
そう言おうとするのだが、うまく声に出せない。
いつの間にか私の目に涙があふれはじめていた。
「死んだ妻が」
これだけ言って、あとの言葉は続けることができない。
私の様子に女性はそれで何かを察したらしかった。
「そうですか。きっと喜んでくださいますね」
彼女がそれ以上の言葉を促すことはなく、ただ慰めるようにほほえむだけだった。
私は違う、とも言えず、ただ無言でうなずくと、逃げるようにその場をあとにした。
家に帰った私は買ってきたアジサイを仏壇に供えた。
日陰に咲くアジサイは、死者を祭る仏壇は似合いのようにも見えた。
誕生日に贈られていた花も、妻や子と同じように遠くへ行ってしまったようで一層寂しさが募った。
それでいてアジサイは彼女たちの命日には欠かせぬもののようにも感じられた。
翌年の命日が近づく頃、写真の中でアジサイの前ではにかむ彼女の姿を見ると、どうしても本物のアジサイが欲しくなるのである。
もうほとんど、私のためであるのか、妻や子に捧ぐものであるのか、自分でも判然としないのだが、それ以来六月の命日には、ミシマ生花でアジサイを買い求めることにしている。
墓参りの仏花をミシマ生花で買うようにしたこともあり、店のご主人や女将さん、そして陽葵ともだんだんと馴染みになった。
ただ親しくはなったものの、アジサイがかつて自分に贈られていたものであることは、なんとなく伝えそびれたままになっていたのだった。

ベランダから、夜空の下に輝く都会の景色が見える。
夜空は都会のきらびやかさに暗んで星はほとんど見えない。
私はベランダに出したキャンプ用のテーブルの上に、買ってきたケーキの入った箱とアジサイの花束を置いた。
その二つに囲まれるようにして、妻の写真を置くと私は椅子に座り、都会の夜景をぼんやり眺めていた。
今から十五年前、あの都会の輝きなどはまるでなくて、すべては廃墟であったなどと言ったら、おそらく今の子供たちは老人の妄想だと言って信じないのではなかろうか。
まだ田舎の方では復興が進まないところもあるとは聞くが、都会は急速に震災を乗り越えつつあった。
妻と子の命日は、十五年前、約三十万人の命日となった。
ビルは見る影もなく倒れ、道路は陥没し、家々はことごとく燃えるか、流されるかした。
命からがら廃墟の巷と化した都会を逃れて、家に付くとそこもまた、がれきの山と化していた。
かろうじて残ったものは、いつも鞄に忍ばせていたこの妻の写真くらいである。
その後もこの国そのものが沈んでしまうのではないかというほどに各地で大きな地震が頻発し、その後も死者は増え続けた。
〈祝い〉の意味が〈いわい〉から〈のろい〉に転じたのもそのころだろう。
理不尽に肉親や友人を奪われた者たちは、また理不尽に〈いわい〉を享受できる者たちをどこか妬んで暮らしていた。
私自身、も心の奥底で〈いわい〉への屈折した思いを抱いていたところもあり、妬む心への共感もあった。
大きな妬みはやがて〈いわう〉ことを〈のろう〉まなざしを生み、やがては法すらも生み出した。
岡本君が逮捕されたのも、まさにその法ゆえにであるから、遺された者たちの生み出した妬みが彼を捕縛したとも言えるのかも知れない。
この国からことほぎが消え、悼む心だけが残って初めの頃、私はどこか清々した気持ちさえ抱いていた。
自分自身、誰かを〈いわう〉気持ちなど、とうの昔に消え失せていたと思っていたので、社会がそれに追いついてきたようにさえも感じられた。
それが間違っていたことを、思い知らせたのは、陽葵だった。
震災で両親を失い、店を失った陽葵は、それでも懸命に生きていた。
その彼女には成人の祝いもなかった。
陽葵が母から継ぐはずだったというきらびやかな振り袖を、いつか彼女が質に出したと聞いたとき、私はなんと言葉をかけていいか分からなかった。
まだ歯抜けのように店舗が立つばかりの商店街にミシマ生花が改めて開店したときも店の軒先に祝いの花はなかった。
「あたしさぁ、なにかと祝福されないタイプなのよ。まともに結婚とかもできなそうだし。この店もどうせあたし一代かぎりだし。ねえ」
陽葵はいつもこともなげに、よくわからないことを言って、笑うばかりだった。
その言葉の核心が分かったのは、かなり後になって彼女が絵美と同居を始めてからであった。
陽葵は誰に祝われるでもなく、たんたんと、ひたむきに日々を生きていた。
亡くした娘と同じ年の頃に彼女が生まれたということものあるかもしれない。
何もかもを恨んで生きているなかで、私はせめて陽葵だけは祝福したいとひそかに願っていた。
他人の幸せを願う心など、妻と子が死んでしまったときに、消え失せたと思っていたのに、私の中に確かに他人を祝う心が芽生えていた。
おそらく陽葵がいなければ、岡本君に結婚式のことを尋ねられたとき、正直によかったと答えられなかっただろうし、逮捕されたことを哀れむ気持ちさえ起きなかっただろうと思う。
陽葵と絵美はいまごろ、私の差し入れたケーキを二人仲良く食べているのだろうか。
岡本君の結婚式はどんなものだったのだろうか。披露宴にケーキ入刀があったのかどうか。
私はぼんやりと陽葵たちや岡本君のことを考えながらケーキの箱を開けた。
小さな箱の中に赤々と熟したイチゴの乗ったショートケーキが一ピース入っている。
妻が好きで祝いごとの日には必ず買って帰ったケーキだった。
一緒に入っていた数枚の紙ナプキンを箱から取り出すと、そのかげに一本のろうそくが入っていた。
ろうそくは不要だと断っていたのだが、おそらくこの震災忌の忙しいさなかに、店員が間違って付けてしまったものなのだろう。
「定年、お疲れさん、ってことかな。あるいは」
私はつぶやくと、仏壇に一度また手を合わせてから、マッチを手に取りベランダへと戻った。
表だって人を祝うことのできない人々が暮らす都会に捧げるように、私は白いろうそくをケーキの上に刺し、マッチで火を灯す。
ほのとリンが燃え香るなかで私は静かに目を閉じた。
せめて愛するものと生きる岡本君に、陽葵に、絵美に、あるいはすべての誰かに、幸いがありますように。
私は心に念じながら、揺らめくろうそくの火を吹き消した。
ろうそくの火が消えると同時に、都会の灯りもまた一斉に消えた。
あたりが暗転し、夜空に星灯りが満ち満ちた。
「ろうそく、吹き消したみたいだ」
都会があったはずの空に、たなびく煙のように天の川が見えた。
星の数ほどというのはこのことなのであろう。
震災の夜と同じように数え切れない大小のきらめきが視界いっぱいに広がった。
震災復興十五年を記念した、死者を悼む一分の消灯である。
この間、人々は死者を悼み黙祷を捧げる。
その時間と知っていながら、私は不謹慎にもほほえんでいた。
「誕生日おめでとう」
それは一日とこの世の空気を吸えなかった娘へのものだったかもしれない。
あるいはもうここにいないけれど、確かにここにある妻の声だったのかもしれない。
ことほぎの無い町のどこかに、都会の灯りに暗んで隠された夜空の星のようではあるけれど、ひそかに、誰かの幸せを想う心があるのだろうか。
やがて都会に灯りが戻り、まぶしいほどの地の灯りが目に飛び込んできた。
くらくらとする明るさの中、私はひとりケーキを食べ終えると、写真とアジサイの花束を抱えた。
階下にいる木村さんのもとへ、いまさらおじゃましようと思ったのである。
木村さんの彫った仏像たちのなかで、木村さんに今日が私の誕生日であり、妻と子供の命日であることを伝えて、杯を交わそうと思った。
仏像に囲まれた、祝杯とも献杯ともつかない遅い夕餉はどのようなものだろうか。
部屋を出て玄関の扉を閉めようとしたときである。
ドアのわずかな隙間から、ちいさなよひらを抱いた妻が控えめに手を振って私を見送る姿が見えたような気がした。
玄関の暗がりの中にある妻は、私が花束といっしょに胸の中に抱えている写真の中の笑顔よりも、ずっと明るい笑みを浮かべていた。
「いってらっしゃい」
どこからか聞こえてくる最後に聞いた妻の声をかき消してしまわないように、私は重い扉をそっと閉めたのだった。

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